まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

このブログについて。

いままで、サイト開設から2007年10月20日で4年目にはいったサイトHistoriaで読書コーナーを設け、その間に歴史関係の書籍を中心に色々な本を読み散らかして、紹介・感想を書いてきました(中にはあまり内容を覚えていない本もあったりしますが)。過去4年間はサイトの容量のことを考え、短い紹介程度にしてきたのですが、それだけでは何となく語り尽くせない物もありました。そこで、もっと色々なことが書けるような場がほしいと思い、サイト開設から4年を迎えるにあたって、あらたにブログのような形で掲載してみることにしたというわけです。

 

なお、こちらのブログはだいたい月に1回か2回、長めの感想を書くために使おうと思います。また、サイトのトップページの更新では3回分しか載せていないため次々に消えていく読書記録をメモする場にもしようかなと思っています(今月の読書と言った感じでまとめます)。

ではでは、これからもよろしくお願いします。なお、感想などありましたら、サイトの掲示板に書き込むか、サイトのどこかに載せているメールアドレス宛にメールを送って下さい。

 何でそんなことを書くのかというと、ブログのコメント欄でのやりとりって正直なところ好きじゃないんですよね。なんかその話題以外触れちゃいけないみたいで…。

 

「HISTORIA」の管理人より.

 

2016年12月15日:世界史リブレット人シリーズの全タイトル紹介ページに、それぞれの感想をリンクしました。こちらからどうぞ。

 

 

西田祐子「唐帝国の統治体制と「羈縻」」山川出版社

様々な史料を読み解き、それをもとに歴史を書くというのが歴史の研究・記述において行われていることですが、その史料が果たしてどこまで同時代の認識を反映しているのかというのは常に気になるところです。同時代史料であっても、それがごく一部の変わり者の意見なのかはたまた一般的な社会通念の表れなのか等は気になります。そのため、そこに何かが書いてあるから、それが実際にそうだったのだとは単純にとれないところがあります。

本署で現れる唐の羈縻政策についても、現代の研究者の認識は唐の滅亡から大部後の北宋時代、欧陽脩らにより編纂された「新唐書」によっていると言うことは知られています。唐では異民族の首長に都督や州刺史といった官職を与えて集団を統率させる間接統治をとり、それを羈縻政策・羈縻支配としたというのが一般的な理解です。

しかし、この理解を支える土台となる「新唐書」編纂に際し編者達はどのような史料操作を行ったのか、そしてそこに書かれている羈縻が本にした書物に由来するのかはたまた編者達の見解なのか。「新唐書」の検討を本書ではまず、トルコ系集団に対する羈縻支配が実際に行われていたのか、「新唐書」の記述を検討するところから始まります。

その後は唐の時代に実際に使われていた「羈縻」という言葉がどのような意味を持たされていたのかをあつかい、そしてしばしば唐の羈縻政策との関連で出てくる蕃についても検討します。これらの分析に基づき唐の支配や秩序について解明する手がかりを得ようというのが大まかな内容となります。

まず刺激的なのが、「新唐書」の羈縻に関する記述は信用できない,そこに書かれているのは唐代にはなかった北宋の人々が認識した羈縻であり、実際の唐の時代の「羈縻」ではないというところでしょうか。本書ではトルコ系遊牧民達の事例、そして地理志羈縻州条を検討していますが、これらの検討を通じて明らかになるのは編者達が史料を操作し、元々はなかったものを混ぜ、全体として整合性がとれているような感じでまとめようとしているところです。

このような史料である「新唐書」をそのまま唐の時代を描いた史料として使うことの危険性を示した上で、では唐の時代に現れる「羈縻」とはなにかという問題、そして羈縻政策を語るとたいて触れられる「蕃」の問題にも切り込んでいきます。そこで示されるのは、「羈縻」はつかずはなれずの共存関係、唐からの管理や制限が存在しない状態であり、従来羈縻支配が行われているとされてきた北方のテュルク系などに対しては唐からの管理や制限(そして保護)を受けており、むしろ唐の支配の仕組みに組み込まれている様子さえ見えるという状況です。

また、部族の兵を率いる蕃将を唐が軍事面で用いていると言うこともよく出てきますが、唐の「蕃」について、「羈縻州」と別に「蕃州」というものがあったと想定される史料が出土していることや唐の官人には漢と蕃のものが並列的に存在していた形跡があることも示されています。こうしたことから、唐の内部において「漢」と「蕃」が存在し、唐の支配もいわゆる羈縻支配だけで語れるものでないことが明らかになっています。

本書は「新唐書」の記述を分析し、そこに書かれた「唐の時代のこと」が北宋時代の認識を色濃く反映したものであり唐の時代のことをそのまま伝えているわけではないことを、羈縻の事例を本に示す、文献の検討にかなり重きが置かれています。「新唐書」が宋の時代に作られたもので、宋の時代の認識というフィルターを通して我々は唐を見る、唐について研究する問いうことを長年続けてきたわけです。

しかし、これだけ色々と操作があり、宋の時代の認識が混入しているとなると価値がないかのように思うかもしれませんが,逆に「唐」の時代のことが宋でどのように受容されていたのかという観点で見ていくとまた面白いのかなと思う内容でした。

