まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

このブログについて。

いままで、サイト開設から2007年10月20日で4年目にはいったサイトHistoriaで読書コーナーを設け、その間に歴史関係の書籍を中心に色々な本を読み散らかして、紹介・感想を書いてきました(中にはあまり内容を覚えていない本もあったりしますが)。過去4年間はサイトの容量のことを考え、短い紹介程度にしてきたのですが、それだけでは何となく語り尽くせない物もありました。そこで、もっと色々なことが書けるような場がほしいと思い、サイト開設から4年を迎えるにあたって、あらたにブログのような形で掲載してみることにしたというわけです。

 

なお、こちらのブログはだいたい月に1回か2回、長めの感想を書くために使おうと思います。また、サイトのトップページの更新では3回分しか載せていないため次々に消えていく読書記録をメモする場にもしようかなと思っています(今月の読書と言った感じでまとめます)。

ではでは、これからもよろしくお願いします。なお、感想などありましたら、サイトの掲示板に書き込むか、サイトのどこかに載せているメールアドレス宛にメールを送って下さい。

 何でそんなことを書くのかというと、ブログのコメント欄でのやりとりって正直なところ好きじゃないんですよね。なんかその話題以外触れちゃいけないみたいで…。

 

「HISTORIA」の管理人より.

 

2016年12月15日:世界史リブレット人シリーズの全タイトル紹介ページに、それぞれの感想をリンクしました。こちらからどうぞ。

 

 

林采成「飲食朝鮮 帝国の中の「食」経済史」名古屋大学出版会

日本が植民地として組み込んだ朝鮮半島は日本に食糧を供給しており、朝鮮の米が日本の内地へと運ばれていたことなどはしばしば言及されることもあります。では、米以外のものはどうだったのか。植民地朝鮮の食料の生産−加工・流通−消費の流れが「帝国」日本でどのような仕組みとなっていたのか。そして、独立以後にどのようにつながりがあるのか。本書は植民地期の朝鮮半島の食料産業がどのように作り上げられたのかをみていきます。

米や牛、朝鮮人参といった朝鮮半島で産出していたものがいかに流通するようになったのかを明らかにする第一部、日本から持ち込まれた牛乳、西洋リンゴ、朝鮮半島から日本に伝わった明太子など、「帝国」日本のなかで新たに食べられるようになった総督府がそれをどのように管理したのかを扱う第二部、ビールや焼酎、タバコといった嗜好品が植民地期にどのように生産され流通していたのかといったことを扱う第三部をへて終章でまとめるという形をとっています。

タイトルを見ると、食文化の歴史の本のように見えますが、中身は多くの統計資料をもちい(時に過去の統計の誤りの修正も行っている)、そこから朝鮮における食料の生産や流通、消費のありかたや日本の総督府や商社の関わり、朝鮮半島だけでなく帝国全体での流通への発展といったことを明らかにする経済史の本です。統計資料の分析や多くの数字といった部分を読むのが辛いという人もいるかもしれません(私も実は結構目が滑るといいますか,時々論の展開から振り落とされそうになりました。もう少し勉強していれば)。

しかし、そうしたデータを分析しながら見えてくる事例はなかなか興味深いものがあります。例えば身体に関する話として、朝鮮半島から移出・輸出される食料が日本の内地の栄養事情を支えるために使われ(米は日本内地に移出され、朝鮮半島では麦類が中心に消費されたとか)、その結果朝鮮半島の人々の体格があまり良くない(成人男性の平均身長は下がっている)といったことを熱量指数の低下から導き出していきます。また朝鮮の牛についても日本内地への移出が増加したことから朝鮮半島の牛の数の停滞と体格の低下もおきたということをしめしていきます。朝鮮半島は帝国日本に栄養やものを供給する基地のような扱いと行ったところでしょうか。

そのほか、リンゴをめぐって日本人の農業移民が持ち込んで栽培が始まり生産量が増加した朝鮮リンゴと青森リンゴの競合がおきたことや、朝鮮リンゴ、そして明太子(これまた北海道で明太子を作るとそれと競合するようになります)の消費は西日本が中心であり、食に関して日本の中でも東西の違いを生み出していた形跡が見られることも興味深いです。

さらに、朝鮮の食料が日本内地への移出だけでなく満州国、中国といったところへの輸出も行われていたことも示されています。牛、朝鮮人参、ビールといったものが輸出されていますが、日中関係の悪化が人参の貿易を停滞させたり、リンゴが広く東アジアで売られて食されているということは興味深いことでした。そして、帝国のフードシステムに朝鮮総督府が関わりながら支配を強め利益を得ていく様子、三井物産が人参などの独占を通じ利益を得ていく様子だけでなく、生産や流通、加工に関わる業者もまた経済活動の中で利益を得ようとする様子がいろいろなところに見られます。フードシステムと帝国の支配がなかなか興味深いものがあります。

