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デイヴィド・アブラフィア(高山博監訳、佐藤昇・藤崎衛・田瀬望訳)「地中海と人間 I•II」藤原書店

人類と海の関わりは古代から現代まで様々な形がとられ、海の世界を題材とした本は色々なものが出されています。そのなかでも地中海というと、ブローデル「地中海」が代表的な著作として取り上げられることが多いです。地中海の環境、社会、そして出来事、これらが長期・中期・短期という時間の三層構造としてとらえながら、フェリペ2世時代の地中海の歴史を扱うという感じの本でした。出来事の歴史よりも社会、そして環境といったものに重きが置かれた著作だったような印象があります。それに対し、アブラフィアの「地中海と人間」は地中海における人間の交流に重きが置かれ、旧石器時代から現代に至るまでの地中海を舞台とした様々な勢力の興亡や交流の歴史を描き出しています。

本書は地中海の歴史を5部に分けてとらえ、描き出しています。第一の地中海が旧石器時代から青銅器時代の終わりまでをあつかい、地中海を舞台にした活発な交流と衝突が描かれ、第二の地中海としてフェニキア人やギリシア人の活発な活動の時代から、ローマ帝国による「我らの海」の実現とそれの崩壊が扱われます。第三の地中海はイスラム勢力の地中海進出とキリスト教勢力との抗争、そして地中海を舞台に展開された交易、特にヴェネツィアなどイタリア都市の動きが多くみられます。

第四の地中海はペスト流行による打撃から回復していく時代、地中海ではオスマン帝国の進出とそれに対するキリスト教徒の対応や、地中海で活動する海賊たち(ヨハネ騎士団や北アフリカの海賊たちなど)の活動が扱われ、第五の地中海が19世紀から現代、地中海に面しているわけではないロシアやイギリス、アメリカといった国々が政治など様々な要因からこの海に進出しようと試み、イギリスのように拠点を築く国も現れることや、諸集団の交流・共生の場のようであった地中海においてすら民族による分断が現代には生じたことが対象となります。地中海観光もここで扱われています。

いっとき、「社会史」がブームとなっていた頃はなんとなく政治や軍事の歴史は軽視されているような雰囲気もありました。しかし政治や軍事といった人間の活動は社会を理解する上でも必要で、例えば交易に従事する商人たちが安心して活動できるかどうかは、海の安全が保たれるか、必要な物資の補給が受けられるように寄港地を確保できているか、そういったことにかかっています。本書では地中海を舞台に様々な集団の交流と衝突が展開され、人間集団が織りなす出来事の歴史について、様々な事例、多くの場所や集団が取り上げられています。地中海世界を舞台とした交易のネットワークや地中海における人々の混淆が危機の時代をへて形や規模を変化させつつ続いている様子や、地中海をめぐる諸勢力の覇権抗争が描かれています。

「出来事」の歴史を重視しながら描き出された地中海世界の通史は、具体的な事例が豊富であり、2冊、それもどちらも大部となると読むのが大変と思うかもしれませんが訳文は非常に読みやすいです。ブローデルの「地中海」が正直邦訳が良くないのか非常に読みづらく内容理解を難しくしているのではないかとさえ思えるのですが、事例が多いことによる大変さはさておき読んで意味が分かりづらいことによる大変さを感じることはそんなにない仕上がりだと思います。大部で情報量が非常に多い本ですが、読みやすい文章で書かれており、多くの人に挑戦してほしい著作です。