そして、この説がどこまで妥当なのかはこれから色々と検討されることになると思いますが、最近読んだ平田先生の「隋」、森部先生の「唐」においてもこの本の影響が見られる箇所があります。唐の歴史がどのように変わるのか、今後面白そうです。まずは、この本で示された見立てをもとに、唐の支配を描く本なり論文なりを著者が書いてくれることを期待したいと思います。

平田陽一郎「隋 「流星王朝」の光芒」中央公論新社(中公新書)

中央公論新社で中国の各王朝ごとの巻が結構出ています。今年の春には「唐」がでて、東部ユーラシアの帝国としての唐の歴史をまとめており非常に面白く,此方にも感想を書いています。そして、今回は唐の前の隋で一冊の本が出ました。隋のような短命な王朝で1冊と言うのはどうするかと思いましたが、近年の隋唐研究の成果を盛り込みつつ(羈縻について近年出された見解(羈縻は付かず離れずの距離をとった状態を表すという)をとりこんでいます)、南北朝時代の頃からあつかい、さらに周辺の突厥などの動向にもふれて東部ユーラシアという枠の中で隋を捉えていきます。

本書では隋は北方の草原世界、華北中心の中華世界、そして海域に連なる江南世界、この三つを束ねる多元的な帝国のはしりであるととらえています。隋の文帝や煬帝は北方の遊牧民に対するカガン、中国の皇帝、そして「海西の菩薩天子」、この3つの顔を使い分ける君主であったということを指摘します。さらにそういった要素を持つ世界を一つにまとめあげるものとして仏教が重視されたということも言及しています。

そして、隋の歴史については「中国史」の枠をこえ、東部ユーラシアの歴史の展開のなかでとらえていくのが本書です。特に、北方の突厥との関係は南北朝時代北周北斉のあたりから扱われています。例えば周隋革命についても、突厥の動向も睨みながらの綱渡りの王朝交代であり、しかも直後に隋と突厥の全面戦争に突入するというかなり危険な状況であったことが示されています。一方で建国直後の危機を乗り切ったことは、隋が漢や唐のようにならず、北方に対しある程度優位に立ちながら関係を作れたということで大きかったことでしょう。

隋が突厥南朝といった勢力と戦いながら「世界帝国」の建設へと進んでいく様子もまとめられています。突厥の東西分裂、そして隋の助力により擁立された可汗の登場の過程や、南朝の陳が滅びた後の江南平定の戦いなどにもページがさかれています。対突厥や対南朝の戦いで活躍した隋の武将たちや南朝の人々についてその人となりが伝わってくるような逸話が取り上げられていたり(孔明の建てた碑文を蹴飛ばすとは何事かといいたいが、対突厥でのエピソード含め間違いなく優秀な史万歳など)、「騎虎の勢い」の由来となる逸話を残した楊堅の妻独孤伽羅や突厥に嫁ぎ中国情勢にも深く関わった大義公主や義成公主、隋の南部平定に協力し地位を築いた洗夫人などこの時代に活躍した様々な女性たちも登場します。隋じたいは短命な王朝ではありましたが、本書は短くも眩しい歴史を彩った一筋縄ではいかない人物たちの魅力が伝わってきます。

そして、二代目の煬帝の時代についても、洛陽建設や大運河の完成などの大事業、「移動する宮廷」という言葉が似合う活発なうごき、派手なパフォーマンスと仕掛けなどが盛り込まれています。煬帝というと「暴君」のイメージの強い人物ですが、やってきたことをみると先見性や実行力もあり、「世界帝国」たる隋をどのように発展させるのかについてかなり明確な構想を抱いていたような感じも受けます。一方であまりにも性急にことを進めようとしたことが反乱につながってしまったというところもあります。

本書の著者は、このブログでも昔感想を書いた「隋唐帝国形成期における軍事と外交」の著者で、このあたりの軍事関連の論文を多数発表している研究者だということもあり、本書には著者が発表してきた軍事関連での最近の研究成果が色々と盛りこまれています。例えば隋登場前の南北朝時代北周で採用された二十四軍については遊牧民の部族の軍制にならって作られたものであるということや、軍府に属する「府兵」はいるが「府兵制」が同時代ではなく後世(宋の頃)に使われ始めた言葉であること、そしてどうも府兵は兵民一致とは言いがたいものであること(隋では刀狩りのようなことが行われ、一般庶民は武器携行が認められなかった)といったことが盛りこまれています。この辺りはなかなか興味深い内容だと思います。

隋という短い期間に強い光を放った王朝、そしてそこで行われたことが次の時代にも影響を与える(唐の太宗が煬帝をかなり意識しているというのはよく聞かれることかと思います)、そんな王朝の歴史を一冊にまとめています。国の仕組みや政治的な出来事だけでなく、そこに関わった人々の生き様も描かれ、面白い一冊です。

 

姜尚中(総監修)「アジア人物史3 ユーラシア東西ふたつの帝国」集英社

人物を通じてアジアの歴史を見る「アジア人物史」シリーズの第3巻が出ました。刊行ペースが少しゆっくりに成、2ヶ月に1冊くらいのペースになってきています(予定通りのようですが)。この巻では6世紀から11世紀頃というはばで、唐とイスラム帝国が栄えた時代を中心に、唐滅亡後の東アジアなどもあつかわれます。