米だけでなく、朝鮮に外からもたらされた食材や嗜好品まで広い範囲を扱うことで、食をつうじて帝国の支配のあり方の一端がわかるような一冊となっています。そして、本書で示された分析の成果を、食文化の歴史や自然科学(身体とか牛の体格の話がありましたので)など様々な方向にも結びつけるとまたいろいろな成果が得られそうな気がしますし、より多くの人が読みやすい本ができそうな気もします。

Pat Wheatley and Charlotte Dunn 「Demetrius the Besieger」Oxford University Press

アレクサンドロス大王の死後、大王麾下の武将たちの角逐を通じて征服地は分かれ、ヘレニズム世界が形成されていきました。諸将角逐のなか、一際目立つ存在がデメトリオス・ポリオルケテス(都市攻囲者)でしょう。巨大な攻城機を戦場に投入して大々的に攻め立て、各地で戦果を上げた武将、豪奢な暮らしぶりや派手な女性関係、そして浮沈を繰り返した波瀾万丈な生涯をみていくと、ヘレニズム時代の君主たちが行っていることを大方彼が行っていたりします。

まさにヘレニズム諸国の君主の先駆的存在ともいえるデメトリオスですが、彼についての包括的な伝記はなかなか見かけませんでした。そんななか、関連史料を丁寧に検討し、碑文や貨幣なども活用し、さらに前半と後半を別々の研究者が書く二人の共著という形で包括的な伝記的研究として描かれたのが本書です。

後継者戦争の時代は編年を巡っても問題が多く、いつ何があったのか、誰が何を行ったのか、その辺りのところも説が分かれるところがあります。全体を通じて編年に関する検討にかなりのページを割いているのは、この時代の編年をある程度確定させながらデメトリオスの伝記を描く上で重要だからでしょう。通説で言われている時期が果たして妥当なのかを丹念に検討しながら確定を進めているところが本書の色々なところに見られます。そしてデメトリオスの生涯の編年が本書の巻末近くに掲載されていますが、それは地道な検討の成果でしょう。

そのうえで、デメトリオスのさまざまな軍事遠征や各地域での勢力拡大の動き、政治活動などが検討されていきます。また、彼の家族との関係やヘレニズム諸王家の婚姻や王族女性の役割といったこともかなりページをさきながら史料を読み解き、解釈しながら描き出していきます。本書のデメトリオスは王国を失い最後は囚われの身で死んだとはいえ、かなりエネルギッシュでありカリスマ性もあり、失敗もあるが多くの成功も収めた人物であり、ヘレニズム世界を作り上げるうえで重要な存在であるというところでしょうか。

また、デメトリオスの生涯をたどるにあたり、用いる史料の問題にも触れています。デメトリオスはプルタルコスに単独の伝記があるほかディオドロスがある程度まで使えたり、ユスティヌスにも断片的に取り上げられています。プルタルコスのデメトリオス伝については、プルタルコスが描きたかったものに合うような形に改変され、そこに取り上げられた題材も歴史的に正しいことを書くというよりデメトリオスという個人がどういう人物なのかをより鮮明に描きやすような形で取り込まれ、表現されているというところもあるようです(彼の妻の死に関する描写の分析などにそれがみられます)。また、対比相手であるアントニウスの伝記との比較も見られます。

本書ではプルタルコスに引きずられないように伝記を書くにあたり、貨幣や碑文といった史料も多く使われています。特に貨幣の図像の変化などの分析にはかなりのページを割き、本書のさまざまな場所において貨幣の分析行われています。ある時期まではアレクサンドロス大王の図像を使っていた後継者諸将たちが徐々に自らの肖像を使い始めたりすることは知られていますが、本書でも貨幣が造られた場所や時期、デザインなどにふれつつデメトリオスの事績を描いていきます。

さまざまな史料を用い、編年についても確定させながらデメトリオスの事績をまとめた本書ですが、2人の著者の手でまとめられたというあまり見かけない形をとっています。論文集ではなく単著を2人で書き上げるというのは扱うべき事柄が多いデメトリオスのような題材にはよかったのかもしれません。彼の生涯前半と後半で著者が変わりますが、特に違和感なく読みました(ただし読み始めてから終わるまで随分と間が空いたため忘れているだけなのかもしれませんが)。これからの研究成果発表の一つの形として共著書籍というのは増えるのかもしれませんが果たしてどうなるか。

非常にボリュームのある本ですが、各章は短めにまとめられており、読みやすいです。この時代に興味関心のある人は読んでみてほしいと思います。

9月の読書

9月になりました。

気がつくともう秋、なんか今年は読書ペースがガタ落ちですが、これからどうなるか。

今月はこんな感じで本を読んでいます。

今回、読了ということで載せたデメトリオス攻城王の伝記的研究書は2年くらいかかったような気がします。ちまちまとkindleを駆使しつつ電車内などで読んでいたのですが、あまりに時間がかかりすぎ前半の内容を忘れています。ちゃんとメモをとりながら読むべきだったと後悔しています。なので、ちょっとおすすめとして感想をまとめにくいので記事を書くことはないかと思います。

