まずはこの辺は読んでみよう

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佐藤信弥「周 理想化された古代王朝」中央公論新社(中公新書)

中国の王朝というと、殷周秦漢…といった順番はどこかで覚えさせられた人は多いのではないでしょうか。しかし、高校の世界史では周の時代の後半は春秋時 代・戦国時代とよんで、周の諸侯だった斉や晋の「春秋五覇」、韓魏趙燕斉楚秦の「戦国七雄」といった国々、諸子百家の活躍といった事柄については結構扱い ますが、周王の権威が低下している東周の時代のことが中心になり、西周については封建の話をするくらいでしかありません。全体を通してみると、西周が東周 の時代の添え物のような扱われ方がされてしまっています。

それに対し、本書では周の歴史のうち、西周に関する部分を多く扱い、西周の王にとって軍事と並んで重要な祭祀儀礼、礼制のありかたがどのように変わって いったのかをまとめ、そして西周時代の礼制や政治など制度が東周以降の時代にどのように捉えられてきたのかにも触れていきます。西周の礼制の後世への受容 を考える時、東周の王はほとんど役割を果たしておらず、諸侯や貴族、儒家たちが西周の歴史や諸制度(礼制など)を文献を編纂して伝えていった様子がまとめ られていますが、儒家による礼制は東周の礼制に西周っぽいものをくわえて「復古」したものであるということで、新しい伝統の創造といった感があります。儒 家に限らず、伝世文献にみられる西周の制度や歴史は春秋・戦国時代に新たに「創造」されたものといえるのかもしれません。

よんでいると色々と新鮮な指摘があり、周の一族のアイデンティティはある時は農耕定住民、ある時は移動生活を送る集団といった具合に揺れていたこと、殷王 に女性を嫁がせていたり、殷王が関与するかたちで他の有力者と婚姻関係を結び殷王室の一員として殷を支えていたこと、封建については殷の時代に実施されて いたことなど、初めて知りました。周の封建についても王の直轄地に封じられた邦君と外に封じられた諸侯がいるという違いがあるといったことや、王家や重臣 の一族の本家筋が邦君として家を残し、子弟を外へ諸侯として封じて統制をとっていたこと、封建に際し王朝の方でかなり細かいところまで土地や人民について 把握されていたことがうかがえるなど、詳しく紹介されていました。

また、西周の政治や祭祀儀礼の制度については、初期の頃は特定の重臣が政治を指導し、やがて執政集団が形成され、西周の終わりに近づくと初期の頃のような 重臣による政治指導があらわれてくることが指摘されています。また、西周の儀礼をみると周が栄えている頃は王のもとに人々が一堂に会しておこなわれる会堂 型儀礼がおこなわれ、やがて周王が体制の揺らぎをなんとかしようとする中で王が臣下に官職や職務を任命する冊命儀礼の記録が増えていくことが指摘されてい ます。

そして、この本では周王朝の姿を再構築するにあたり、後世に伝わった文献資料(五経とか史記)よりも、最近も続々と調査発見が進む青銅器に銘刻された金文や甲骨文を多く用いているところが大きなポイントだと思います。文献に書かれていることから創造される周の姿と、金文や甲骨文から描き出される周の姿は随分と違うといいますか、むしろ後世の理想化や潤色のない当時の本来の姿がうかがい知ることができ、非常に興味深く読みました。儒家の礼制の実態を明らかにする上でも、これら出土文献が果たす役割は大きいことがわかりましたし、孔子が書き残した文献や司馬遷により描かれた周の姿とは随分と違う周王朝の姿が描かれており、非常に新鮮でした。