東アジアに関しては、武則天玄奘といった人々が中心人物としてまず扱われ、それに続くのが新羅の僧元暁、日本の仏教関係者などがつづき、少し間が開いた後で最後に朝鮮半島の高麗建設に関わる時代がでてきます。東アジアについては仏教が一つの軸となっているような構成となっています。仏教に支配の正統性をもとめた武則天、インドから帰った後の玄奘が中国仏教界に投げかけた波紋、そして朝鮮や日本における仏教の受容と展開,こういった事柄が扱われています。

名前だけはでてくるがその中身にまではあまり目が向けられにくい地域や勢力についても章を立てて説明しています。例えばチベットについて頁数は少ないながらもソンツェン・ガンポ以下関係する人物についてまとめているほか、突厥の宰相、そしてソグド系突厥の流れをくむ安禄山という草原とオアシスの民の世界を扱う章、そして東南アジアといったところでも章が立てられています。また、黄巣の乱で知られる黄巣の生涯と乱の展開を通じ、後半の唐で形成された藩鎮割拠のもとでのそれなりの安定が崩れ、新たな秩序の構築が求められる段階に入ることが示され、黄巣朱全忠を分けるものが何なのか,考えさせられる構成です。

そして、耶律阿保機とその子孫に関して章を立てたところは、最近の研究をもとにした契丹の歴史の概略という感じでまとめられています。契丹について、中央ユーラシア型国家という枠組みを採用し、中国史征服王朝という枠よりも視野を広げてみていく試みの一つと言うことで良いのかなとおもいます。たまたまこのあたりは中国の歴史ドラマで見ていて出てきたことがあり、あの人はこういうことだったのかと分かるところもありました(てっきり女性の名前なのでドラマ上の創作だと思っていましたが、燕燕は本当の名前だったのでしょうか。書き方を見るとそんな感じがするのですが)。

西アジアについては,アッバース朝の概略をまとめたあと、アッバース朝の転換期のようなところがあるマアムーンを中心にして人物の歴史をまとめています。「知恵の館」、コーラン被造物説、ピラミッドに穴を開けて侵入といった知的な事柄に関するエピソードをみるマアムーンですが、カリフの権威を高め支配を固めようとした時代であり、その際にアリー家の勢力もとりこむイスラム共同体の統一を試みたことなどもふれられています。アッバース朝時代の地方政権の樹立や翻訳活動と学問・文化の発展などもそれに関連する人物や勢力を取り上げてまとめています。

内容的には東アジアにかなり重点が置かれた感じもありますが,人物の歩みやそれに関連する事柄を通じて各地域、各勢力の歴史をまとめており、興味深く読めました。シリーズを通じて女性や思想・文化関係もかなり扱っているのが特徴ですが、この巻でも文化に関する事柄として東ユーラシアの仏教の展開と受容、杜甫を中心にして詩についてあつかっているなど文化関係、思想関係もてあついです。女性についても武則天について扱うだけでなく彼女以前の女性支配者の話もとりあげるほか、朱全忠と女性の関わりとか、契丹の皇后などもとりあげられています。今までは目が向かなかった事柄にも目を向けて書かれた一般書というのは今後どんどん出てほしいものです。

小野寺拓也・田野大輔「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」岩波書店

SNSの発達によりいろいろな人が言いたいことを言いやすい環境ができあがっていくなか、世間で言われていることとはちょっと違うことをいうと人目を引きやすいことは多いようです。とくに「〜の真実」「本当の〜」等と銘打って本を出すと、それを見てその通りと思う人も出てくるようです。様々な分野で見られる現象ではありますが、世界史関連ですとナチ党とそれに関連することはその手の事例が結構多い分野であると感じます。

本書は、"ナチスが「良いこと」をしたということで取り上げられる事例”について、実際の所それはどうだったのかを検証していきます。取り上げられる事柄は、アウトバーンフォルクスワーゲン環境政策や労働政策、少子化対策など多岐にわたります。「良いこと」に見える事柄を取り上げつつ、それの歴史的経緯、歴史的文脈、歴史的結果を掘り下げていくと言う展開になっています。文脈を無視し都合の良いところだけ切り取る、表層のみをみて大局を見ない、そのような形で歴史に関わることの問題が色々とわかるようになっています。

全体を通じて、「良いこと」の中にはナチス以前すでに行われていたが、ナチスが手柄を横取りしたもの、実際には全く実現できなかったもの、「良いこと」と引き換えに問題が発生していることなどが次々と示されています。排他的なドイツ人の「民族共同体」建設、そのための生存権確保のための周辺征服、その手段たる軍備の増強、こういったことを進めるため諸々の「良いこと」が行われている、といったところでしょうか。

そして、ナチスに関わらず広く歴史に関心のある人なら読んでおいた方がいいのはこの本の序章だと思います。序章において歴史的事実の取り扱いに関して、〈事実〉、〈解釈〉、〈意見〉の三層構造から考えていく、そしてその際に歴史学的知見の積み重ねである〈解釈〉を重視していくという姿勢が示されています。一般的に〈解釈〉の部分は往々にして無視されやすく、ある〈事実〉があったところからいきなり自分の〈意見〉の展開へと向かいやすいのですが、いきなり飛躍することのないよう気をつけたいものです(序章は8月末時点で書店のサイトで試し読み可能です)。