 

橋場弦「古代ギリシアの民主政」岩波書店岩波新書):読了

森万佑子「韓国併合中央公論新社中公新書):読了

林采成「飲食朝鮮 帝国の中の「食」経済史」名古屋大学出版会:読了

Pat Wheatley,Charlotte Dunn, Demetrius The Besieger, Oxford University Press:読了

 

周藤芳幸(編)「古代地中海世界と文化的記憶」山川出版社

西洋古代史研究というと、古代ギリシア史・古代ローマ史とすぐに上がる人が多いと思います。そして一つの歴史的世界として「古代地中海世界」というまとめがなされることもあります。しかし、「古代地中海世界」というとき、ギリシアとローマだけで事足りるわけでなく、北アフリカにはカルタゴが勢力を持った時代があり、小アジアや東地中海沿岸部にも独自の歴史的展開が見られます。そして、ギリシアやローマよりはるか前より文明が長く栄えてきたエジプトがあります。「古代地中海世界」について、「文化的記憶」というテーマからアプローチするのが本書です。

まず見慣れない単語である「文化的記憶」について序章でとりあつかい、エジプトやギリシア、ローマについて「文化的記憶」にまつわるさまざまな題材からアプローチしていきます。文献だけでなく、モニュメントや工芸品などさまざまな「モノ」にも注目している論文が多く掲載されており、ギザのスフィンクス、僭主殺害者像や聖域避難の図像などがとりあげられています。あるモノがそれが作られた時代にどう捉えられていたのか、それが後の時代になってまた違う捉えられ方がされていく様子はどうだったのかなど、なかなか興味深い内容が含まれていました。

ある歴史的な過去について、それが後世にどのように語られ、受け入れられていくのか、特に頻出する事例というものもあるようです。古代ギリシア世界においてはペルシア戦争アテネのエフェベイアを通じその記憶が継承され、さまざまな外敵との戦いにおいて想起される主題となっていることや、ペルシア戦争の報復という形で東方遠征論に影響していることが語られています。また、古代末期のローマでおきたある反乱についてその記憶がどのような場面で想起され、何のために利用されたのかを探る論文もあります

過去の出来事が人々に伝えられ共有される際に、異なる意味づけがされたり変容していくこともあります。アテナイにおける過去の「喧騒」の記憶の扱いについて論じた章では、民会演説と法廷弁論で異なる評価がなされる「喧騒」を扱いながら過去の記憶の想起と共有について論じています。複数の場や機会とそれに応じた描き方の違いの存在がアテナイ市民の価値観形成、共有にも影響を与えていたといった感じのことが描かれています。

本書にはマケドニアについて扱った論文もあり、国内および国外に対する権威強化の手段として建国伝説を利用したこと、歴代国王による自己演出を通じ「ギリシア人」アイデンティティをアピールしたこと、かつてペルシア戦争でペルシアに与したマケドニアがペルシアに対する東方遠征を指導するにあたり、マケドニアの「過去」がどのように思い起こされて語られたのかを探るとフィリポス2世の宮廷に集った知識人たちが寵を得ようとして競うなかでペルシアへの報復戦争というプロパガンダが作られて、報復者というイメージはアレクサンドロスにも利用されたことが示されています。そしてアレクサンドロスの東征自体の記憶もその後ローマがパルティアやササン朝といった東方の王朝と戦う際に想起され利用されていったことが語られて締められています。

他には、古代ローマの皇帝イメージがどのように造られ広められたのか、そしてどのように受け止められていったのかを示したり、中世につくられたさまざまな時代と人々に関係する古代ローマの碑文集成から中世の人が古代をどのように捉えているのかを見ていく論文もあるなど内容は多岐にわたります。お値段は張りますが、興味のあるところから読み始めるもよし、初めから真面目に読むもよし、十分に楽しめると多います。私自身も、マケドニアを扱った論文があり、そこから興味を持って購入したのですが、ほかの論文も面白く読めました。

オーレル・スタイン/アリアーノス(前田龍彦訳)「アレクサンドロス古道」同朋舎

19世紀後半から20世紀前半、西洋諸国による各地の探検活動が各地で行われ、中央アジアなどユーラシア内陸部においてはヘディン、スタインの探検活動が有名です。さまよえる湖ことロプノール、各地の仏教遺跡など、非常に興味深い事柄が彼らの探検を通じて知られるようになり、現代の学術研究にも役立てられています。

現在では、探検活動によって得られた地理的情報が政治工作や軍事行動にも活かすことが出来ると言うことで列強が探検を支援したといわれ、中央アジアなどユーラシア内陸部の調査探検に関してはイギリスとロシアの「グレート・ゲーム」との関わりがしばしば指摘されます。スタインやヘディンの活動のそうした側面を知っておく必要はあるでしょうが、彼らの探検記自体は非常に面白く読めるものではあります。

