まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

秋山晋吾「姦通裁判 18世紀トランシルヴァニアの村の世界」星海社(星海社新書)

18世紀後半、トランシルヴァニア侯国のある村で、姦通裁判がおこりました。夫が妻と自分のいとこを訴えるというこの姦通裁判の証言聴取記録がのこされており、それをもとにこの出来事の真相はどのようなものだったのかを探っていく一冊です。

しかし、姦通事件の真相もさることながら、これをきっかけとして近世東欧の村落社会がどのようなものだったのかを明らかにしていく部分が興味深いです。例えば、身分制社会というけれど、当時の村落にはどのような人々がいたのかといったことが示されています。貴族といっても田舎の中小領主と大貴族ではどのように違うのか、「農民」を表す言葉が2つ登場するが、それぞれどのような違いがあるのかといったことが扱われています。

また、当時の農民共同体のありかたについて、よく東欧ではグーツヘルシャフト、西欧ではグルントヘルシャフトというような違いがあり、東欧では農民の自立性がなく領主の力が強化されているといったことがいわれますが、そう単純ではなかった様子がこの村の記録からも明らかにされています。

姦通事件の現場となった貴族の屋敷を題材としながら、当時の家屋の空間的な話題も扱われています。屋敷の敷地のなかに複数の家屋が建てられ、領主と農民などが暮らしている様子や、複数の「家」が一つの建物の中にあることなど、現代の家とは違うものであることを改めて思い知らされます。

そのほか、当時の婚姻や愛と性にまつわる事柄や、農村における農作業や食事、暦や宗教・宗派、「魔法」など農村社会の生活に関する事柄、当時の初婚年齢や育児などなど、近世ヨーロッパの社会史的な内容が次々にまとめられています。この時代の農村がどのような社会を作っていたのかを考える一つの事例として非常に興味深いものがあります。この裁判をおこした夫は「男」として相当生きづらさを感じながら生活していたのではないかと思いますが、どうなのでしょう。

史料を読み込み、さらに関連諸分野の知見もあわせながら、近世ヨーロッパの農村の様子を復元した本書は、史料を読みながら、一つの歴史を描き出すことの面白さを一般向けに伝えてくれる本だと思います。一方で、歴史を描くことの難しさ、大変さも伝わってきます。終盤で一節を割いて語っているほか、本書の随所で触れられる、史料が語ることができることと、史料に現れていないことは、歴史の本を読む人、歴史を書く人が常に気をつけなくてはならないことだろうと思います。

歴史を書く、というと、残された史料の性格や成り立ちに注意しながら、その史料が語ることに耳を傾け、それに対して解釈を加えながら書き上げていくという作業になるかと思います。しかし全ての事柄が史料に残されているということはなく、欠落した箇所、断片的な事柄などもあります。史料を見ればそこに全て書いてある、などということはないですし、「一次史料」を読みさえすれば「真実」にたどり着けるなどと安易には言えないし、かえって道を誤ることにもなりかねません。

史料を読み解きながら歴史を描く楽しみと苦労、それを一般向けにわかりやすく示した本だと思います。