しかしながら〈解釈〉の部分はなかなかアプローチが難しく(汗牛充棟の様相を呈する分野もあります)、不慣れな人がやろうとすると、自分にとって都合の良いところだけつまみ食いとなりやすいでしょう。高校の歴史の新課程で「歴史総合」「世界史探究」「日本史探究」が始まっていますが、〈解釈〉の層について一般人がアプローチできるようある程度整理しておかないと、これらの科目を真面目にやろうとすればするほど不毛な意見表明に陥るという事態が発生しそうです。ある専門分野について交通整理をきちんとできるのは専門家の方々だと思います。論文などのような業績とはまたちがう事で、あまりまっとうに評価してもらえるのかというと甚だ怪しい作業はありますが是非とも各分野でやってほしいものです。

110頁ちょっとのブックレットながら、2段組で中身がつまっており、非常に充実した読書となることでしょう。

 

9月の読書

もう秋になりました。読書の秋とは言いますが忙しいとなかなか進みませんね。

9月はこんな本を読んでいます。なお8月に読んで感想を書ききれずたまっているため、それを書いた後で9月の本については感想を書くかなと。

 

石田真衣「民衆たちの嘆願」大阪大学出版会:読了

西田祐子「唐帝国の統治体制と「羈縻」」山川出版社:読了

藤崎衡「ローマ教皇はなぜ特別な存在なのか」NHK出版:読了

平田陽一郎「隋 「流星王朝」の光芒」中央公論新社中公新書):読了

有松唯「帝国の基層」東北大学出版会:読了

上田信「戦国日本を見た中国人」講談社(選書メチエ):読了

三佐川亮宏「オットー大帝ー辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ」中央公論新社(中公新書)

オットー大帝(オットー1世)というと、世界史では神聖ローマ帝国の初代皇帝と言うことでその名が出てくる人物です。レヒフェルトの戦いでマジャール人(なお、本書では自称であるマジャール人ではなく史料の記述に従いハンガリー人として表記しています)を打ち破り、その7年後にローマで皇帝位についたことが知られているかと思います。

本書はオットー1世登場以前の事柄をザクセン人の起源神話からとりあげ、カール大帝による征服とキリスト教化、そしてフランク王国の分裂と東フランクにおいてハインリヒ1世(オットーの父親)が王として支配した時代をまず扱い、その後はオットーの生涯をたどり、最終章ではオットー以後、「ドイツ」および「ドイツ人」という認識の生成と展開、「ローマ帝国」「ドイツ王国」といったまとまりがどのように使われるようになっていくのかをまとめています。最終章については、同じ著者の手によるオットー3世(1世の孫)の伝記「紀元千年の皇帝」(刀水書房)とも関連する内容となっています。

合意形成を重視しながら領域をまとめ上げた父ハインリヒ時代の「弱い」王権を継承したオットーが支配を固める過程では反乱も起こりますが、反乱を起こすのが各地の有力者だけでないところがみられます。彼が支配を固めるにさいして身内を結構登用しているのですが、彼の弟や息子といった身内が反抗することすらみられました。こうした反乱をおさえつつ、個人的結びつきに依存した国家においてオットーが巡幸王権という形で国内各地をまわり各地の人々との結びつきを確認・強化していたことや、一族郎党と並ぶもう一つの柱として帝国教会を利用していたことも示されていきます。

一方、オットーはあくまでも身内を支えとしていいこうという場面も見られます。反乱を起こした弟ハインリヒは屈服した後許されオットーに良く仕えるようになりますし、反乱を起こしたリウドルフに対しても挽回の機会を与えています。反逆即死刑という対応でなくこのような対応となるのは何故なのか、それについてはハインリヒ、リウドルフがともに示した服従儀礼によりひとまずオットーに許されたということのようです。

先に触れた巡幸王権というありかた、服従儀礼による許し、そして儀礼や身振り、象徴、演出をもちいて公的な場で示すことが利害調整に関して用いられる(その前段階で密室での合意形成や調整がある)、オットーの時代は公の場でそこに集う人々の関係性を明示することが支配の安定に役立つ時代だったということでしょうか。今の人間からすると儀礼に何の価値があるのかと思うかもしれないのですが、あるべき秩序を想起させ支配を安定させる手段としてこの時代は極めて有効だったのでしょう。

なお、身内というと男性ばかりと思われがちですが,オットー朝において女性がかなり重要な役割を果たしていたことが分かる箇所が何カ所か見られます。この時代に女性が活躍していたこと、しかしながら女性について本書で十分に触れることが出来なかったのは著者もあとがきで言及していますが、これに関してはこの時代を扱った別の著作が紹介されており(パトリック・コルベ「オットー朝皇帝一族における家族関係」参照)、そこを見ると良いのかなと思います。

対外的なことでは東方から侵攻してくるマジャール人ハンガリー人)との戦いや魑魅魍魎のごとき王侯貴族や聖職者が跋扈し複雑怪奇な情勢を呈するイタリアへの度重なる遠征、スラヴ人世界との戦いやキリスト教の布教、治世も終わりにさしかかった頃イタリア問題と関連して発生したビザンツ帝国との交渉と言うことも触れられています。レヒフェルトの戦いの勝利がオットーを事実上皇帝たらしめる大きな要因であったと認識されていたらしいことがうかがえたり、なんとも複雑でオットーも手を焼く一筋縄ではいかないイタリアの情勢、そしてイスラム世界やビザンツ帝国との交渉の様子が描かれています。

