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窪添慶文「北魏史 洛陽遷都の前と後」東方書店(東方選書)

通史、概説の類いというと、序文はさておき内容的には大体時代順になるような構成を取る本が多いかとおもいます。歴史書籍の構成として古い時代から順番に新しい時代まで描いていくほうが、時間の流れとも合致するのでわかりやすいのでしょう。そのため、意図的に時系列をずらして内容を構成することで、普通とは少し違うという印象を与え、注意を引く効果を与えることができるのかもしれません。

本書はまさにそのような本だといえます。まず最初に扱われるのが孝文帝が家臣たちに洛陽遷都を告げる場面からなのですが、一部の家臣との打ち合わせのうえで南方遠征を行うか洛陽に遷都するかを家臣に迫り、多くの家臣たちは不意を突かれるような形で遷都が実現するという、極めて劇的な場面が描かれています。

読者にかなりのインパクトを与えるであろう序章の内容で興味を引きつた後は、孝文帝親政期に行われた諸政策、洛陽遷都後の政策がまとめられます。以後、北魏の前身である代国の時代から、北魏の建国、そして孝文帝の時代に入る直前までの時代を扱った後で、孝文帝以後の東西分裂と北斉北周の時代、そして隋唐帝国の時代へ向かうことが扱われます。そして、本書を通読すると孝文帝の治世が北魏、ひいては中国の歴史において大きな転換期であったことが印象づけられる構成になっています。

北方民族の部族連合的な国家としてスタートした代国から、北魏華北をまとめながら北方民族による支配の色を色濃く残す孝文帝以前の時代、孝文帝以後の胡と漢を一つにまとめながら中華を支配する帝国へと変貌していった時代という具合に北魏の歴史が整理されている本だと思います。このなかで三長制や均田制といった政治制度や社会、そして仏教関係の話など文化に関しても触れられています。

面白い内容がおおく、すべてを取り上げることは無理なので少しだけ挙げると、南北朝時代南朝の宋による「北魏包囲網」が東部ユーラシアを舞台に形成され(北魏も対抗する動きを見せていますが)、倭の五王の遣使もそのような文脈で理解が可能であるというのはなかなか刺激的な見方だと感じました。文化というと、南北の間での使者のやりとりにおいて学識や教養が求められたが、そのような場面では北魏はどうも劣勢だったようです。しかし「水経注」や「斉民要術」などの学術面の成果や、多くの仏教美術など、見るべき者が多い時代でもありました。そして、宗教では一時は国家の保護も受け、「三武一宗の法難」の一つにも関わった道教のことも触れられています。

さらに、北魏が東西に分裂し、北斉北周となった時代についても、領土や主力となる兵の多くが東にいったなか劣勢にたたされた西が対抗策として府兵制が導入したこと、優位に立つはずの東(のち北斉)が建国に協力した勲貴と漢人貴族たちの対立という問題を抱え込み苦労することなども書かれています。また、孝文帝がどちらかというと門閥主義的なやり方に対し西魏北周はそれと対立する路線を採用したのに対して東魏北斉は孝文帝の路線を継承する路線であったことなどにも触れられています。

終章で東魏北斉に由来するもの、西魏北周に由来するもの、そして南朝に由来するものが隋唐という統一帝国に引き継がれていることを様々な点から検討していきます。隋や唐が諸制度や文化的気風をひきついでいること(女性の力がかなり強いところなど)、孝文帝が胡と漢を融合した秦漢とはまた違った中華帝国建設への道を開いたということにふれてまとめられています。統一帝国の狭間の時代で、中華帝国のあり方について一定の方向を定めたというところに北魏という王朝の歴史的意義があるようです。
なお、最近目にすることが多い「拓跋国家」ということについては、隋唐が南朝の要素も引き継いでいることを考えると、どちらかというと慎重な姿勢をとっているようです。

以上、一冊で代国および北魏、東西分裂後の時代までをあつかうため内容は多岐にわたります。興味を持ったことをいくつか挙げて紹介してみましたが、面白いので是非読みましょう。