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檀上寛「陸海の交錯 明朝の興亡」岩波書店(岩波新書)

岩波新書ででているシリーズ「中国の歴史」はなかなか思い切ったシリーズ構成をしています。1巻では有名人は有名な出来事をあまり出すことなく、古代中国の構造を描き出し、2巻目では江南の歴史を、3巻目では草原から見た中国史を描き出してきました。通常の王朝順の歴史とは違う独特の構成で進んできた4巻目は、明朝の歴史を1冊でまとめて描き出していきます。

通常、明朝の歴史というと概説書では明の歴史だけでなく清(だいたいアヘン戦争前まで)の歴史もまとめて扱われていたりすることが多いです(昭和堂の中国の歴史は明だけで章をつくっていましたが、これは中国史の概説の構成としてそうなったという感じです)。また、明という王朝がなんとなくぱっとしないところもあります。暗君や暴君と言ってしまった方が良い皇帝の逸話、対外的にも南北両方で苦労している様子、困窮する農民と奢侈に溺れる上流層の格差社会など、あまりよい印象はありません。いっぽうで銀の流入と経済の発展、陽明学や小説、印刷と出版の発展など文化面での新しい動きといったことも取り上げられています。

本書では、明が身分序列の固定化と現物経済の維持により流動化をおさえ、法を用い他律的儒教国家を作り上げ、さらに朝貢一元体制で対外関係も統制しようとしながら、それが都市化と商業化、銀経済の発展など様々な要因により緩んでいくこと、そのような状況下で「上から」体制を立て直そうとする改革や、社会の側で国家に対しより良い統治を求める「下から」の改革が起きていくこと、朝貢一元体制で周辺国を統制する体制が緩み、複数の小中華が並立する世界へと移行すること、こういったことがまとめられています。

明朝300年の歴史を扱う本書ですが、どのような政治や社会が望ましいのか考えるきっかけになりそうな内容が盛り込まれています。際限なく私利を追求する皇帝、度を越した上位者(地主や官僚、郷紳など)のふるまい、社会の流動化がすすむなかで拡大する格差などが随所に盛り込まれています。東林党など同時代の知識人たちはあくまで既存の秩序を保ち儒教的な「分」を守ることを前提としてこうした問題を解決しようと考え、行動してきましたが(それゆえ民衆の行動に対しては批判的になる)、現代に生きる我々は東林党たちとは違う形での解決をどんなに面倒であったとしても、とにかく考え続けなくてはならないでしょう。

歴代の皇帝たちについても触れられていますが、元末の混乱と群雄割拠のなかから明を樹立し皇帝独裁を確立した朱元璋、奇行にはしった正徳帝や大礼の儀や道教への没入などろくでもない行動の嘉靖帝、明はこの皇帝の時代をもって滅びたとまで言われた万暦帝、常に疑心暗鬼で死の間際まで失敗は家臣のせいと考えていた崇禎帝など、なかなか強烈な皇帝たちが揃っています。こうした皇帝たちに対する本書でのコメントはなかなか厳しものもあり、特に皇帝権力を強化し強制的に秩序を守らせようとする朱元璋に対する「狂気と信念の非人間的皇帝」というフレーズは非常に強烈なものがあります。他方、正徳帝に対しては奔放ではあるけれど不自由と孤独を感じながら伝統的秩序に抗い足掻いた皇帝という見方をしていたりもします。

そして、明というと閉鎖的な朝貢一元体制をとったが、世界規模での銀の流れやら北虜南倭やらの影響によって互市体制へと移行したという感じで理解されることがあります。外に向けて開かれていたモンゴルに対し内向きで閉鎖的な明といった感じのイメージが流布されたりもしています。明の対外関係に関して本書は、政治主導の政経一体をなす朝貢一元体制をそこまで内向きのものとは見ていないようですし、朝貢一元体制の枠組みは銀の流入や北虜南倭をうけても崩れることなく維持されているという視点をとっています。この辺りは、互市体制論を主張する研究者と見解が分かれる部分のようにかんじました。