まずはこの辺は読んでみよう

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ディオドロス(森谷公俊訳註)「アレクサンドロス大王の歴史」河出書房新社

20世紀末から21世紀の日本でアレクサンドロス研究を担ってきた森谷先生は最近大王に関する史料の邦訳をまとめて単行本に出したり、東征路の実地検分を元にイランでの遠征路などを復元しようとするなど、様々な活動を展開しています。そうした活動の一つとして、これまで紀要にて発表してきたディオドロス17巻の訳と註もあります。それが遂に単行本として刊行されました。

アレクサンドロス大王の研究ではローマ時代に書かれた文献にも依拠しながら研究を進めざるを得ないというのが実情です。主要史料として利用可能な大王伝としては、かつては「正典」とみなされてきたアッリアノスについては大牟田章先生による膨大な註のついた邦訳とそれを簡略化した岩波文庫があり、クルティウスとユスティヌスは京大学術出版会の西洋古典叢書から読めるようになっています。そしてプルタルコスは森谷先生が以前訳註をだしています。そんななか、ローマ時代に書かれた大王に関する文献のなかで、今まで邦訳がなかったディオドロスの邦訳が詳細な註とともに出たことは実にありがたいことです。

本書の内容は従来紀要に連載されてきたもので(間で一時中断が有り、その間にイランでの実地調査を行ってイランでの東征路を調べていました。それもまた「アレクサンドロス大王東征路の謎を解く」(河出書房新社)として刊行されています)、完結したのは結構前のことだったと記憶しています。その時の連載を一冊にまとめ、さらに最近のマケドニア史やアレクサンドロス研究の成果も盛りこんでアップデートしたものが本書です(例えば「古代マケドニア王国史研究」(東京大学出版会など)。紀要論文の時と比べて記述が増えている箇所(例えば、アッタロスを殺害したヘカタイオスについての考察が増えていたりします)、新たな研究成果を盛りこんだ箇所(インドの侵攻ルートについて、著者自身が実地調査を行って得た成果が反映されています)が結構見られます。

本文の訳文は読みやすく、註も充実しています。ディオドロス本文については東征軍の編成についてやへファイステイオンの葬儀などディオドロスにおいてのみ詳しく書かれている事柄がいくつかあります。これらのことについては他の大王伝と併せて読むなど慎重に読む必要はありますが、貴重な情報源です。また、同じ訳者によるプルタルコスの大王伝についても同様ですが、マケドニア史についての事柄はもちろん、ディオドロスがペルシアの事柄やギリシア本土の事柄なども扱っている関係で、いろいろなことについてちょっとした事典のような感じで読むことができます。

本書におけるアレクサンドロスの評価について、権力の高みにあって高慢にならぬよう思慮と自制を発揮し、寛大な態度で不幸なものにも接するようにという教訓を見て取れる箇所があります。彼の叙述を見ていると支配者は状況に応じ恐怖や力の行使もやむを得ないと見ているところもありますが、支配者の性質を考えたとき、傲慢になることなく寛大さや自制というものをいかに発揮するか、読者に考えさせたいという所でしょうか。また、ローマ時代のアレクサンドロスについては徐々に暴君化・堕落という書かれ方もありますが、全体としてディオドロスはアレクサンドロスに対しては肯定的な書き方をしているようにみえます。

本書の巻末にはディオドロスの来歴や「歴史叢書」の構成とその後の評価の変遷、研究の進展、そしてディオドロスの歴史書の特徴についてまとめた解説があります。本文の内容もさることながらこの部分が非常に貴重であると思います。完成版が出る前にすでに一部の内容が流布するなど、「海賊版」のようなものが出回っていたこと、生前には完成しておらずどうやら校正不十分な状態だった可能性があること(よく言われるディオドロスの年代や内容の不正確なところはこれが原因ではないかと考えられるようです)、なかなか興味深い事柄が取り上げられています。

そして、何より重要と思われるのがディオドロスの執筆姿勢でしょうか。ディオドロスというと、古典史料の切り貼りでオリジナリティもなく、所々不正確、信用できない歴史家という評価が以前よりなされていましたし、その傾向は今でも強いようです。しかしその一方で、彼が単に切り貼りをしたのでなく独自の基準を持ち史料を集め、圧縮して叙述し、自分の見解を付け足し練り上げているという見方も最近ではみられますし、道徳的有用性を目的としつつ様々な記述をみて概ね一致する説にしたがうが、両論併記的な対応もする、素材の配列とバランス、特に演説を多用せぬよう注意するといったことがあげられています。様々な書籍の統合・編纂により作られる「普遍史」に独創的な調査研究と同じものを求めるのはお門違いという感じもします。扱う範囲の広さや作業の大変さなどをみるに、彼の執筆作業や書籍の状況をみると、現代において一般向けのグローバル・ヒストリー系書籍を一人で書くというのが近い感じでしょうか。

また、彼の独自の見解に関連して、戦いの描写についてディオドロスの関心が戦いについても戦闘の前後や敗れた側の戦いぶりや武勇、巻き込まれた非戦闘員の悲惨な運命の方に向いていることが指摘されています。その立場からは、戦争と暴力に関する問題、戦争が文明を発達させるよりそれを破壊するものであり、それを否定的に書くことで次世代の価値観と思想によい影響を与えようという意図があるという説や、読者の哀れみと同情に訴え征服者の野蛮な行為に対し読者が批判的姿勢を取るよう促すという説が紹介されています。最近ディオドロスについての研究が進んでいるため、これらの説の当否についても今後検討されるのだと思いますが、勝者の栄光をたたえるだけでなく戦争の被害者の視点も含んでいるというところはアッリアノスなど他の大王伝とは違う所だと思います(いっぽうで、イッソスの会戦後、マケドニア軍によるペルシア貴顕の女性に対する行為のように、読者の受けを狙い意図的に性的刺激を与えるような描写になっているところもありますが、このあたりは時代の制約というところでしょうか)。訳文、注釈、そして解説もすべて是非ともしっかり読んでほしい一冊です。