まずはこの辺は読んでみよう

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新見まどか「唐帝国の滅亡と東部ユーラシア」思文閣出版

唐の歴史は安史の乱の前と後で大きく代わると言うことは言われています。前半の頭部ユーラシアの「世界帝国」という感じだった時と比べ、後半になると唐は藩鎮の割拠や対外的劣勢などのなか、中国型王朝へと転換していくと言うことが言われています。人によっては長い余生のような扱いをする人もいるようです。

しかし、藩鎮割拠状態とされる後半の唐は150年ほど続いており、「世界帝国」だった時代以上の長さですし、そもそもなぜそんなに持ちこたえられたのかと言うことに正面から答えた本がそれほどあるのかというと微妙なところです。

本書は東部ユーラシア情勢のなかで藩鎮割拠状態の唐がどのような歩みを見せたのか、さらにその後の時代、どのような事態が発生したのかを論じていきます。

唐の後半というと藩鎮が割拠し、唐は衰退していったというかたちで世界史教科書などでは語られがちです。確かに河朔三鎮のように唐のコントロールから離れ自立傾向を強めた藩鎮もありますが、全ての藩鎮が勝手に振る舞うようになっていたならば唐は150年も続かなかったでしょう。どのようにして唐は支配を維持したのか、そして唐の滅亡と五代の時代にどのようにつながっていくのかを、河朔三鎮など河北から河南におよぶ地域に存在した安史軍系藩鎮に焦点をあて描き出していきます。

まず、藩鎮体制形成期に藩鎮が地位と権力を保つためにとった手段が検討されています。安史系藩鎮の中で婚姻関係を結び、安禄山・史思明を崇拝対象とする彼らのなかで安禄山の「仮子」であった李宝臣が藩鎮のなかで特に有力視され結集の軸となっていたこともあれば、ウイグルとの婚姻を背景に反旗を翻す者もいます。また唐の朝廷も公主降嫁を行い関係強化を図るといった対応をとったことも知られています。さらに河南の藩鎮には海商と結びつき新羅渤海との交易で利益を得たり、内陸交易とのつながり、さらに山岳狩猟民も軍事力として組み込んでいた事例が見られます。さらに海商や山岳狩猟民との繋がりを作るにあたり寺院が大きな役割を果たしたことも指摘されます。藩鎮体制成立に際し、唐後半に現れた新興勢力(ウイグル新羅商人)との連動が見られるというのが重要な指摘だと思います。

藩鎮体制の変容期についても検討されています。一つの転換期として840年代、ウイグル崩壊が見られた時代をあげています。そもそも節度使設置は辺境防衛、北方の脅威への対応といったことから置かれてはじめたとはよく言われていますが、藩鎮側でも北方の脅威の存在を理由に世襲を求めることがあったようです。しかし朝廷側ではウイグルの崩壊が見られた時期、ウイグルに備える文を国内の内乱鎮圧に振り向ける余裕が生じ、実際そのような対応を取ろうとします。このあたり北方情勢の認識のずれが藩鎮と朝廷の交戦に至る原因だったというようです。河朔三鎮に対しても既得権を認め脅威を弱めることに成功した時期があり、それによって反乱を収めることもできました。対外的脅威の減少、内部の安定をみた唐の朝廷は軍団を縮小したが、受け皿もないものたちが河南の不安要因となっていくという別の問題を生じさせたようです。

そんななか、唐を実質的に滅亡に追いやることとなる黄巣の乱がおこります。塩の密売人で科挙に落ちたという経歴の黄巣が起こした反乱ですが、不穏分子が多く溜まっていた河南に蓄積し、それを糾合したのが黄巣の乱です。唐は切り札となる軍事力として北辺遊牧民(沙陀など)を有していました乱の初めの頃、北方遊牧民の世界でも李克用の反乱がおきていたという、唐の社会・経済・軍事の問題の組みあわさりが滅亡をもたらしたということが指摘されています。唐の滅亡を中国内部の問題だけでなく、東部ユーラシア世界との関連も踏まえながら展開される結論はなるほどなと思います。

この乱の時代に特に影響を受けず残存していた河朔三鎮についても、唐滅亡後もある時期まで存続し、自らの生き残りのため様々な相手と提携しようとしていたことや、河朔三鎮のあった河北が唐の制度や文物を維持し伝えただけでなく、唐をつぐ正当性をものちの王朝に伝えていたのではないかという指摘がみられます。この時期の中国における仏教の重要性も示されているのが興味深いところです。また、会盟を結び境界、両者の関係を安定させるという次の時代の国際関係のようなものも現れます。次の時代につながらないように見えるところでも、その後の時代に顕著になる要素の萌芽が見られるという感じで面白いです。

唐の藩鎮体制の歴史を東武ユーラシア世界の歴史の流れの中に位置づけていきます。藩鎮をささえる武力や経済基盤を見ると、北方民族もいれば新羅の海商もあらわれるなど、実に多様な人材により支えられていますし、唐との関係でも互いに依存するような面も見られることがわかります。そもそも、唐の藩鎮について置かれた場所によって果たすべき役割にも違いがある(河朔三鎮のような所以外をみると、対河朔三鎮、対辺境防衛のためのものもあれば、財政面で唐を支える藩鎮もあるなど,大まかに違いがあるようです)ということが序章ででてきますが、そのことも非常に刺激的でした。各地に割拠する藩鎮と唐の関係を詳しくみていくことが大事なのでしょう。最近、森部豊「唐」をよんだところだったので、これはこの時代の状況についてより解像度を上げられる一冊だと思いました。値段は張りますし、決して易しくはないですが、「中国本土」の中に限定されない、より広い視野から唐の歴史を見ていく本書はぜひ読んでみて欲しいと思います。