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澤田典子「古代マケドニア王国史研究」東京大学出版会

古代マケドニア王国の研究というと、アレクサンドロス大王の時代については多くの著作が見られますし、日本でも森谷先生の著作や澤田先生のちくまプリマー新書の一冊などが手に入ります。いっぽう、アレクサンドロス大王の父親であるフィリッポス2世についての著作や研究は近年海外では多く見られますが日本では澤田先生が論文を書いているくらいで、正直盛んとは言い難い状況です。

本書はそんな数少ない(そしてアレクサンドロス以前を扱う現役では唯一の)研究者である澤田先生が長年の研究成果と未公刊博論をもとにしつつ、最近の考古学の成果や碑文、貨幣研究の成果を盛り込みフィリッポス2世バルカン半島で覇権を握るまでの過程を描き出していきます。その際、近年の海外におけるフィリッポス2世研究で見られる動向として「フィリッポス礼賛」の傾向があるなかで、フィリッポス2世以前のマケドニアにおいて行われたことの重要性にも着目していきます。序章ではマケドニア史研究について、研究の動向(やはりヴェルギナ王墓発見は大きな転機)、史料の問題(ピンポイントでフィリッポス2世やそれ以前のことを明らかにする考古資料や碑文は乏しい。貨幣資料が役に立つところが結構ある模様)、近年の論点(ここは読んでおくと、卒論や修論のヒントになりそう)がまとまっています。

オリンピックにも参加するなどギリシア世界に接近していったアレクサンドロス1世やペロポネソス戦争の際に巧みな舵取りで国を保ったペルディッカス2世、ギリシア文化の受容や富国強兵に取り組んだアルケラオス、周辺諸勢力の脅威にさらされつつも長きに渡り王として国を維持したアミュンタス3世といったフィリポス2世以前の王の活動や、短命に終わりながらも王国の整備に尽力したフィリポスの兄たちなど、フィリッポス以前のマケドニアがどのような状況だったのかということが随所で扱われています。

本書に収録された数々の論考では、マケドニアが突如としてフィリッポス2世のもとで強大化したわけではなく、それ以前からの努力の積み重ねによるところが大きいことが示されていきます。例えば戦略物資としての木材を活用した同盟外交、ギリシア文化を受容し、オリンピックへの関わりなどギリシア世界への参入を進め、ヘラクレスに連なる系図の喧伝など「ギリシア人」としてのアイデンティティをアピールしつつも自分達らしさを保つ姿勢、都市建設や住民移動、軍隊増強などフィリッポス2世の政策としてよく取り上げられることがそれ以前の王たちによっても行われていたことなどが示されています。

また、史料の制約などもありどうしてもアテナイ中心になりがちなフィリポスの覇業をバルカン半島諸勢力との関わりも含めて描き出しているところも本書の特色と言えるでしょう。イリュリア、トラキアテッサリア、エペイロス、エウボイアをとりあげ、フィリッポス以前の諸王たちとこれらの地域の関わり、そしてフィリッポスによるこれらの地域の征服や支配の過程について1章を割いて触れています。古代のバルカン半島の歴史を書いた邦語著作が非常に少ないなか、マケドニアとの関係が中心ではありますが非常に貴重な内容です。

さらに、フィリッポスの覇権確立の過程で見せた巧みな外交手段について、外交交渉でそれらしい対応をする用意があると見せたりすることで敵対する相手の動きを鈍らせ、その間に別の所での軍事行動を成功させるところも随所に現れています。外交関係では特にアテナイ側の勝手な期待をうまく利用しつつ征服活動を進める様子がうかがえますが、フィロクラテスの和約の締結や条約改正交渉など様々な外交交渉も彼にとっては目的達成のための手段の一つに過ぎないというところでしょうか。そして、カイロネイアの戦いの戦後処理でテバイに対し苛烈なようで取り潰すわけでもなく、ペロポネソス半島でもスパルタの領土を削り周りに与えつつもスパルタを滅ぼさないという、周辺諸ポリスの「仮想敵」としてわざと残し、自分に都合の良い状況を作っておくという具合に、一見寛大に見える措置も、その裏に別の意図があると言うところもあるようです。

