まずはこの辺は読んでみよう

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フランソワ・アルトーグ(葛西康徳、松本英実訳)「オデュッセウスの記憶」東海大学出版部

古代ギリシアについて、ギリシア人は自分たちを「ヘレネス」、異民族を「バルバロイ」と呼んで区別していたということは世界史の教科書にも出てきます。では、何をもってギリシアと非ギリシアの区別をつけるのか、そして両者の境界はどこにあるのか。

本書では「オデュッセイア」に登場するオデュッセウスの旅を手掛かりとしつつ、ギリシア人が他者をどうみるか、(ギリシア人の目を通した形になりますが)他者がギリシア人をどうみるのか、異なる文化との交流や対立などをギリシア人はどのように考えてきたのか、ローマや一部の分野では近代までも含めて考えていくという本です(ヴィンケルマンの旅や啓蒙時代フランスの作家の著作もあつかわれています)。

帰りたいのに帰れないオデュッセウスの旅は様々な非ギリシア世界、非ギリシア人に遭遇する旅となっていたことや、またギリシア人が自分たちよりも古い歴史をもち、様々な知識の源となっていると認識ているエジプトについて、ギリシアバルバロイという二項対立的な発想法をどのように適用したのか、そしてギリシアバルバロイという区別が明確化されるいっぽうで、ギリシア人が自己に向けた視線にも触れ、ギリシアの中でも、文明化された世界とそうでない世界の区分を考えていたり、単なる田舎だったアルカディアがいつの間にかに最もギリシア的な要素を持つ場所へ変貌し、さらにはユートピアとみなされていくことなどがのべられています。

ギリシア人にとって、扱いに困る集団としては古い歴史を持ち様々知識の源となったエジプトだけでなく、ローマもまたあつかいにこまるところがあったようです。エジプトについては、ポリスを作ってないとか、王の支配を受けているという点でバルバロイの要素を持つという感じで処理したようですが、ギリシアを征服し、地中海世界一帯を支配したローマについてはどう対応したのか、ポリュビオスハルカリナッソスのディオニュシオスなどの著作を通じて探っていきます。

マケドニアやシリアを破り、カルタゴに勝利し、ギリシア本土を支配下に置いたローマについて、古代ギリシア的な参照軸によりローマの政治体制を検討し、ギリシアに対するローマの優位を説いたポリュビオスや、ローマの期限が実はギリシアにあるという論を立て、さらにローマを「開かれた都市」ということなどでアテネやスパルタより完成された都市と考えたディオニュシオス、ヨーロッパを「一つのポリス」のようにし、ポリス的なものを各地に伝えたという形でローマをとらえたストラボンなどをみていると、ローマが「ギリシア的なもの」全般の到達点であるということにして処理しているように見えます。

ギリシアと非ギリシアの境界がどのように設定されて行ったのか、興味深い内容を扱った一冊ですが、ローマとの関係ではギリシア人の側でも、ローマによる征服という現象を古代ギリシアの二項対立世界観のなかにどのように落とし込んでいくのかをめぐる知的努力の跡を示す箇所は特に面白く読めました。文章の運びがなかなか思弁的といいますか、日本の歴史の専門書とは随分と違う感触の文章のため、そこに慣れるまでは少々骨が折れるかもしれませんが、格闘しながら読む価値はあると思う一冊です。