まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

平山優「検証長篠合戦」吉川弘文館

 

長篠合戦や武田勝頼、そして織田に関する世間に流布する諸々の説は果たして妥当なのか、今 一度史料に立ち返り再検討を加えていく本として、このブログで取り上げている「長篠合戦と武田勝頼」があります。しかし、まだ論点となる事柄がいくつか 残っており、その部分を論じるため別の本を後で出すと言うこと出だされたのが「検証長篠合戦」です。まず、前著で十分触れられなかった史料を巡る問題に1 章をさき、さらに鉄砲玉の成分分析や当時の馬に関する検討、そして長篠における陣営の構築の様相、戦国時代における戦い方と武田軍がほぼ壊滅するまで激闘 を繰り広げた背景といったことに迫っていきます。


まず、前著でも史料として良く用いていた「甲陽軍艦」、「甫庵信長記」については一般的には史料として信用できないという人も多いのですが、これらも含め 様々な軍記物について、それがどのような史料なのかと言うことを検討していきます。このあたりについては国文学の分野での研究成果をもりこみながら進めら れ、誤りもあるが信頼できる箇所もある結論に落ち着いています。すべてが正しいというわけではないが、裏をとりながら使用することは可能だという姿勢は当 然だと思っていたのですが、そうではない世界があったと言うことに少し驚いています。

その後は、織田、武田双方の鉄砲について扱っていきます。出土した鉄砲玉の成分分析をすると、南蛮貿易で入ってきた外国産の鉛もかなりつかわれていたと推 測されるようです。また、信長の鉄砲部隊編成についても、各武将が引き連れてきた鉄砲隊をピックアップして編成していたと考えられるようです。その辺りの ことも、出土した弾丸の口径に色々な物があることからもその辺りのことは伺えるようです。そして武田も決して鉄砲を軽視していたわけではないが、流通の要 所を押さえた織田を比べると武田のほうが弾薬の調達に苦労していた様子がうかがえることが示されています。そして山家三方衆の動向をめぐり徳川と武田が 争ったことについて、彼らの領域に鉛の鉱山があったからではないかという推測は注目に値することだと思います。

馬に関する章では日本の馬が実際にどのくらいの大きさがあり、どの程度の能力があったのかと言うことを改めて検討していきます。よく、日本の馬は今のポ ニー並のサイズで、重い武具を身につけた武士を乗せて戦うことなど無理であると言われています。しかし大きさが小さいことと能力の有無は全く別であるこ と、同じ日本でも東国と西国で馬の数、質に違いがあったことを主張していきます。また、武田の領国は平安時代の頃に馬の清算が多かったことは知られていま すが、戦国時代においても馬は多かったと言うことも示していきます。

その他、長篠合戦における陣城について、織田徳川連合軍がどの程度の物を作って武田軍を迎え撃ったのかと言った問題、戦国時代の合戦や軍制のあり方、そし て武田軍がなぜほぼ壊滅するような戦いになっていったのかということについても検討が進められていきます。大規模な改修をして陣城を作ったというわけでは ないこと、織田・徳川については無批判に兵農分離と言うことが言われているけれど、それは根拠に乏しいと言うこと等が指摘されていきます。

そして、何故武田軍が無謀とも見える突撃を繰り返したのかと言うことについて、戦国時代の戦い方として正面から突撃することはしばしば見受けられる戦い方 で武田軍が一概に無謀だっわけではないこと、そして信玄以来の高名、名誉についての意識が強く影響していたと言うことが史料などからうかがえるようです。 危険なところに飛び込み一番槍を挙げる、撤退・敗走する軍において最後まで踏みとどまるとそれが高く評価される可能性がある、ある時代にはうまくいってい た考え方が、別の時代には却ってマイナスの効果をもたらしてしまうと言うことは往々にしてありますが、長篠合戦についてもそのような見方はできるでしょ う。
 
前著同様、本書も史料に立ち返りながら、巷間流布する通説が妥当なのかどうかを検討していくスタイルです。検討を加えた結果、通説とは違う結論に到ることもあれば、通説の根拠が改めて確認されることもあります。何だ、結局通説通りじゃないかと思う事もあるかもしれませんが、根拠のない作り事を語らないことや史料的裏付けを元に語るということが歴史学では必要なことである以上、そういう結論に到ることも当然あるわけです。むしろ、特に根拠があるわけでもなく、兵農分離された織田信長の軍隊等々といった事を語ってしまう方がまずいでしょう。通説として流布している事柄について、本当にそうなのかと考え、確認することが必要でしょう。
 
本書で概要が説明されていた戦国時代の合戦の進め方をみていると、飛び道具で乱し、騎兵でさらに攪乱、とどめに歩兵を投入という、何となくナポレオンの三 兵戦術を思い起こさせるものがあります。より有利な状況を作り出し、そこに決戦兵力を投入して勝利を得ようとすると言うことに関して、洋の東西を問わず、 与えられた諸条件の制約の中で最適な方法を考えると、何となく似たような形になっていくのかもしれません。

本来武田家の跡継ぎと考えられておらず、諸般の事情により当主となった武田勝頼の不安定な地位が長篠合戦での勝頼の正面からの攻撃を引き起こした要因の一 つであるという推測も「長篠合戦と武田勝頼」でなされていましたが、本書では長篠合戦での武田軍の大損害についても、信玄以来の高名・名誉観が大きくした 側面はいなめないことが指摘されています。決して信玄も意図してこのような事態を起こすようなことをしたのではないのですが、結果として大敗北、そして数 年後の滅亡という事態に到ってしまうわけで、「勝頼敗北への道は信玄の意志により舗装されている」、と言ってしまいたくなります。自分の思うようにならぬ 運命に翻弄されながら、その中で一体何がどこまでできるのか、武田勝頼の生き様を見ているとそのような事を考えてしまいました。