まずはこの辺は読んでみよう

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渡辺信一郎「増補 天空の玉座 中国古代帝国の朝政と儀礼」法藏館(法蔵館文庫)

中国というと皇帝による専制国家、という理解は多くの人にも広まっているものだと思います。しかし、専制政治をいかにして成り立たせるのか、そのしくみについてまではあまり深く考えていない、単に皇帝が独裁的に好き勝手に決めているという程度の理解の人もいるでしょう。

本書では、中国ではどのようにして皇帝が官僚を使って政治を進めるのか、皇帝が君臣関係をいかに作り上げるのか、異なる国家や種族との関係も含めて、地方との関係をどのように作っていくのか、専制国家の枠組みを維持しているのか、そのことについて朝議、元会儀礼のありかたから迫っていこうとします。

まず、専制政治の中国で,意思決定は皇帝が行っており、イニシアチブは常に皇帝が握っています。しかし,ではどのようにして皇帝が意思決定するのか、ある事柄についてどう考えるのか、その材料というものが必要となります。皇帝の意思決定の材料を得るための場、それが一部高級官僚だけで行われるものから百官を集めておこなう大規模なもの、各種専門会議まで含め様々な会議があり、そこでの議文をもとに皇帝が決裁する、あくまでも皇帝が主導権を取りつついろいろな意見を聞いて決定するものが中国の専制政治であるということが示されていきます。そして、これらの会議に基づく政治において、地域とのチャンネルが欠落している(元会の時に話を聞く場はあるがそれは国制上での会議ではない)ということも指摘されています。このようなあり方から、中央で決定したことが地方に施行される一方通行的な面がかなり強い体制とも言えるように感じました。

そして各種会議を開く場の問題も検討され、皇帝の政治空間と官僚の政治空間が分かれていた時代から、やがて会議を行う場に皇帝がのりこむ、皇帝の近くに場が会議の置かれるようになるなどの興味深い指摘や、秘書機能を担う中書・門下省の置かれた場所が、皇帝が表に出てこなくなる南朝では皇帝の私的空間である大極殿西堂のほうになっていくが、これは西堂が日常の朝政の場となったことと関係するという事が述べられています。皇帝が表に出ない、そのため取り次ぎ役が重要になる,そのような流れがあったのでしょう。

次に、皇帝が君臣関係を確認する場として朝会儀礼があり、毎朝高級官僚と行うもの、月の決まった日に多くの中央官僚と行うもの、そして冬至と元旦の朝に中央官僚と地方からの使節団、外国使節団と行うもの、この3つが挙げられます。これを通じ皇帝は高級官僚、中央官僚、地方、そして外国との君臣関係を構築し,その中枢をなすのが元旦の元会儀礼でした。

この元会儀礼のありかたは、漢の時代の朝儀(中央官僚が礼物を皇帝に送る)と会儀(皇帝が賜物や饗宴の贈答を行う)により君臣関係を結び直していく形ができあがります。そこに地方の会計・政務報告や地方特産物や租税の上納(貢献)、人材の提供(世界史で出てくる郷挙里選を思い浮かべれば良いかと)による中央と地方の関係の更新、さらに周辺国の参加による中華と夷狄の関係の更新まで加わります。この元会儀礼西晋期に制度的に確立されてその後に引き継がれます。特に地方からの貢納に対し中央から地方支配と地方秩序維持を示す儀礼(上計使謁見・勅戒の儀礼)が実施され、皇帝と各地方長官の君臣関係を維持・更新していたことが示されます。

これが変わっていくのが隋唐の時代でした。唐の記録では中央官僚が礼物をおくることがなくなったり、諸州・諸外国の貢ぎ物を納める儀礼がはっきりと定められるなど、君臣関係の更新儀礼が消えて、地方や外国の従属・貢納関係が強調されているようです。いっぽうで、臣下が身振りで臣従を示す儀礼が加わったり、地方長官や高級幹部が元会儀礼に参加する仕組みのもとで上計使謁見・勅戒儀礼が消えるかわり、地方長官や高級幹部が任期1年の朝集使として元会儀礼に参加する(なおこの役職は在京中の儀礼への参加のほか、地方の人事考課、地方からの貢納や人材提供を任務とする)、このような変化が見られます。この変化には中央集権化の推進、君臣関係の一元化とともに、地方長官(州、郡、県の長官)が自分の本で働く部下を自分で選んでいた漢から六朝までとは違う状況が生じたことが関係するようです。地方との従属関係を見ていると、州、郡、県の長官がいるというところは郡県制度ですが、中身は封建のように見えます。

最後に、外国との関係、帝国的秩序についても元会儀礼からどのようなことが見て取れるのか,分析が進められています。様々な勢力を支配下に置く多様性に満ちた帝国的なまとまりを示すうえで、諸勢力からの貢ぎ物というのは重要だったことが分かります。また諸外国からの貢納物は従属関係を作るためだけでなく、貢納物が加工されて衣服や器物、食料となり、王朝で使われていたようです。

様々な勢力を支配下に置く多様性に満ちた帝国的なまとまりを示し、なおかつ王朝自体の維持のためにも必要、それが地方や諸外国からの貢納品だったというとろでしょうか。この部分に出てくる各国からの貢ぎ物が儀礼の場に並べられ、その多様性が明示されることで帝国的なまとまりが目に見える形で示される(庭実)ということや、禹貢の九州からの貢献物リストを見ると、を見ると、何となくペルセポリスのアパダーナの浮き彫りやヘロドトス『歴史』のアケメネス朝支配下のサトラップ一覧をみているような感じがしてきます。帝国的秩序を作るにあたり、幅広い勢力が従っていることを見せるというのは極めて重要な手段だったということが洋の東西を問わず見て取れる、と言うと言い過ぎでしょうか。こういう点で、ローマ帝国にそういう儀礼はあったか、私は残念ながら分かりませんが、あまりそういう話を目にした記憶がありません。「帝国」と日本語の単語では同じ物になりますが、色々と違いが現れているようにも感じます。

中国の専制政治がどのようにして機能していたのか、国内の君臣関係や外国も含めた帝国的な秩序がどのようにして成り立っていたのかを,儀礼を通じて明らかにしていく本書を読むのは刺激的で楽しかったです。これが文庫で読めるというのが実にありがたいことです。本書の対象は漢から後のことですが、皇帝専制の体制のもとで、このような分権的な封建のようなしくみと中央集権の郡県的なしくみの折衷が進んだというのがなかなかに興味深いところです。