ビザンツイスラム世界などの対外交渉の場面で聖職者が活躍しており、その中にはその後歴史叙述を残す者もいたりします。本書では「オットー朝ルネサンス」の様子などは残念ながらそれ程触れられていません。しかし、随所に歴史叙述の翻訳からの引用を載せ、それらをとりあげつつ時代の年代記や歴史書を書いた人々がキリスト教や西洋古典の知識に裏打ちされた叙述や歴史認識をもっていたこと、彼らの叙述の意図や特徴といったことへの言及が本書の中に見られます。「そもそも過去は”現在”にとっていかにあるべきか」という認識のもと、現在に合わせて過去を書き換える、そのように感じられる場面が戴冠式やレヒフェルトの勝利などの場面でみられますが、過去をどう認識し、どのように描くのか、時代による違いを感じつつ歴史叙述のあり方の変化に思いをはせるのもまた一興というところでしょう。

反乱、遠征、外敵迎撃と常に戦いの中に身を置き、東方のキリスト教化にとり組み、さらには支配安定のために各地を回るという非常に過酷な治世をとおして後の神聖ローマ帝国の基礎を築き上げたオットー1世の生涯を描いた一冊として,広く読まれることを願います。

千葉敏之(編著)「1348年 気候不順と生存危機」山川出版社(歴史の転換期)

山川出版社から刊行されてきた「歴史の転換期」シリーズもついに完結の時を迎えました。扱われるのは1348年、中世ヨーロッパで黒死病(ペスト)の大流行を迎えた時代であり、そのほかの地域でも疫病や気候不順、相次ぐ戦乱が見られた時期でした。いっぽう、モンゴル帝国の覇権のもと、世界の一体化がすすみ、陸海の道を行き来する様々な人々が見られた時代でもありました。

本書はペストの流行、自然災害(寒冷化、イナゴの害、水害など)がおきた中東においてそれが社会や人々のものの見方や考え方にどのように影響を与えているのかをあつかった章、中世ヨーロッパにおいてペストがどのように広がったのか、そしてそれに対しどのように対応したのか(中東の章の医学などと比べても興味深い)を扱った章がまずみられます。

そのあと、モンゴル帝国がどのようにして解体に向かっていったのかを元および各ハン国ごとにあつかいつつこの広大な帝国の成立が人類の歴史にどのようなインパクトを与えたのか、人やものの流れにどのような影響を与えたのかを扱っていきます。

モンゴル帝国を構成する諸国の解体についてはそれぞれ違う要因があり(疫病の影響も違いがある)、元については疫病ではなく災害と反乱によるということが示されています。元が中国を支配した時代は黄河の流れが安定しなかった時代であること、元明交代期はちょうど気候変動期であり人間社会がそれにうまく対応できないなかで黄河の氾濫もおきるなど様々な困難に直面した時代であることが示されます。そういった自然災害にどのように対応しようとしたのかと言ったことも論じられています。

補論では東南アジアにおいて気候変動が続く中で旧来の国家が解体し新興国家が台頭していった可能性を示す内容となっています。

本書全体を通じ、気候変動や自然災害、そして疫病といったものが人類の歴史にどのような影響を与えたのかという事柄は共通して触れられていると思います。内容的に現代の人の興味関心を惹きやすいテーマでまとまった巻だともいえます(脱稿したのが2019年ということが明記された章がいくつかありますが、出たのがここまで伸びる間に、その後の情勢により内容をさらに書き加えたりしたところがあるのかなと想像してしまいました)。こう言ったものに対して人類がどのように対応しようとしたのかということについては、やはりこの3年間を経験した今の時代の人は疫病関連のことに注意が向きやすいとおもいます。

医学に携わるものたちや為政者が疫病に対しどのように立ち向かおうとしたのか、そして疫病をどのように考えたのかといったことが中東やヨーロッパの事例をもとに語られています。この疫病が伝染性なのか前近代で主流だった瘴気説をとるのかをめぐり議論が見られたりします。また人の生き方や考え方に踏み込むようなことも見られるようになります。新型コロナウイルスにどう対応するのかをめぐり様々な立場から意見が出され、それに対して様々な反応があらわれたこの3年間の人々の言動、立ち居振る舞いなども後世このような形で分析される時が来るのでしょう。果たしてどのように捉えられるのか、その時点ではまず生きていないと思いますがとても興味深いものがあります。

また、気候変動や自然災害というテーマも温暖化や線状降雨帯の発生とそれに伴う大雨などをよく目にするようになった今は非常に興味関心を抱きやすいテーマでしょう。黄河の大氾濫、川の流れの変化などがおきていた元末期、それに対してどのように対応しようとしたのかをあつかった章はある問題を解決することで別の問題が発生する(黄河の流れを変えることで、確かに物流は安定はしたが、水環境の変化や旧河道の砂漠化や塩害の発生がみられる)というところがあり、自然に対し人間が働きかけることの功罪について考える材料となるでしょう。