最終章では権力者崇拝に関する話題を取り上げ、マケドニアでは新たに拡大した領土や王国外において権力者崇拝が見られることに言及し、具体的に見ていきます。植民市建設者に対する祭祀の実施や、エーゲ海小アジアで何らかの宗教性を帯びた形での現地の祭祀への組み込み、アテナイで行われたそれに近いことが指摘されます。そしてフィリッポス暗殺された時に十二神と一緒に自分の像を祝典行列にならべたり、オリュンピアの神域にフィリッポスと王家の像が並ぶ建造物を建てたといった、「自己神化」のような行動にも触れられます。フィリッポスの行いは彼自身が実際に神として崇拝されたわけではなさそうですが、一時途絶えていた外部の権力者への「迎合」としての権力者崇拝に弾みをつけ、彼が自身や王家を神のごとき存在として印象づけようとしたことが、君主崇拝への道筋をつけたという具合のようです。

フィリッポス2世によるギリシア征服と覇権確立が,ギリシアバルカン半島各地において各地域で様々な手段(武力や婚姻、外交や買収、傀儡政権、そして宗教的プロパガンダ)を利用しながら各地で進められたもので、決してアテナイだけをターゲットにしたものでは無かったことが示されていきます。それと同時にアテナイだけを特別視して両国の協調のもとでことに当たる「二元覇権」というのもアテナイの人の幻想であることがわかります。デモステネスもイソクラテスもあくまでアテナイ人の視点からフィリッポスを評価していたという所でしょうか。カイロネイアの戦いが天下分け目、前338年がギリシアの自由の終わりというのもアテナイ中心的という終章の指摘は心のどこかに止めておくべき事だと思います。ついうっかり忘れがちなことではありますが。

フィリッポスがなぜ成功できたのかに関して、本書では「象徴資本」という観点から捉え直しています。「象徴資本」としてマケドニアに関しては血統や威信、人的ネットワークはもちろん、前の王によるサポート、政治や軍事の経験とスキル、国内外でのネットワーク構築能力およびエリートのサポート、があるとみていますが、どの点を見てもフィリッポスはそれを満たしています。さらにギリシア世界での地位を確立する過程で見られた様々な「自己演出」の重要性も触れています。そして、ギリシア征服と覇権確立が彼以前のマケドニア王国で積み重ねられてきたものの継承ということも重視しています。

本書で扱われているマケドニアおよび周辺諸地域については、この時代に関する史料が錯綜していることもあり、フィリッポスによる覇権確立の過程に関する編年についての議論にかなり頁を割いているところが見られます。編年を巡る議論については、通説が特に検証無く受容されていること、新説や反論があってもそれが大して議論になっていないなど、どうもこれまでの研究でも扱いが軽いように感じられます。本書ではそういった点に踏み込み、改めて編年を検討していますが、これは本書の重要なポイントの一つだろうと思います。編年を巡る詳細な議論の部分は「ヒストリエ」などがきっかけでちょっとマケドニア史を読んでみようと思った人には少々辛いかもしれません。しかしある程度編年をはっきりさせないと、彼の行ったことをどう考えるのかは難しいため、必要なことではあります。

本書は研究書なので、可能な限り検討した上で妥当な編年を出していく、あるいは通説を確認するという過程が細かく書かれていますが、この時代について関心がある人はどのようにして歴史的な事柄が解釈され書かれていくのかを勉強する材料として活用できるのではないでしょうか。歴史的な事柄を明らかにするためにこれだけの作業とプロセスがあるということ、様々な可能性を考えつつ,妥当な解釈や編年を提示するものが研究であると言うことを知ることは必要でしょう。

