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古松崇志「草原の制覇 大モンゴルまで」岩波書店(岩波新書)

岩波新書からシリーズとして中国の歴史が出始めています。第1巻は古代をちゅうしんに唐の途中まで、第2巻は江南の歴史ということで南宋あたりまで扱います。そして第3巻では草原の騎馬遊牧民の世界の歴史を扱い、モンゴルによるユーラシア広域支配、中国では大元ウルスによる支配が行われた時期までがまとめられています。

舞台となるのはユーラシア東方世界(東部ユーラシアとして扱われる範囲と重なるようです)、ここに興亡を繰り返した騎馬遊牧民があるときは中国本土に進出し、さらには広大な帝国を作り上げ、またあるときは中国の王朝も含めた多極体制を成立させてきた歴史を、五胡十六国時代から唐による支配と、突厥ウイグルといった勢力との角逐、契丹の登場と新たな支配体制の形成、契丹突厥沙陀部の勢力との関係、女真族による金の建国と華北支配をえがき、そしてモンゴル帝国時代が扱われます。

突厥の言葉ではタブガチ(拓跋)と呼ばれていたように、北魏から唐まで含む「拓跋国家」としての中国の歴史と突厥ウイグル、そしてチベットの関わりについて1章を割いてまとめています。「拓跋国家」は隋・唐の時代になり中国の統治制度を基礎として統治制度を作り上げたということが触れられていますし、文化的な事柄(密教の流行と日本への伝来など)にも触れています。また、モンゴル帝国の歴史や文化(宗教の話題や朱子学の流行と伝播についてふれています)、社会経済的な事柄、東西交流についてもコンパクトにまとめられています。しかし、それ以上に、契丹女真の国制や社会、文化、そして彼らが活発な活動を見せていた時代のユーラシア東方世界ついての記述が非常に充実していると感じました。

遊牧民の帝国というと急激に拡大したかと思うと突然瓦解したりするという印象が強いのですが、契丹は定住民を吸収して領内に住まわせ、遊牧国家の仕組みと中国王朝の制度を併用して支配を進めるという点で革新的であるということが指摘されています。さらに契丹の場合はオルド(皇帝の宮廷のようなものと捉えて良いかと)に直属する近衛軍団を組織したり、駅伝制度や文書行政といった交通や通信の制度を整え、集権化を可能にしたという点でも革新性を備えていたといいます。

また、契丹の時代にはユーラシア東方において盟約を結び複数の王朝が共存していく多国体制が作られていったということも指摘されています。契丹突厥沙陀系王朝の盟約、そして北宋とのセン淵の盟などに代表されるものですが、こうした多国体制は金の時代にも再現されていきます。そしてこの体制のもと、歳弊や歳貢という形で江南の富が北に流れこみ、ユーラシア東方世界の経済的結びつきの強化につながっていったということも指摘されています。

個人的には、軍事に関する話がなかなか興味深いものがありました。唐の軍制では農民を集めて訓練する府兵制ということが強調されています。しかし唐は太宗、高宗の時代に突厥を討ち彼らを服属させ、さらに西域にも広大な勢力を築き上げています。騎馬遊牧民帝国の突厥相手に府兵制でかき集めた農民の軍団で一体どうやって勝利したのかと前から気になっていたのですが、どうやら唐の軍事力の中核を担ったのは遊牧系軍事力であること、領土拡大を支えた遠征軍の構成を見ると、騎馬遊牧民の軍事力を活用していたということが示されています。

また、北宋契丹と戦って敗北し、燕雲十六州奪回に失敗し、セン淵の盟を結ぶことになりますが、北宋の軍についても突厥沙陀系軍団の戦い方を引き継いでいたということが指摘されています。きばぐんちゅうしんの軍による電撃的な攻撃、平原での会戦の志向といったところにそれがみられるようですが、その戦い方の弱点を契丹に突かれ敗北したということが指摘されています。突厥沙陀もまた遊牧民の集団であり、騎馬戦術を駆使していたようですが、騎馬遊牧民の戦術にもいろいろな戦い方があることが伺え、なかなか興味深いものがありました。

本書では、モンゴル帝国についても1章をさいてまとめており有益なのですが、契丹やタングト、女真とその周辺にいた諸集団(青唐チベットなんて初めて聞きました)についても興味深い事柄がまとめられています。最近の研究成果を盛り込み、読みやすくまとめた一冊としておすすめです。