中央アジア探検で有名なスタインですが、アレクサンドロスの東征路に関係するようなエリアの調査も行っています。インダス川上流、スワート川流域の調査旅行を1926年に行い、その後もイランで長期にわたる調査を行い、最後はアフガニスタンでの調査を開始しようとした時に現地で病没しました(なお彼の墓がカーブル郊外につくられたようです)。スタインの調査により、アレクサンドロス東征路とそれに関係する場所の同定がおこなわれたものがいくつかあり、現在の研究にも大きな影響を与えています(なお、イランにおける東征路については現在では一部異説もでています(森谷公俊「アレクサンドロス大王東征路の謎を解く」河出書房新社を参照))。

本書はバクトリアを出立してインドに至るまでのアレクサンドロス東征路について、それを探索したスタインの調査の記録がメインとなっています。その他に、関連する資料であるアリアノスの当該箇所と、アレクサンドロスのインド侵攻について研究したマクリンドルがそれに対して付けた註が最初に付けられ、さらに最後の方ではアレクサンドロスに関するターンの著作の関連箇所も付されています。そして監修者の前田耕作先生によるインドにおける考古学調査、そしてスタインの小伝が付けられています。

本書を読んでいて、まず情報量の多さに圧倒されるところがありました。川の幅や地形といったインダス川上流域の地理的情報はもちろんのこと、そこに残された遺跡(ストゥーパなどが多く残っています)の大きさや形状、遺跡の保存状況(盗掘をうけているなど)、そして部族間の対立抗争などがうかがえるこの地域の政治情勢および現地の首長による支配のしくみ、社会の様子から、当時のイギリスのインド支配の状況(現地の首長層にも英国式の教育を受ける機会を提供し、彼らを植民地支配の担い手として組み込んでいる。なお、スタインの調査に同行する技師たちのなかに現地系の名前の人が結構出てきますが、彼らもまた英国支配のもとで働く人たちという所でしょうか)から当時の西洋人のアジア認識まで、様々なことがスタインの記述からうかがい知ることが出来ます。パクス・ブリタニカのもとで現地社会が良い方向に向かっている旨の記述が随所に見られるのはこの時代ならではでしょうか。

あまりにも多いため、全ての事柄に触れるのは無理だと思いますが、例えばビール・コートの城砦という一つの遺跡について取り上げてみます。スタイン自身の記述から、この遺跡については時間などの問題から組織だった発掘ではなく駆け足で行われた表面的な調査にとどまらざるを得なかったことが伺え、そしてそんなに詳細に古代の生活の印を述べることが出来ない旨を彼自身が述べています。しかし、それでもビール・コート城砦の遺跡の概要、丘の高さや地形、そこに見られる建物の遺構や土器片、貨幣、投石用の弾丸等々についての記述がもりこまれ、これだけで4頁ほど使っています。

それに続く章でアレクサンドロスによるスワート侵攻をあつかい、アリアノスやクルティウスといった史料の記述や当時の言語学的成果を参照しつつ、ビール・コート城砦の遺跡がバジラであると同定していきます。

そして、スタインの調査報告の終盤にかけて、アレクサンドロスが攻略したアオルノスのピール・サルへの同定の過程はかなりのページ数を割いています。ピール・サルに向けた登坂からはじまり、現地の地形やアオルノスに関する様々な情報、そしてピール・サルの踏査をくみあわせながら記述が進められていきます。踏査によって得られた地形の情報を、古代の史料に見られるアオルノスの記述とつきあわせつつアオルノスがピール・サルであったことを同定していきます。この部分だけで40頁から50頁くらいは使っており、スタインの調査報告でも一番力が入っているところではないでしょうか。添付された地図や掲載された写真もあわせながら読んでいくと、現地がどのような場所なのか、読んでいると非常に鮮明なイメージを持つことができそうです。

このほかにも、数々の仏教遺跡にも触れながら進むスタインの調査報告で、時々、スタインのぼやきのようなコメントもみられますが(アレクサンドロス地形学的情報に気を配り、軍事上の出来事ともにそれを記録してくれていればと嘆いています)、アレクサンドロス東征で登場する様々な場所について古代史料や言語学、考古学調査の成果を使いながらスタインによる場所の同定が進められていきます。なお、こうした遺跡関係の話の合間には、宝探し的な発掘で遺物が持ち出され、西洋に持ち込まれていることや、西洋人のニーズに応えて碑文の偽造が行われていると言った話題がみられます。

遺跡調査の話だけでなく、現地社会の様子も多く盛りこまれています。現地社会でどのような経済活動が行われているのか、農業や商業の状況はどうなのかと言ったことが隋書に書かれています。なお、その際に西洋の影響で良い方向に向かっているとスタインが見ているところが結構あるのですが、西洋による東洋の文明化という視点がみてとれるところでしょうか。現代においてはこのような視点はもはや成り立たないでしょうが。

