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周藤芳幸(編)「古代地中海世界と文化的記憶」山川出版社

西洋古代史研究というと、古代ギリシア史・古代ローマ史とすぐに上がる人が多いと思います。そして一つの歴史的世界として「古代地中海世界」というまとめがなされることもあります。しかし、「古代地中海世界」というとき、ギリシアとローマだけで事足りるわけでなく、北アフリカにはカルタゴが勢力を持った時代があり、小アジアや東地中海沿岸部にも独自の歴史的展開が見られます。そして、ギリシアやローマよりはるか前より文明が長く栄えてきたエジプトがあります。「古代地中海世界」について、「文化的記憶」というテーマからアプローチするのが本書です。

まず見慣れない単語である「文化的記憶」について序章でとりあつかい、エジプトやギリシア、ローマについて「文化的記憶」にまつわるさまざまな題材からアプローチしていきます。文献だけでなく、モニュメントや工芸品などさまざまな「モノ」にも注目している論文が多く掲載されており、ギザのスフィンクス、僭主殺害者像や聖域避難の図像などがとりあげられています。あるモノがそれが作られた時代にどう捉えられていたのか、それが後の時代になってまた違う捉えられ方がされていく様子はどうだったのかなど、なかなか興味深い内容が含まれていました。

ある歴史的な過去について、それが後世にどのように語られ、受け入れられていくのか、特に頻出する事例というものもあるようです。古代ギリシア世界においてはペルシア戦争アテネのエフェベイアを通じその記憶が継承され、さまざまな外敵との戦いにおいて想起される主題となっていることや、ペルシア戦争の報復という形で東方遠征論に影響していることが語られています。また、古代末期のローマでおきたある反乱についてその記憶がどのような場面で想起され、何のために利用されたのかを探る論文もあります

過去の出来事が人々に伝えられ共有される際に、異なる意味づけがされたり変容していくこともあります。アテナイにおける過去の「喧騒」の記憶の扱いについて論じた章では、民会演説と法廷弁論で異なる評価がなされる「喧騒」を扱いながら過去の記憶の想起と共有について論じています。複数の場や機会とそれに応じた描き方の違いの存在がアテナイ市民の価値観形成、共有にも影響を与えていたといった感じのことが描かれています。

本書にはマケドニアについて扱った論文もあり、国内および国外に対する権威強化の手段として建国伝説を利用したこと、歴代国王による自己演出を通じ「ギリシア人」アイデンティティをアピールしたこと、かつてペルシア戦争でペルシアに与したマケドニアがペルシアに対する東方遠征を指導するにあたり、マケドニアの「過去」がどのように思い起こされて語られたのかを探るとフィリポス2世の宮廷に集った知識人たちが寵を得ようとして競うなかでペルシアへの報復戦争というプロパガンダが作られて、報復者というイメージはアレクサンドロスにも利用されたことが示されています。そしてアレクサンドロスの東征自体の記憶もその後ローマがパルティアやササン朝といった東方の王朝と戦う際に想起され利用されていったことが語られて締められています。

他には、古代ローマの皇帝イメージがどのように造られ広められたのか、そしてどのように受け止められていったのかを示したり、中世につくられたさまざまな時代と人々に関係する古代ローマの碑文集成から中世の人が古代をどのように捉えているのかを見ていく論文もあるなど内容は多岐にわたります。お値段は張りますが、興味のあるところから読み始めるもよし、初めから真面目に読むもよし、十分に楽しめると多います。私自身も、マケドニアを扱った論文があり、そこから興味を持って購入したのですが、ほかの論文も面白く読めました。