まずはこの辺は読んでみよう

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小笠原弘幸「オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史」中央公論新社(中公新書)

ヨーロッパ、アジア、アフリカの三大陸にまたがる広大な領土を支配し、イスラム世界の盟主として、多民族・多宗教帝国を維持したオスマン帝国の歴史は、支配下にあった地域に様々な影響を残しました。

アナトリアというイスラム世界の辺境地帯の一君侯国からスタートしたこの国は、強大な力を持つスルタン、スルタンを支える大宰相を筆頭とする官僚、イェニチェリに代表される強大な常備軍による強国となり、やがて近代に入るとヨーロッパの圧力に苦しむ「瀕死の病人」としてあつかわれていくということが日本の世界史の本では多いように思います。

本書は、そんなオスマン帝国の歴史について、オスマン王家による王位継承、スルタンを頂点とする国家の権力構造、そしてオスマン家による帝国支配、イスラム世界のリーダーとしてのオスマン帝国の支配の正統性を保証する理念といったものに焦点を当てながら、オスマン帝国600年の歴史を描き出していきます。

構成としては、君主が有力者の第一人者だった封建的侯国の時代、絶対的専制君主として君臨した集権的帝国の時代、君主権を掣肘する諸党派との関係の中で君主が存在した分権的帝国の時代、そして帝国近代化、タンジマート改革、立憲政治が展開された近代的帝国の時代にくぎり、君主たちの業績を時代順にまとめながら話が進んでいきます。オスマン帝国の史家たちが書いてきた「オスマン王家の歴史」の伝統を意識した体裁にしてみたということがあとがきに見られますが、君主の登場した順番に時代順に配列した通史というのは日本人には馴染みやすいと思います。

王位継承や権力構造に焦点を当てているためか、君主と彼を支える家臣団や軍隊との関わりについての話が多く、社会や経済、文化についての話がその合間に盛り込まれていますが、中心は王家や権力構造の話です。以上のような本論とは外れる部分で興味深い話題も色々とあり、社会や文化といった事柄の掘り下げも期待したいと思うところがありました。また、帝国統治のための理念や正統性といったことについては随所に触れられており、オグズ・ハンの子孫(それも長孫カユの子孫というオグズ・ハン子孫の正嫡)として自らを位置付けたり、スンナ派イスラム世界の盟主としての意識を持つようになり、スルタンがカリフであるという思想そのものは16世紀には出現し、それが18世紀頃より全面に出てくるといったことも指摘されています。

集権的帝国の時代の頃までは君主が恣に権力を行使し、奴隷的家臣を官僚として用い、常備軍を従えて専制政治を行う方向で仕組みが作られていきます。この辺りの説明で興味深かったことは、オスマン帝国イスラム世界の正統派からみるとイスラム法の定めやイスラム世界で一般的な考え方から逸脱した事柄が時に行われているということです。現金ワクフ、デヴシルメ制、「兄弟殺し」などがまさにそれにあたるようです。

他のイスラム世界の王朝がどうだったのかということも知りたいと思いますが、興味深い指摘だと思います。これもアナトリアというイスラム世界の辺境に興り、宗教の混交状態のなかから発展した故のことでしょうか。さらに、このような帝国を正統派のスンナ派国家へと発展させる努力が帝国でも行われ、ウラマーたちの統治体制への取り込み、イスラム法とカーヌーンの統合といったことが行われていることに言及しています。また、17世紀に現れ、君主によっては権力強化のために利用した厳格なカドゥザーデ派のようなものもあったことも触れつつ、その時代でも柔軟性は失われていないということも指摘します。

そして、本書がこれまでのオスマン帝国史と違うと感じる部分は、分権的帝国の時代とカテゴライズされる17世紀から18世紀頃の帝国についての記述です。今までですと、この時代のオスマン帝国はかつての君主が指導力を発揮し集権的な体制でやっていたのがハレムやイェニチェリの政治介入により政治に問題が生じ、また対外的にも徐々に劣勢になっていく、「衰退の時代」として描かれてきたことが多いかと思いますし、一般的な世界史の知識では衰退期という扱いが多く見られます。

しかし本書ではこの時代には専制君主を掣肘する諸党派が形成され、諸党派の合従連衡のもと政権が運営されるようになった自体として、一定の評価を下しています。また、「兄弟殺し」がかつてほど徹底されなくなり、複数の男子が存在するという事態から、一定の手続き(君主の擁立、諸党派の指示、宗教的権威のお墨付き)を踏んで君主の廃位・交代が行われるようになったということも指摘されています。この辺りはなんとなくビザンツ帝国の皇帝廃位と交代を思い起こさせるものがあります。

そして、この分権的な体制のもと、軍事的には第二次ウィーン包囲失敗ののち、カルロヴィッツ条約などで領土を縮小しながらもしばらく大きな戦争もなく、国も安定して繁栄したのが「チューリップ時代」のような時期もあった18世紀だったということのようです。17世紀と18世紀を単なる衰退期としてでなく、体制の変容、安定と繁栄の時代として描き出したところが、これまでのオスマン帝国史の本当は違うところではないでしょうか。なお、この頃に現れてくるアーヤーンや、この時期にすっかり定着している徴税請負について、わかりやすくまとまっているのところはありがたいです。

それが維持し難くなっていくのが18世紀後半以降のことであり、近代化、君主と官僚などとの間の主導権争いが目立つようになる19世紀の帝国は様々な苦難に直面しながら、なんとか帝国を維持しようとしていったこともまとめられています。新書一冊のサイズで、最近の研究成果も色々と取り込みながら、従来とは違う視点でオスマン帝国について描き出そうとするところも見られ、非常に面白い一冊でした。