また、政治情勢に関する話も色々と出てきます。日本の世界史の授業とかではまず出てこないであろう現地における騒乱や部族間対立を窺わせる記述も多くみられます。この地域で何があったのか、恐らく邦語文献では確認は困難ではないかと言う気がしてきます。護衛をつけてくれるなどスタインの調査に協力する部族の首長やその関係者が何人か登場しますが、そうした協力者の中に現地での抗争に敗れ亡命しながら失地回復を目指す首長もいることなど、内容豊富な著作となっています。そして、スタインの調査記録を読んでいると、険峻な地域を調査隊が移動するだけでもこれだけ大変だというのに、アレクサンドロスが大軍を率い、戦いながらこの道を移動していったと言うことに驚きを禁じ得ません。

なお、本書のスタインの調査旅行は白水社からも『アレクサンダーの道:ガンダーラ、スワート』として刊行され、此方は註や解説もつけられているようです。同じスタインの本が1年違いで違う出版社から刊行されるというのはどういう経緯だったのか気にはなります。願わくば、此方の本、現代ならではの解説と詳細な註をつけたうえで文庫化などされると良いのですが昨今の出版事情を考えると難しいでしょうか。是非とも出して貰いたいものです。

中野勝郎「ワシントン」山川出版社(世界史リブレット人)

山川出版社から出ている「世界史リブレット人」も大部多くの巻が刊行されてきました。今回はアメリカ合衆国初代大統領ワシントンです。合衆国初代大統領、アメリカのお札にも肖像画が載っているということで、その名前や顔は見たことがある人が多いと思います。しかし彼がどのようなことを行ったのか、どのような経歴を経て大統領となったのか、その辺りについて詳しく述べられる人というのは少ないと思います。今では事実ではないということになっている桜の木のエピソードくらいでしょうか。

アメリカ本国でも知名度は高いけれども偉大な大統領は誰かという調査をすると彼は7番目だったり、あまり高い評価がされていないようにも見えます。知性や教養が有るタイプでは無かったらしいということは同時代人のかれに対するコメントにも見られます。しかし、彼に対しては人々は畏怖の念と敬意を抱いていたこともうかがえます。

本書はワシントンがいかにして合衆国初代大統領として、合衆国の国制を作動させる役割を果たしたという観点から、植民地時代、独立戦争、そして連邦政府の設置や憲法制定といったアメリカ合衆国建国の過程で彼がどのような役割を果たしたにふれています。党派的利害にとらわれず公共善を追求する無私の精神をもち、大陸軍の司令官として軍功を挙げながら戦争終了後にそれを梃子にのしあがるのでなく公務から引退しようとする、有徳の者として評価されるワシントンだからこそ、君主政的な要素を持つ大統領制を共和政のなかに位置付け、機能させる事が可能になったというところでしょうか。

私的利益を追及する党派的な政治家ではなく、公共の利益を追及する政治家と言う点で、彼については植民地時代の紳士(ジェントリ)の流れを汲む旧時代的価値観の政治家の最末期の世代のようでもあります。すでに彼が大統領になる頃には政治が「利益」により語られるようになり、「利益」の追求や「利益」を前提とした政治が彼以降になると展開されていくことになります。しかし、その旧時代的価値観のゆえに極めて不安定な初期の連邦をまとめるには打ってつけな人物だったというところでしょう。そしてかれの政治的な課題は不安定で脆弱な連邦をいかにまとめていくのかということで、地域バランスを考慮した人事、地域横断型エリートの形成などにそれは表れているようです。

しかしながら建国当初より、強力な中央政府を求める連邦派(フェデラリスト)と邦ごとの自立性を重視する共和派(リパブリカン)の対立が目につくようになりそれは商工業重視か農業重視かといった経済観の違いなどにも表れてきます。その後のアメリカの党派政治の構図がすでに現れてくる時代ではありましたが、さまざまな対立を調停すると言う立場をとる大統領ワシントンもまた2期目に入ると対立構図の中に飲まれていく様子が伺えます。党派を超えた大統領として調停役を果たす事が困難になったことは、もはやかれにとり大統領にとどまることの意味は無く、大統領職を2期務め引退する事を選択したのも必然という感じがいます。

かれ自身は共和政創設にあたり「党派を超えた大統領」として振る舞い、君主政的要素を持つ大統領職を持った共和政という今のアメリカの枠組みを作り上げ、「党派の中の大統領」の時代になってもかれが作り上げたアメリカの政治的な大枠は維持されいまに至っています。抑制というものを持たない政治家も目立つようになる中、この枠組がどこまで維持されるのかは注視していく必要はあるかもしれません。

8月の読書

さて、前のブログ(teacup)がサービスを終了してしまったため、本日より此方が表の方で使われるようになります。

 

8月はこんな感じで本を読んでいます。

 

