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澤田典子「よみがえる天才4 アレクサンドロス大王」筑摩書房(ちくまプリマー新書)

アレクサンドロス大王関連書籍というと、欧米諸国では汗牛充棟の様相を呈しているところがあります。しかし日本ではギリシア史研究がアテネ中心であったということもあり、研究者の数も少なく、それほど本が出ていないのが現状です。そのような状況下で、数少ないアレクサンドロスマケドニアの研究者である澤田先生がアレクサンドロス大王についての一般書を出しました。

本書の構成としては、ポストモダンの潮流の影響とアレクサンドロス 研究をめぐる昨今の状況から話が始まり、アレクサンドロス以前のマケドニアおよびその頃のギリシア世界の状況がまとめられ、アレクサンドロスが生まれてからの出来事と彼により行われた東方遠征、そして彼の死後、どのような形で彼に関する事柄が語り継がれていったのかということをまとめるという形を取っています。

上述のような構成をとる本書は、史料の取り扱いについてかなり慎重なところがみられます。アレクサンドロスに関する主要史料はローマ時代に書かれた著作です。しかしそれらはローマ時代の文人たちにより創造されたアレクサンドロス像を伝えるものというのが近年の研究の傾向です。ローマの文人たちは自分たちが読者に伝えたいテーマを書く素材としてアレクサンドロス を使い、読者にわかりやすいような脚色を加えたり同時代のローマの文脈で解釈したりするほか、古典的作品(ホメロスヘロドトス)の叙述を真似るなどをおこない、ローマ人のローマ人によるローマ人のための「アレクサンドロス」を創造したと言ったところでしょうか。

アレクサンドロスの東方遠征に際して起きた事柄の叙述がローマ時代の創造であるということが最近の研究で言われるようになるなか、本書は全てにかんしてそのような立場に与しているわけではないのですが、ヒュパシス河畔の騒擾などについてはその辺りを踏まえた叙述になっていたりします。一方で、何でもかんでもローマ人の創造とするのでなく、東方協調路線へのマケドニア将兵の反発については、勝者が敗者の習慣を押し付けられることへの反発として、あったこととして捉えています。

また、本書ではアレクサンドロス以前のマケドニア王国の状況についてかなりページ数を咲いているように感じました。本書が始まってから70ページくらいまではアレクサンドロス登場以前のギリシアマケドニアに関する事柄が扱われていますが、最近の研究状況を反映したマケドニア史の叙述自体が貴重なため、結構有益なところかとおもいます。フィリッポス2世について兄のペルディッカス3世がフィリッポスにマケドニアで領土を与え軍事改革に着手させたということに言及した著作は珍しいでしょう。また、フィリッポス2世の業績についてもかなりページを割いてまとめています。個人的にはフィリッポス2世の伝記を書いて欲しいと思っているのですが、彼の時代の出来事をまとめた内容自体が貴重なので、ぜひ読んで欲しいところです。

本書ではアレクサンドロスとフィリッポスの関係についての言及が随所に見られます。フィリッポスのもとで強大化したマケドニアは、フィリッポス個人と将兵の結びつきを強め、彼に対する忠誠をつよめることでそれを成し遂げたところがあり、将兵の間ではフィリッポス追慕の思いが強かったということを指摘しています。それがアレクサンドロスにとり徐々に足枷のようになっていったということや、父親を越えようという思いが彼の大征服の原動力でもあったと言ったことを指摘しています。父子関係への注目も最近の研究動向で結構見られる内容ですが、それに関することがコンパクトにまとまっているとおもいます。

さらに、アレクサンドロスのイメージが増幅していった過程についても、かなりページ数を割いているというところも類書と異なるところでしょうか。アレクサンドロス死後の後継者諸将によるアレクサンドロスのイメージの利用だけでなくローマの文人たちによるアレクサンドロス像の創造、さらにはヨーロッパやイスラム世界、果ては東アジアにおけるアレクサンドロスのイメージの伝播についてもあつかわれています。そして、アレクサンドロス 研究の潮流の変化やヘレニズムとの関係にも踏み込んでいます。アレクサンドロスが後世にどのような姿で描かれ、語り継がれていったのかということから、それを行なった人々の考え方やものの見方、価値観といったものが浮き彫りになるというと言い過ぎですが、アレクサンドロスの受容からそれに関わる人々の歴史が描けそうです。

ローマの文人だけでなく東征に従軍したプトレマイオスやアリストブロス、カリステネスらも独自の関心からアレクサンドロスについて描き(アレクサンドリアの創建に関する話とかはプトレマイオスによるプロパガンダとも言えるようです)、さらにアレクサンドロス自身が自らを伝説化していたことなど、アレクサンドロスについては何重にもヴェールが重なった状態であり、それを一つ一つとりのぞいて真の姿に迫るというのはヘラクレスの難業のようなものでしょう。そういったこともあり、本書ではアレクサンドロスがどう書かれてきたのか、そこに頁をさき重点をおいているように感じました。

アレクサンドロスの生涯とその後のイメージの増幅と展開についてまとめた本文も面白いのですが、コラムでも興味深い事柄が触れられています。サリッサの形態や刃の大きさなどの実態や使用し始めた時期はよくわからず「超強力兵器」とは言い難いといったことから、ヴェルギナ王墓の被葬者についての問題(1号墳墓がどうも王の墓とは言い難くなっているのは初めて知りました)、現代のマケドニア問題やアレクサンドロスの記憶をめぐる問題、そしてアレクサンドロスについてのふたつの「もし」(グラニコスで戦死した場合と、バビロンで死ななかった場合)、これらも非常に面白いです。

現代のアレクサンドロスについて知りうることを、かなり抑制的なタッチで読みやすく書いており、森谷先生の本とこれをあわせてよむといろいろなことがわかるとおもいます。そして、時代の要請にこたえ、あらゆる領域でさまざまな文脈で描かれ続けるアレクサンドロスという題材をあつかった本書は、歴史を書くということについても色々と考えさせられる内容になっています。古代史関係者以外にも広く手に取って読んで欲しい一冊です。