まずはこの辺は読んでみよう

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チャールズ・キング(前田弘毅監訳)「黒海の歴史」明石書店

海とそれを取り巻く世界については歴史的に多くの研究が積み重ねられ、今も続いています。しかし、地中海やインド洋と同じく古代から様々な文明・文化の交流や経済活動の舞台となり、沿岸部では様々な帝国が栄え、諸集団の移動が活発であり、近現代には国際政治や経済活動の焦点となりながら、どうしても日本ではあまり注目されていないように思われる海があります。それが本書で扱っている黒海です。

本書を読むと、古代から現代まで、黒海の沿岸地域には様々な人々が活動してきたことがよくわかります。古代ギリシア人たちにより、すでにこの地域を舞台にした商業活動や植民が展開されていたり、ミトリダテス6世のような君主の活動がみられ、いっぽうで北岸にはスキタイ人など遊牧民たちが暮らす平原の世界があり、植民者たちとの間で交流・対立がみられますが、その様子がわかりやすくまとまっています。

そして、黒海沿岸部のかなりの部分を支配下に置いたローマ帝国以降、黒海ビザンツオスマン、ロシアといった帝国の進出がみられます。いっぽうで北岸地帯を中心に展開したステップの遊牧民勢力(その最後の流れがモンゴルです)と諸帝国や都市国家との関係、この海を舞台とした人やものの流れといったこともまとめられていくとともに、トレビゾンドなど、この地域で栄えた興味深い勢力などのことにも触れられています。

また、この本ではアジアとヨーロッパの境界に位置すると言ってもよい黒海周辺地域の歴史を描くことを通じ、「ヨーロッパ」とは何かを考えさせるような内容も含まれています。本書の序盤ですが、古の賢人アナカルシスとその子孫の目を通すという形で、近代ヨーロッパ人による自己認識の形成が果たされたといったことが述べられています。自分たちと違う何かを考えながら、自分たちが一体何者なのか、どのような存在なのかを考え、作り出していくことはよくあることだと思いますが、黒海の水面はヨーロッパを映し出す「鏡」のような役割を果たしたというところでしょうか。

そして、近現代になり、民族をめぐる悲劇、国民国家建設をめぐる様々な衝突が多くみられ、それが今に至るまで続いている(未承認国家が複数存在していたりします)、衝突の舞台としての黒海周辺世界の姿も描かれています。ヨーロッパで生まれた価値観がこの地域ではより先鋭的な形で現れてきたというところでしょうか。一方、黒海の環境問題や経済などについて国際協力を進める動きもあるなど、交流の舞台としての黒海の姿が今もなお続いていることにも言及がなされています。

諸集団の衝突と交流の舞台となり、なおかつヨーロッパとアジアという二つの「文明圏」の境界にもある黒海周辺地域の歴史についてまとめつつ、今の世界のあり方についても考えるヒントを盛り込もうとした一冊だと思います。まず、題材の物珍しさ、あまりなじみのない新しいことを楽しんでから、この世界での人々の動きから色々と考えてみると面白いだろうなと思う一冊です。