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フラウィオス・アッリアノス(大牟田章訳)「アレクサンドロス大王東征記」岩波書店(岩波文庫)

私のメインのサイトでは、マケドニア王国史や漫画「ヒストリエ」に関係する話題を扱ったコーナーがあります。古代のマケドニア王国史というと、アレクサン ドロス大王が何よりも有名ですが、彼について同時代に書き残されたものはごくわずかしかないようです。そんな彼の生涯を再構成するにあたり良く用いられる 史料はいずれも共和政末期から帝政期に書き残された物です。

その中でも、かなり信憑性が高い史料として扱われてきたのがアッリアノスの作品です。彼はトラヤヌス、そしてハドリアヌスの治世に生き、属州総督や執政官 を務めた文人政治家です。彼以前にもディオドロスやクルティウス、ポンペイウス・トログス(現在はユスティヌスによる抄訳の形で伝わっている)、そしてプ ルタルコスといった人々がアレクサンドロスについて書き残していますが、彼の作品が最も信頼性が高いものとしてあつかわれています。

マケドニア王フィリッポス2世が死に、アレクサンドロスが即位したところから話は始まり、北方とギリシア本土の情勢を描いた後、いよいよ東征に出発しま す。彼が主たる典拠としたものは東征に従軍したプトレマイオスとアリストブロスの作品で、東征についての軍事行動の記述のほか、遠征の過程で東征軍が通っ た場所についての地誌的情報が非常に豊富です。

激しい戦闘がおこなわれ危うく彼自身が命を落としかけたグラニコス河畔での戦い、ダレイオスとの最初の直接対決であり、背後をとられたにもかかわらず不利 を挽回したイッソスの戦い、そして相手が大軍を最大限に活かしうる戦場であったにも関わらず完勝したガウガメラの戦いといった東方遠征序盤の三大会戦のみ ならず、ハリカルナッソスやテュロスなど堅固な都市の攻囲戦、スキタイ人やインドの諸部族との戦いに到るまで、アレクサンドロスの東征について軍事面での 記述は非常に充実しています。

東征という難事業の様子からは、寡兵を以て大軍を破るために布陣や部隊の展開に工夫を凝らし、スキタイの騎馬軍やインドの象部隊といったそれ程頻繁に戦っ たことがない相手に対しても有効な対抗策を講じるなど、東征中に経験を積み重ねるごとに戦いにおける創意工夫がより巧みになっていく様子が窺えます。

現世での敵だけでなく、神話の世界の英雄とも張り合いながら、長きにわたる遠征を継続し、兵士達の反対がなければさらにインドの奥深くまで攻め込もうとし た、戦いを通じて成長した軍事の天才としてのアレクサンドロス像が描かれています。一方で、アレクサンドロスについて批判的な視点はそれ程前面に出される ことなく、基本的にはアレクサンドロスに対し肯定的な見方をして書かれているところも感じられます。

アレクサンドロスの東征は長い時間をかけた大事業でしたが、それと匹敵するインドからの航海を成功させたネアルコスの話も本書には収録されています。補給 もままならず、未知の海への航海を実行し、そして成功させたネアルコスもまた、アレクサンドロスとかなり似たメンタリティを持っていたのではないかという 気がしています。そんな彼の航海の記録をもとにした「インド誌」も収録されています。

常に何かと競い、挑み続けた若き王の生涯を、読みやすい日本語訳にして出してくれることは非常にありがたいです。可能であれば品切れ重版未定にすることの無いように、岩波書店さんには重ねてお願いしたいところです。