刊行がだいぶ後になったことで、期せずして非常に一般向けにも印象深い一冊になったとおもいます。ペストの広がりや起源については章ごとに深さや広がりがなんとなく違うようなところがみられる(参考にしている本や学説が少しずつ違いがあるかと)というところはありますが、是非とも手に取って読んでみて欲しいとおもいます。古い時代のことを学び知ることがいまを生きるうえで何か考えるヒントになる時がある、そんな感じがする一冊です

8月の読書

8月になりました。暑い日々が続く中で読書が進むのかどうかはわかりませんが、こんな感じで読んでいます。

 

姜尚中(総監修)「アジア人物史3 ユーラシア東西ふたつの帝国」集英社:読了

小野寺拓也・田野大輔「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」岩波書店:読了

三佐川亮宏「オットー大帝 ー辺境の戦士から「神聖ローマ帝国」樹立者へ」中央公論新社中公新書):読了

惣領冬美「チェーザレ13」講談社:読了

小島渉「カブトムシの謎をとく」筑摩書房ちくまプリマー新書):読了

櫻井康人「十字軍国家」筑摩書房(筑摩選書):読了

シュテファン・パツォルト「封建制の多面鏡」刀水書房:読了

千葉敏之(編著)「1348年 気候不順と生存危機」山川出版社(歴史の転換期):読了

小嶋茂稔「光武帝」山川出版社(世界史リブレット人)

世界史リブレット人の新刊は後漢の建国者、光武帝こと劉秀をあつかいます。日本史,中学歴史で奴国の使者がやってきたときに「漢委奴国王」印を授けた皇帝として光武帝(劉秀)は登場するので,どこかで名前は聞いた、習ったという人がほとんどのはずです。なお、金印については寸法が当時の1寸と正確にあうことなどから、後漢の工房で作られた真印であるという通説を採用しています。

本書では、劉秀の生涯をたどりつつ、彼がどのような背景を持つ人物であったのか、彼がどのようにして新から後漢に至る時代にいき、後漢の成立と天下統一を如何に成し遂げたのか、そして後漢の国家体制や対外関係をどのように整備したのか、これらの事柄をコンパクトにまとめていきます。

まず、後漢というと前漢後半より続く豪族台頭の流れの中、皇帝と豪族の連合政権的な性格を持つ王朝として位置づけることが多いです。劉秀自身もそのような豪族層の出身であり、群雄割拠の時代にライバル(彼らを見ると、王莽の時代以降、地方長官の地位を利用しつつ地方で自立し,事態を静観しながら勢力を拡大・維持していた者が多い模様です)を倒しながら統一を達成しています。

そして統一後の支配からは豪族の私利私欲追求を抑えつつ農民達への圧迫を緩和するといった姿勢は十分に見られます。後漢初期は民情が安定したというのもこのような対応の影響でしょう。なお、劉秀による統一に際し、建国の功臣として「雲台二十八将」がよくでてきますが、彼らは統一後は重職についた者はほんのわずかであるということが指摘されています。功臣をあえて重用せず彼らに力を持たせないようにしたのか、それとも功臣達がしくじることでそれまで築いてきた者を失わせたくないと思ったのかは定かではありません。ただ、政治的配慮と個人的配慮どちらもあったようにも思えます。

さらに後漢を王莽によりいったん完成した「古典国制」を継承する形で漢の復興を進めたという指摘も為されています。「古典国制」の構成要素は多岐にわたりますが、本書では宰相の地位に関する「三公」制と地方支配に関する「十二州牧」制について、三公の地位低下や州牧あらため刺史への変化と支配体制整備の関係を扱っています。前漢末から見られた「古典国制」と「漢家故事」の路線の対立という背景のもとどのような国家体制の整備を進めたのかを一部の点から見ていく感じです。

そして、儒教の国教化と言うことが後漢ではよく出てきますが、劉秀もまた王莽同様讖緯思想を重視していたことが指摘されます。讖緯思想の影響を受けていたのは彼だけではなく、当時の群雄たちの多くに見られる現象であることも触れられています。

その他、対外関係についてもまとめられていますが、光武帝の時代は内政に重きが置かれてはいますがそれなりに他国との関係もあったことが触れられています。そして、奴国の使節がやってきたことについて、朝鮮半島楽浪郡と何らかの形で関係を持っていた北九州諸国のなかで、奴国の支配者が周辺諸国に対し有利な地位に立つために後漢に使者を送ったというのが一般的な理解かとおもいます。

奴国の朝貢に関して、別の視点から見た説も紹介しています。それによると中国内部での慶事(北郊完成の慶事)にあわせ、楽浪郡の役人が奴国に朝貢を促したというものであるという、役人の権力者に対する「忖度」の結果ということになります。朝貢は皇帝の統治がうまくいっていることを示す有効な手段の一つというところでしょうか。

光武帝の生涯をまとめた本自体が貴重だとおもいますし、近年の研究動向を盛りこみながらまとめられており、このあたりについて関心がある人にはまず読んでみて欲しいと思う一冊です。

マギー・オファーレル(小竹由美子訳)「ルクレツィアの肖像」新潮社

物語の出だしは1561年、主人公であるルクレツィアが死んだ年、人里離れたところにある砦を舞台に夫と二人きりの食卓で彼女は夫に殺されることを予感しながら卓についているところから始まります。その後、過去の話と砦での様子が交互に入れ替わるように展開していきますが、一体何故夫に殺されると思うようになっていくのか。そこに至るまでに何があったのか。

