まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

吉川忠夫「侯景の乱始末記 南朝貴族社会の命運」中央公論新社(中公新書)

最近、南北朝時代の歴史が流行っているらしく、いろいろ本が出ているようです。そういうわけで、かなり古い本ですが、読んで見ました、、、

というどうしようもない話はさておき、中国史において五胡十六国の動乱が華北で続き、北朝ができるまでの時代、江南を中心とする中国の南の方では、東晋以降、いわゆる南朝として纏められる諸王朝が建康(今の南京)を都として続いていました。

南朝では由緒正しい貴族たちが力を持ち、皇帝の権威すら凌駕しているようなところもありました。そして、この時代には「六朝文化」と総称される貴族的文化が栄えました。王羲之の書、顧ガイ之の絵画、そして「文選」などが現代にも伝えられています。*ガイの字をそのまま入力すると文字化けしたため、カタカナ表記にしました。

そして、南朝の梁の時代、建国者蕭衍(梁の武帝)の治世は半世紀にせまり、人々は繁栄と平安を享受し、それはあたかも永遠に続くかのように思われていました。しかしそれは北朝から下った一武将の反乱により打ち破られることになります。侯景という、東魏で反乱をおこした後に梁に帰順した武将が、梁の武帝を最終的には死に追いやるとともに梁が事実上滅亡してしまうという大事件を引き起こしたためでした。その侯景も支配を確立できず、あえなく死ぬことになるのですが、その一連の顛末を記したのが最初の「南風競わず」です。

そしてその後には侯景が反乱を起こすきっかけとなった東魏と梁の間の交渉のため、東魏に赴いた梁の貴族が、侯景の乱をきっかけに帰ることができなくなり、東魏とその後にできた北斉に抑留され、やがて南へ帰り、南朝最後の陳に使えることになったという数奇な運命を描いた「徐陵」と、侯景の乱後の混乱のなか、華北西魏が「文選」の編者昭明太子の一児を抱いて傀儡政権として作った後梁の歴史をまとめた「後梁春秋」をおさめています。

本書は南朝の梁の滅亡から陳の建国あたりの時代を扱い、それと同時に北朝の情勢も詳しく扱います。北魏が東西に分かれ、東魏で高歓の一族が力を持ち、新王朝を樹立する様子や、西魏から北周ができ、やがて北朝がまとめられ隋ができるまでの流れもおさえることができるようになっています。また、梁のあとの陳はそれ以前とは異質な王朝であるということを示し、侯景の乱が南朝貴族社会の幕を引くきっかけとなったことを意識させられる内容になっています。

南北朝時代を扱った書籍という希少性、題材の面白さもさることながら、出来の良い歴史小説を読んでいるような気がしてきます。仏教を篤く信じる武帝のもと繁栄が続く梁の都の風俗にはなんとなく爛熟の時代といった雰囲気も感じられ、外交交渉の場では国家の威信をかけた巧みな言文の応酬、詩のやりとりが展開される様や、侯景の乱により甚大な損害を被った貴族たちの惨状、そしてこの時代を生きた数多くの人々の変転する運命、こうした場面の描写を読んでいる間に南北朝時代の歴史や文化に引き込まれる人もいるでしょう。

貴族社会の黄昏時を、非常に読みやすい文章で描き出した一冊で、読んでいるうちに南北朝時代の一場面がくっきりと目に浮かんでくる、そんな本だと思います。出版されたのが1974年、そして要望はあるものの、現時点では絶版、復刊や文庫化もなされていないというのが実に惜しいです。