まずはこの辺は読んでみよう

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Joseph Roisman 「Alexander’s Veterans and the Early Wars of the Successors」Univ. of Texas Press

アレクサンドロスの東征軍の中核を成したのはマケドニア人の将兵たちであり、特にマケドニア密集歩兵や近衛歩兵といった人々の占める割合は大きいものでした。アレクサンドロス死後の後継者戦争では彼らは様々な武将のもとで戦い、特にエウメネスの指揮下に入った「銀盾隊」は長い戦場での経験と勇敢さから名声を得ていたように描かれています。

いっぽうで、こうしたマケドニア人古参兵たちはすでにアレクサンドロスの存命時よりスサやオピスでの騒擾や、アンティゴノスと戦っている時のエウメネス軍での銀盾隊など兵士の不穏な動きなど、いろいろと問題を起こすことがありました。さらに、大王仕事、後継者選びの場ではメレアグロスとともにアリダイオスの王位継承を主張するなど、時と場合によっては重要な政治的決定にも影響を与えている場面が史料には見られます。

本書はアレクサンドロス東征中および大王死後のバビロンでの後継者選出、その後始まった後継者戦争の初期、エウメネスがアンティゴノスに敗れる頃までを対象とし、マケドニア軍の古参兵の中でも歩兵たちの動向に絞りながら、彼らの動向を史料を精査しながら描き出していきます。

まず史料の問題として、後継者戦争に関する重要な典拠としてカルディアのヒエロニュモスの著作が挙げられていますが、王や武将の視点から古参兵たちの姿が描かれているという、史料の偏向の問題が指摘されています。こうしたことを踏まえた上で、マケドニア古参兵たちが王や将軍たちにどのように相対してきたのか、兵士たちが王や将軍に対しどの程度影響力を及ぼすことができたのか、そして、後継者戦争序盤において古参兵たちが戦場でどのような働きを見せていたのかといったことが論じられます。

後継者戦争序盤に古参兵たちが軍の中で影響力を及ぼすことができたのは、将軍たちが対立しまとまりきれない状況という極めて限定的なものであること、古参兵にとりマケドニア人としての団結や王家への忠誠というのはそれほど重要なものではなく、将軍が勝利を収め続け、兵士たちの生活にも配慮している限り忠実に従っていくといったことがまとめられています。将軍たちが古参兵の取り扱いに手を焼いているような場面は史料にはいろいろと書かれていますが、古参兵たちは物量に物を言わせれば従うと言うわけではなく、その点では傭兵とは異なる気質の持ち主であることも示されています。

さらに、エウメネス麾下の「銀盾隊」がアンティゴノスの歩兵部隊を圧倒する場面が出てくるなど、後継者戦争の時期にマケドニアの古参兵たちは活躍しているようにも思えるのですが、実際の戦闘では果たしてどうだったのかと言うことも論じられています。そして、後継者戦争の時代、戦場での勝利の鍵となるのは歩兵ではなく騎兵であり、歩兵の古参兵たちには戦の帰趨を決する能力はそれほどなかったと考えられています。

しかしアレクサンドロス東征に付き従ったということは古参兵たちに彼ら個人の自尊心、名誉や特権をもたらす物として重要であったようです。また、彼らも東征軍に従軍していたことを碑文に刻むなどいろいろな形でアピールしていることも知られています。

アレクサンドロス後継者戦争の諸将たちの視点からでなく、古参の歩兵という「下から」とらえたマケドニア軍事史に関する本として面白く読むことができました。現実の政治や軍事に関わる場面ではその場を決定づけるような力を振るえる存在ではなく、年月が経つにつれ減少していく古参兵たちにとり、アレクサンドロス大王の東征に従軍したという事実は各地に分散させられ、僻地での守備隊勤務などに使われるなど、厳しい状況に置かれた中での心の拠り所となった可能性はありそうですが、はたしてどうなのでしょう。