シェイクスピアの妻を題材とした「ハムネット」をだした著者による、近世の女性を主人公とした小説がまたでました.今度の主人公はコジモ大公の娘ルクレツィア、その肖像がのこされているものの歴史上ではフェラーラに嫁いで早世したと言うことだけが残っている人物です。

一家の中でかなり変わった子どもとして育ち、やがて絵の才能を開花させていく子ども時代、早世した姉のかわりにフェラーラ公アルフォンソに嫁ぐことになる経緯、華やかな外見の下に様々な思惑やしがらみのもとでもできうる限りのことを試みながら生きていく様子など、わずか16年という短いルクレツィアの生涯をほんのわずかな史実を豊かに膨らませながら描き出していきます。

この物語でのルクレツィアは、母親や兄妹とはうまくいっている感じは無いのですが、色々な物を見通す鋭い感覚や観察眼、豊かな感性を持ち、召使いにも分け隔て無く接する、そして虎のような強さを芯の部分に持ちつつ、しがらみの多い世界でそれを巧みに隠しながら生きているという人物だと思いながら読みました。下絵を描いてその上にまた別の絵をかさねていくかのような感じでしょうか(そういう感じの絵の話が作中にも出てきます)。

そして、彼女が育ったメディチ家の宮廷は、この時代故の制約(妻は世継ぎを産むことが求められる等々)はもちろんあるのでしょうがかなり「開けた」感じのところです。宮廷において妻に求められるのは世継ぎを産むことであり、ルクレツィアもフェラーラではそのことを周りから求められることになりますが、フィレンツェフェラーラの宮廷は全く別物のように描かれています。当時の支配者コジモは娘達に対しても高度な教育を施し、妻とも重要な案件を話し合ったりするなど、女だからと言うことによる制約が比較的少ない世界としてかかれています。

ルクレツィアが自分を殺そうとしているとみているフェラーラ公アルフォンソについては置かれた状況や立場にかなり縛られ,苦悩しているようにも感じました。個人としてのアルフォンソはルクレツィアと出会い、結婚に向かう頃は優しくなかなかに魅力的そうな人物として書かれていますし、ルクレツィアへの贈り物が型どおりではない胸白貂の絵であることなど、人間としてはなかなか魅力的なところがあるようにも描かれています。

個人としては如何に魅力的であったとしても、君主として君臨する、家中を取り仕切りまとめる、そして家を存続させる、こうしたことからは逃れられる訳もなく、「個人」としてのアルフォンソをおさえ「支配者」としての振る舞いが求められています。自分の地位や公国を守らねばならず、自分が支配者であることを絶えず誇示し、召使いや身内に対しても容赦ない対応を取るところが結婚後に目につくようになります。

そんな彼はルクレツィアにも自分に従い「世継ぎ」を生むことを求め、世継ぎのためとなればルクレツィアを縛り付けるようなこともいとわない姿勢が目につきます。刺激が良くない旨のアドバイスを聞けば絵に触れる機会を奪ったり、髪を切ったりしたかと思えば、全く別方向の対応が良いと聞くと転地療法をしようとしたりと、何でもありな人物です。

しかし彼はルクレツィアの中に自分に従わぬ何かがいることを感じとります。終盤の彼にとって物言わぬ肖像画のほうが彼女本人よりも望ましいもののようにも見えますが、自分のコントロールできる形で手許に置いておけるものだと思ったからでしょう。

興味深い登場人物としてアルフォンソにつかえる従兄弟のバルダッサーレと言う人物がいます。アルフォンソの側近として彼がやれと命じられたことは殺人も含め何でも行う、支配のための道具のような人物ですが、ルクレツィアに対してはじめから好意的とは言いがたい様子がみられる(もちろん宮廷では礼儀正しく振る舞っているようですが)人物ですし、ルクレツィアも彼が最初から敵意を抱いていることを感じ取り、1561年の描写では彼は間違いなく自分を殺しに来ると思っている様子が見られます。

バルダッサーレがルクレツィアに対しはじめから何故そんな友好的でないのか、その理由について明確に語っている感じではないのですが、彼にとって自分とアルフォンソの間に割り込む夾雑物、邪魔な存在、それがルクレツィアだったのでしょうか。今まで自分が占めていた場所を奪いかねないものとして彼女を警戒したのかなと思いながら読みました。アルフォンソと彼の関係性がどのようなものなのか、そこまで深く何か書いているという感じではありませんが、色々と考えを巡らせる余地がそこにはありそうです。

終盤、ルクレツィアが下した決断と取った行動と結末についてはこれで良かったという思いがする一方で、ついてきた召使いがどうなったのか気になるところではあります。彼女が様々なしがらみからのがれて獲得した自由も、結局誰かを犠牲にすることに依って得られたのだとするならば、それはそれで不幸なようにも思えます。彼女が意図してそうしたわけではないのですが、なんとなく苦さの残る爽快な結末というところでしょうか。ほんのわずかな歴史的な事柄からこの物語を膨らませて描き出す著者、先にとりあげたシェイクスピアの妻を主人公にした作品も読んでいたいですし、それ以外にも別の作品があるようなので、それも読んでみたいと思います。

 