周藤芳幸(編)「古代地中海世界と文化的記憶」山川出版社:読了

伊藤貞夫「古代ギリシアの歴史」講談社(学術文庫):読了

中野勝郎「ワシントン」山川出版社(世界史リブレット人):読了

スタインほか「アレクサンドロス古道」同朋社:読了

ジャック・ハートネル「中世の身体」青土社:読了

木村靖二(編)「1919年 現代への模索」山川出版社(歴史の転換期)

山川出版社の「歴史の転換期」シリーズも残すところあとわずかとなってきました。今回出たのは1919年、現代という未だ人によって評価や判断の基準が定まらない時期をあつかいます。

「現代とは何か」といわれたときに、これだという明確な指標や定義という者はまだまだ出来ていないような状況です。機械的に20世紀を現代というわけにもいかないようで、なかなか難しいようですが、本書では現代を模索するこれらの国々の歴史をたどりながら、現代を理解する手がかりを求めていこうという意図のもとでロシア、アメリカ、ドイツ、そして中国という4つの国を扱っています。

革命により、帝政が倒れ、さらに社会主義体制の樹立へと向かう一方、内戦が発生したロシア、戦勝国として戦後の国際社会にもさまざまな形で関わり大量消費、大衆社会の出現や社会の保守化(移民制限など)が見られたアメリカ、ヴァイマル共和国のもと民主主義国家の構築に取り組みながら最終的にナチの独裁に至ったドイツ、そして伝統的価値観と新しい民主主義的価値観がみられるなか国民党の指導者達も様々な国家のあり方を模索していた中国、この4カ国の歴史を追いながら、現代の歴史的展開を見ていくということになるでしょうか。

内容的には10年代後半から20年代、30年代あたりの歴史的な事柄がまとめられており、現代史について色々と読んで勉強になるないようだと思います。この4カ国を柱としつつ、他の国々や地域についても言及されており、第一次世界大戦と、それが戦後世界にどのような影響を与えたのか、そして戦後世界で各国は何を目指し、それがどこに向かっていくのか、大まかな流れをつかむのに良いかなと思う一冊でした。

 

ウィリアム・ダルリンプル(小坂恵理訳)「略奪の帝国 東インド会社の興亡(上・下)」河出書房新社

イギリス東インド会社というと、ヨーロッパの重商主義政策の展開や、イギリスによるインド植民地化の話でかならず登場する勢力です。イギリス東インド会社がインドに進出を図ったのは17世紀、インドはムガル帝国のもとで繁栄を極めていました。それが、18世紀に入るとムガル帝国が急速に衰退したことも関係ありますが、東インド会社がインド各地の勢力を打ち破り、インドの大部分を支配下に置いていきます。

王の勅許により造られた特権会社というかなり特殊な物ではありますが、一つの会社に過ぎない東インド会社が勅許から軍隊の保持、独自の外交など様々な権利を引き出しつつ一つの主権国家の如く振る舞い、在地勢力と戦い、ムガル皇帝から豊かなベンガルにおける徴税・行政権を認められ、気がつけば19世紀初頭時点でムガル皇帝を保護下におき、インドでこれに対抗できるものはないという所にまで発展していきます。本書では一企業が国家になりかわっていく過程を描くことに重きが置かれています。これが本書の柱の一つでしょう。

この過程で活躍した東インド会社の社員やインドに関わった様々な人についても、単なる名前の羅列でなく、非常に分かりやすく描き出されています。ヘースティングスのようなかなり真面目なタイプもいますが、インドから富を得る事に関しては概して貪欲であった東インド会社の人々、特に初期の頃に活躍したクライヴの栄光と挫折は非常に活き活きとした描写が為されていると思いました。また、アメリカで一敗地にまみれたコーンウォリスがインドに派遣されていたり、アーサー・ウェルズリー(のちのウェリントン公爵)がマラーター同盟との戦争で活躍していたりといったぐあいにイギリス史の他の分野でその名を見かける人物がインドでの勢力拡大に関わっている様子も窺えます。

話の本筋とは離れますが、現地で活躍したクライヴやヘースティングスは無実の罪を着せられて糾弾される(そしてクライヴは結局自殺する)という事態に陥っています。事実無根な偽情報であっても繰り返しそれが流され、やがてそれが本当のことのように思われ、糾弾されひどい目に遭うという流れをみていると、世の中に流れる怪しげな情報に如何に向き合うのかという点で色々と考えなくてはいけないものがあるようです。

一方、衰退するムガル帝国と地方の繁栄という18世紀インドの状況、そこで活躍した様座な人物や出来事についても詳しく描かれています。文人として優れ、帝国復興を成し遂げようとしながらあと一歩というところで完全に失敗してしまったシャー・アーラム2世と、彼の帝国復興の試みを支えた最後の有能な武将ミールザー・ナジャフ・ハーン、ベンガルを繁栄させたアリーヴァルディー・ハーンとその後イギリスと戦い敗れたシラージュ・ウッダウラ、ミール・カーシム、マイソールを繁栄させイギリスを苦しめたハイダル・アリーとティプー・スルタン、そしてマラーター同盟の君主達など、時として過剰なまでに暴力的な者もいるものの、個性と才能にあふれたインドの人々の姿や彼らの業績についてもかなり頁を割いて描いています。