アレクサンドロスの東方遠征の成功がフィリッポス時代の業績におっているということはよく言われますが、フィリッポスの業績もまた前の王たちの積み上げたものによっている部分はあるという点を強く打ち出している点に、「フィリッポス礼賛」になりがちなこの分野で本書の独自性があるといえるのかなと思います。いかにフィリッポスの才能が優れていても、才能を振るう手段やリソースが無ければ目的達成は叶わないでしょう。このように書くとなんとなくサッカーの話のようになってしまいますが(感想執筆時点でワールドカップをやっているせいではありません)、ギリシア征服、覇権確立を一つのゴールとするなら、そこに至るまでのビルドアップや展開を担ったのがこれまでのマケドニア王、そしてフィニッシュ部分の仕上げを担ったのがフィリッポス、そんなところでしょうか。研究書なので、決して簡単に読み通せる本では無いと思いますし、価格も張ります。なかなか手を出しにくいと思うかもしれませんが、是非読んでほしい、買って読む、あるいは図書館に頼む、そういう本です。個人的にはこれが今年のベストと断言してもいいと思います(ベスト本のセレクトはこれからですが)。

(追記:2023年5月5日)
当初の感想では書いていませんでしたが,この本の付論でヴェルギナ王墓についての論文もあります。フィリッポス説とアリダイオス説があり、どちらなのかは正直よくわからない(澤田先生はフィリッポス説のほうですね)。ただこの発見がマケドニア史研究を大きく進めるきっかけとなったこともあり、非情に大事な成果です。そして、今もあの当たりでは調査研究が続いていると言うことも分かります。

また、現代のマケドニア問題に関連した内容が色々と序論で出てきますが、なかなか強烈な内容です。例えばブリルとワイリー・ブラックウェルに分かれて古代マケドニア必携が出た背景に、現代のマケドニア問題が絡んでおり、ブラックウェルのほうからギリシア人の研究者が原稿を引き揚げてしまったこと、それらをまとめたのがブリルのほうであるということが触れられています。道理でブリルの必携はギリシャ人の考古学の成果が多いと思ってみていましたが、マケドニア問題に関連して移ってしまったとは知りませんでした。

またマケドニア人がギリシア人かどうかという問題は非常にセンシティブなものがあり、それに否定的な研究者(ボルザ、ベイディアン)に対しては研究妨害のような行為すら行われていたことが言及されています。自分たちの気にくわない研究者のセッションに乱入して妨害し、中止に追いやる、他の分野や題材でも起こりうることであり、このような行動は放置してはならないでしょう。手前勝手な理屈でそういう行動を正当化するのを認めることのないようにしてほしいものです。

そして、ウェブ上で書影が最初上がってきて、それを見た時から思っていましたが、表紙をオリュンポス山にしたのは、扱っている時期が重なるところが多いBorzaのIn the Shadow of Olympusを意識したのでしょうか。ボルザの本も表紙がオリュンポス山でしたが、あの山自体がマケドニアギリシア世界の境みたいなところにあり、当然意識することではあると思います。そして何より、古代史研究の世界において、長らくマケドニア王国の歴史自体がアテネを中心とするポリス世界を主として扱ってきたギリシア史研究の「影」に隠れているような所もありました。オリュンポス山の「影」から立ち上がり、ギリシア世界の覇権を握っていったマケドニア王国と、そんな時期を中心に扱ったボルザの本、その両方が重なる表紙だと思います。

そして何だかんだと言いつつも日本の古代史研究がやはりアテネが中心になっているなかで,本書が出た意味は非常に大きいと思います。ポリス世界中心のギリシア史研究の影からでて独自の発展を遂げ活況を呈している古代マケドニア研究が今後どうなるのかはなかなか難しい状況だと思います(現時点で現役の研究者としてマケドニアをやっているのは澤田先生だけのようです)。この本が刺激となって此方の分野に向かう人が出てきて欲しいと思います。マケドニアは古代史研究のみならず、現代のバルカン半島を巡る問題にも関わる題材であると思いますので、とにかくこの本を図書館で借りるなり購入するなりして読んでほしいと思います。