姜尚中(総監修)「アジア人物史4 文化の爛熟と武人の台頭」集英社

アジアの古代、中世の歴史を見ると、外戚が台頭する時代や武人の台頭が見られる時期が見られます。日本史では摂関政治院政期の武士の台頭と平氏政権、鎌倉幕府の登場と言う具合で現れてきます。またこの時期は文化的に東部ユーラシアでは独自の文字を発展させる国もあります。本書では南アジア(チョーラ朝、チャールキヤ朝)、東南アジア(アンコール朝、パガン朝、島嶼部のクディリ王国)、西アジア(ヌールッディーン、サラディン、バイバルスを中心に)の人物も取り上げていますが、東アジア関係の事例が多くなっています。

本巻は藤原道長からスタートしますが、道長と彼を取り巻く人々が取り上げられており、来年度大河ドラマの軽い予習にちょうど良さそうです。その後は院政、そして「愚管抄」の著者慈円まで扱われています。日本の鎌倉幕府についてはそれほど取り上げていませんが、高麗武臣政権について一章をあてています。武臣政権の中身まで知らない人が多いと思いますが、日本と高麗で違う道を進んだところに,両者の社会的背景や政治のあり方の違いが見られる内容となっています。このような内容が一般書でまとめられているのはありがたいことです。

日本の摂関政治から始まるこの巻では高麗で外戚として権勢を振るった仁州李氏も登場します。高麗と日本で外戚勢力が権勢を振るった時期が見られますが、両者の間には色々と違う点がある(藤原氏が父系氏族集団としてまとまっているが高麗の方ではそこまでのまとまりでない、そもそも天皇の生前上位が結構ある日本と王の終身制があたりまえの高麗では条件が違う等)ということを指摘しています。比較史的な視点をとるとまた色々と見えてきます。

宋については司馬光朱熹徽宗といった宋の学術・芸術・思想を扱えば必ず登場するメンバーに加えて多くの人に愛好される詞を残した女性詩人の李清照をとりあげています。北宋南宋の転換期という波乱に富んだ時代を生きた女性の生涯に感銘を受ける人も多いのではないでしょうか。そして、彼女の評価について、朱熹が大成した朱子学の影響で後世の評価が下がる(その一方で別の女性詩人が死後評価されるのも朱子学的価値観による)というところに前近代の女性に対する制約も見えてきます。過去の出来事ではありますが、過去を振り返りつつある事柄について今の我々が果たしてどうなのか、何をどうすべきか考えることは必要だろうと思うのですが、どうでしょうか。

個人的に本シリーズでは女性について多く取り上げています。宋についてはこの前までたまたまテレビドラマ「大宋宮詞」を見ていた関係で劉太后をもっと取り上げても良かったのではないかと思うのですが,それは欲張りすぎでしょうか。

姜尚中(総監修)「アジア人物史11 世界戦争の惨禍を超えて」集英社

アジア人物史の11巻は20世紀、世界戦争に関わる時代に生きた人々を扱いつつ歴史を描こうとしていきます。内容構成を見ると20世紀前半、第2次世界大戦前の時代が中心となる人物と、第2次世界大戦後の世界での活動が中心となる人が色々と混ざっています。また、特定の個人にかぎらず、一つの組織(京城帝大、台北帝大に関係する人々)として扱われているところもあれば、昭和天皇とその時代という具合で非常に多くの人物が登場する章もあります。

本書は女性や思想・文化系の人を結構多く扱ってくれているのですが、帝国日本に抗した女性達と言う内容の章(最近ミッドウェー関係の本が文庫になった澤地久枝さんもでてきます(感想執筆時点で数少ない存命中の人です))や、李香蘭が扱われた章があるあたりはちゃんと考えているなと思います。

思想や文化、学術系を扱うと言うことで言うと、かつてあった旧帝大の2つがどういう意図で設置されたのか、そこに所属した研究者がどのような役割を果たしたのかと言うことにも触れられています。台北は南洋支配との関わり、京城は朝鮮支配、そして「文化政治」の時代に向かうなかで民族運動や外国の関与の機先を制するという意図、そのような背景で生まれた帝国大学ですが、そこで活動した人のなかに(特に台北のほう)その後の現地情勢にも関わる人がいるというのは興味深いものがあります。

その他、中国の自由主義者ということで胡適にくわえて陳寅恪がとりあげられていました。最近唐に関する著作を色々と読んでおり此方でも感想を書いていますが、陳寅恪というと唐について「関朧集団」について論証を進めた歴史学者ということで名前を見かけることが多い人物です。本書ではそのあたりについて詳述しているわけではありませんし、伝記的な内容でもないのですが、彼の学問と中国における自由主義の関係を詳述する内容となっています。

そのほか、ガンディーについても彼の自伝をきりくちに、彼の考え方の変化や運動の展開をおうという形でかいていたり(夏目漱石が色々と悩んだ問題についてロンドン滞在時は全く悩んだ形跡がないようです。また、かれはチャルカーは全く無縁な階層の人です)、韓国の財閥の興隆に関する記述等も興味深いところです。

西アジアについてはどうしても薄い感じがするのですが、モサデグとパフレヴィー2世についての伝記が読めるのはありがたいところです。どちらも世界史ではほんのちょっと名前と業績が出るだけですが、彼らの背景を知ることができ助かりました。

非常にページ数も多く扱われる人物の数も多い巻ですが、いろいろな切り口で人物について迫っています。