この時代のインドというと、世界史の用語としてプラッシーの戦いなどが単語として出てくる程度で、イギリスがインドを支配する過程としてしか理解されず、単なる背景のような扱いをされがちな18世紀インドについて、かなり解像度が上がるのではないでしょうか。また、この時代のインドの諸勢力がヨーロッパ、特にフランスの支援を受けながら近代的な軍隊の建設にとり組み、かなり成果も上げているというところが見て取れます。では、軍事力という点では東インド会社と遜色のないものを作り上げたインドの地方勢力が東インド会社に敗れていったのは何故か、やはりインドの諸勢力がまとまりを欠いたと言うことが大きいことが本書を通じて示されています。

東インド会社という一企業が国家に取って代わる過程を描く本書ですが、利潤追求が第一義的な存在理由である企業が利潤追求とは必ずしも相容れない公的な分野に関わる場合、どのような問題が起きうるのか、ベンガルにおける飢饉とそれに対する対応はそのような問に対する一つのケースとして知っておいて良い事だと感じました。利益とは違う見方で動かねばならないことと言うのは存在する、自由な経済活動は認められるとしてもそれは野放しというわけではなく国家も何らかの規制をかけてくる、東インド会社の発展の歴史からはそのようなことも見て取れるかとおもわれます。

7月の読書

7月になりましたが、8月でteacupがサービスを終えてしまうので、はてなブログに移転してきました。現在このような本を読んでいます。

 

ウィリアム・ダルリンプル「略奪の帝国 東インド会社の興亡(上・下)」河出書房新社:読了
木村靖二(編)「1919年 現代への模索」山川出版社(歴史の転換期):読了
ワイルド「サロメウィンダミア卿夫人の扇」新潮社(新潮文庫):読了
ナボコフ「ディフェンス」河出書房新社河出文庫):読了

上半期ベスト

上半期はぜんぜん本が読めておりません。それはこのブログの記事の少なさにも出ています。
というわけで、上半期ベストは6冊だけになりました。上下巻とか3巻本とかありますが、それは1つということで。

前田弘毅「アッバース1世」山川出版社
デイヴィド・アブラフィア「地中海と人間I・II」藤原書店
清水亮「中世武士 畠山重忠吉川弘文館
藪耕太郎「柔術狂時代」朝日新聞出版
森山光太郎「隷王戦記3 エルジャムカの神判」早川書房
中村隆文「物語スコットランドの歴史」中央公論新社

この6冊と言うことにしたいと思います。

正直忙しく読書意欲が低下したのと、ちょこちょこ洋書に手を出した結果あまり日本語の本を読めなくなっていること(いまちょいちょい読んでいるのはギリシア人の歴史です)、そしてこのブログに記事を更新すると8月以降面倒そう(移転先はあります)、そんな感じで読書及び感想のアップが滞っています。

7月以降はどうなるかわかりません。

中村隆文「物語スコットランドの歴史」中央公論新社

中央公論新社の『物語○○の歴史』シリーズは、読みやすくなかなか興味深い国々や地域が扱われており、多くの場合は一定のクオリティは備えているものが多いと思います(たまに一寸内容のバランスがどうなのかとか思うところもあるのですが、大体の傾向の話です)。ブリテン島については、すでに議会を軸に据えながら展開される「物語イギリスの歴史(上下)」がありますが、今回はスコットランドに焦点を当てた一冊がでました。

かつて一つの独立した王国であり、それが18世紀みイングランドと合同して「イギリス史」の中に組み込まれたスコットランド王国の政治史と、イングランドと合同後も啓蒙思想産業革命などの歴史的に重要な事柄について存在感を放ち、さらに近代に入りロマン主義が時代の基調をなす中で進められた「スコットランドらしさ」の復興、そして現在の状況まで、本書ではスコットランドの歴史を政治史だけでなく、スコットランドの宗教史、文化史についても章をさいています。

政治史パートを見ていると、一つの国家としては極めて不安定であり弱いと言わざるを得ないスコットランドの姿が窺えます。王国として姿を現した初期の時点では安定した権力継承には程遠い仕組みのタニストリーが王位を巡る混乱を生んでいます。さらに隣国イングランドとの間の国力差とそれに関連するであろう王が戦いを起こして戦死したという記述も目につきます(相手が弱っているとみて戦いを起こしたのに、負けて王が戦死というのはどうなのかと)。さらに、従来から頻繁にみられた貴族同士の権力抗争に加えて宗派の違いまで絡んでくる16世紀以降の政治的状況は一体どうした物かと思ってしまいました。

一方、本書において興味深い内容が盛りこまれているのは後半の思想や宗教、学問や文化に関するパートでしょうか。国家としてのスコットランドが消えた後の時代ですが、スコットランドの存在感を示す様々な文化が育ち存在感を示していくのはむしろここからでしょうか。

