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増永理考「ローマ帝国を生きるギリシア都市」京都大学学術出版会

ローマが地中海一帯を支配下に置いた時代、ギリシア人の著作をもとにギリシア人たちがローマについて彼らの認識の枠組みでどのように処理してきたのかはアルトーグ「オデュッセウスの記憶」で書かれていたことではあります。では、実際にギリシア人たちが帝政期にローマ支配下の世界でどのように生きていたのか。本書は小アジアギリシア人ポリスを題材とし、碑文史料を多く用いながら描き出していきます。

小アジアギリシア都市で有力者たちが都市の構成要素となるような建造物を奉納したり、都市であらたな競技祭の開催でお金を出したりしていた様子をしめす碑文や文献などを用い、都市の内部で起きた変化やそうした行為が持つ意味を示していきます。また、時代が下るにつれて都市の有力者が建造物の奉納よりも都市で開催される祝祭のほうに力を入れる傾向がみられることについても、決して二項対立ではなく相補的なものであることも示されていきます。

さらに小アジアでは諸都市が「コイノン」という政治的集まりを形成していくなか、コイノンの公職者が様々な都市に対して奉納を行っていますが、都市の方から働きかけている様子が見られたり、ローマとの関係を皇帝崇拝の神殿を建設したり、ローマ風競技会(剣闘士競技)を実施したりとさまざまな形で保とうとするようすもうかがえます。

こうしたことから、当時の小アジアギリシア都市の置かれていた状況や彼らの振る舞いが明らかになります。公共建築物や祝祭の奉納から明らかにされるのは、小アジアで競い合い、ローマから完全に自由ではないながらも(建造物の確保や祝祭の運営についてローマに下支えしてもらっているところもあります)、自立したギリシア都市の姿というところでしょうか。また、活躍する競技者を抱えていることや建造物を建てたり修繕すること、祝祭を新たに開催することで多くの人を呼び寄せたり、建造物を使い続けることで経済的利益がもたらされるということも見られます。都市の魅力を増すことで地域での序列を競い合い、例え同じコイノンの都市どうしてあっても少しでも優位に立とうとする、そして優位に立つためにはローマも利用する、そんなギリシア都市の姿が描かれているように感じました。

その一方、ギリシア都市の中での変化が進んでいる様子も窺えます。都市の有力者が建造物を奉納する際に奉献の対象が都市共同体である場合、それをめぐる表現が人のつながりを示す「デーモス」から国家や空間といった面を強調する「ポリス」に変わっていきます。これについては都市の市民の結びつきが希薄になっていくところもみられるようです(相対的なものではあるようですが)。また、都市の有力者の公共心減退がうかがえるほか、有力者の都市流の可能性もしょうじてきていたようです。一方、建造物の奉納にかわり2世紀には祝祭に資金を提供することが増えていきますが、祝祭は都市住民のアイデンティティを強化するうえで建造物より少額でかつ持続的に提供可能ということで、変わりゆく状況への対応として役立つところがあったようです。

帝国支配に加担するうえでの見返りとなるローマ市民権を保持する「共犯者」が少なく、適度に自立的な環境下、都市の魅力を増して多くの人を惹きつけ、名誉や序列をめぐり競い合うギリシア都市が織りなす世界を知ることができます。単に帝国の支配におとなしく従っているのとはまた違う世界がそこにあることがわかる一冊です。