ケルトキリスト教カトリックの受容、そして宗教改革カルヴァン派の展開といったスコットランドの宗教事情、宗教事情と関連しながら様々な文化的要素の相互交流や対立を通じて発展した教育制度についてまとめられているところはなかなか興味深い内容が盛りこまれていました。長老派教会の平等主義的な考え方が教育を比較的広く行き渡らせるうえで重要な意味を持ったというところが大きいようです。

また、スコットランドは「スコットランド啓蒙」と呼ばれる学問・思想面での活発な活動が見られた地域です。ヒュームやアダム・スミスといった人々の活動がまとめられ、国力で圧倒的に差を付けられているイングランドに抗しうる人材がそだつスコットランドの姿が描かれています。

スコットランドの文芸についても色々と物議を醸した『オシアン』、そしてロバート・バーンズウォルター・スコットというスコットランドの現状を認識しつつ「スコットランドらしさ」を取り戻し生きながらえさせていった文学者についての記述があります。バーンズやスコットの活動により示された「スコットランドらしさ」については、現代で見られるステレオタイプ的なスコットランド像にもつながる所はあると思います。なんとなく、日本について「サムライ、フジヤマ、ゲイシャ」と言っているのと似たような感もありますし、本書の終盤に登場するミュアの考えるスコットランドらしさともまた違う所はあると思います。

思想や文学、学問以外にも、近代に発展したスコットランドの土木建築もまた重要な文化的貢献といえるでしょう。産業革命の進展、工業化が進む時代にスコットランドで様々な建造物が造られ、スコットランド出身の建築家が英国各地で活躍しているだけでなく、スコットランド啓蒙や知的活動を支える場を提供するという意味でも土木建築がスコットランド文化に欠かせない物であるという本書の指摘はなるほどなと思うところがあります。

一方、産業革命や工業化の進展に伴い、格差や貧困問題など社会問題も生じてきました。こうした社会問題の方に目を向け、経済家期にイングランドへの依存が進むスコットランドが自立してやっていくために何が必要かを考えたのが詩人のミュアです。バーンズやスコットとは違う視点の取り方をしているようですが、スコットランドアイデンティティスコットランドらしさを如何に取り戻すのかという問題意識は共通しているようです(まあ、ミュアの「スコットランド紀行」ではウォルター・スコット邸「アボッツフォード」は批判的に見られていた記憶がありますが)。

一つの独立した国家としてやって行くには非常に困難な場所だということがイングランドと合同するまでの政治史パートから受けた印象ですが、現代についても正直独立国家としてやっていけるかというとかなり厳しいだろうというのが読後の感想です。北海油田もあてにはできないようですし、国民投票で一端ストップしたスコットランド独立についてもブレグジット以後再燃するのかもしれませんが、独立後の国家運営を考えないと後が大変な場所だろうと思います。国は作ったら終わりではなく、造ってからが本当の勝負になってきます。

すんでいる人それぞれに「スコットランドらしさ」の理想型はあるでしょうし(それもあって、独立の国民投票は独立に至らなかったわけで)、今後もスコットランドの独自性、アイデンティティはどこにあるのか、そういったことも考え続けることにはなるのでしょう。かつてバーンズやスコットが格闘して提示してきたスコットランドらしさとはまた違う何かがこれから出てくるのかもしれないと思いつつ読み終えました。

圧倒的に国力差があるイングランドに組み込まれ、連合王国の一部を形成する状態はまだまだつづいていますが、そこで埋没せず、独自性を主張し続けるスコットランドの歴史や文化がコンパクトにまとまっています。また所々のコラムでは、スコットランド由来の物やスコットランドの文化に関する記述があり、これもなかなか面白いです(ゴルフとかハギスとかでてきます)。

6月の読書

6月になりました。
5月はあまり読めず、またなんとなく感想を書こうという気が起きず、そこまで意欲がでない感じだったため、感想なしで。

なんとなく調子が出ないですが果たしてどうなるか。上半期ベストはずいぶん少なくなります。

 
 

熊倉潤「新教ウイグル自治区中央公論新社中公新書):読了

星泉、三浦順子、海老原志穂(編)「チベット幻想奇譚」春陽堂書店:読了

千葉ともこ「震雷の人」文藝春秋社(文春文庫):読了
中村隆文「物語スコットランドの歴史」中央公論新社中公新書):読了

5月の読書

5月になりました。今年はなんか忙しくあまり本が読めていませんが、はたしてどうなるか。

リン・ハント「フランス革命の政治文化」筑摩書房ちくま学芸文庫):読了
マイケル・クリコフスキ「後期ローマ帝国史I 帝国の勝利」白水舎:読了
弘末雅士「海の東南アジア史」筑摩書房ちくま新書):読了
桑木野幸司「ルネサンス 情報革命の時代」筑摩書房ちくま新書):読了