まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

平山優「長篠合戦と武田勝頼」吉川弘文館

(注)本書はもっと前に読んだ本ですが、7月に「検証長篠合戦」がでるということで、まとめて7月に感想をアップすることにしていました。

 

長篠合戦というと、どのようなイメージを持つでしょうか。多くの人は織田信長が3000丁の鉄砲を用いて武田の騎馬隊を打ち破った戦いとして、またある人は交代しながらの輪番射撃という軍事革命的な視点で注目し、別の人達は最近はそのような交代しながらの射撃や武田の騎馬隊などという者は存在しないという通説批判を展開しています。近年では鉄砲3000丁ではなく最低1000丁、武田騎馬隊は日本の馬や軍制的にありえないといった論が支持を集めているように感じます。

 

そして、この戦いで勝利した織田信長が天才としてもてはやされる一方で敗れた武田勝頼はその数年後に武田家が滅亡してしまうと言うこともあり、重臣達の言うことを聞かずに戦争を開始し無謀な突撃を繰り返して大敗を喫した暗愚な武将として認知されるようになっています。しかし、世間に流布する諸々の説は果たして妥当なのか、今一度史料に立ち返り再検討を加えていく本も出てきています。それが本書「長篠合戦と武田勝頼」です。

 

武田勝頼家督相続、武田と徳川の間での領国争い、長篠合戦に到る過程といった箇所を読んでいると、領国内部の武士と大名の関係とか、領国の国境にいる武士達の動向といった事が実は非常に大事なことだということがわかります。さらに本書でも読ませどころとして強調されている「鉄砲三段撃ち」「武田騎馬隊」については、近年通説化しつつある見解にたいして、資料をもう一度良く読み直した上で見解をまとめていきます。

 

まず鉄砲三段撃ちの方ですが、まず「三段撃ち」といっているが、これは決して3列に並べて銃撃したというわけでなく、「三段」は3箇所に配置したといった程度の意味であること、そして3箇所に配置された鉄砲隊の中で交代しない形での輪番射撃を行っていたのではないかと結論づけています。次に「武田騎馬隊」に関しては、当時の騎馬武者が決して上級武士だけに限ったものではないこと、また参陣後に兵種ごとにあつめて部隊編成を行うこともあったり、東国では馬上での戦闘も合戦において発生することはしばしばあった事などが指摘されています。軍隊編成について近年の研究成果を反映した内容で、非常に面白く読めました。

 

そして、長篠合戦ににおける武田軍、織田徳川軍の布陣と戦いの展開に触れた後、戦後の変化についてまとめていきます。長篠合戦の勝利により武田という脅威がなくなった信長が西国に力を集中できるようになったこと、さらに「天下のため」を名目に信長に従うことを東国大名にも求めるなど「天下人」といった意識を強めていくきっかけになったと言う指摘は非常に面白く、そして武田家の滅亡は北条との同盟破棄によるということは状況としては大いにあり得ることだと思います。

 

本書では、武田勝頼の出自と武田家における彼の微妙な立ち位置、長篠合戦にいたるまでの領国をめぐる武田勝頼徳川家康の争い、織田の鉄砲三段撃ちや武田の騎馬隊の実像、そして長篠合戦における両軍布陣と戦いの展開、そして長篠合戦がその後の歴史の展開に与えた影響をまとめていきます。

 

本書を読むと武田勝頼は非常に大変な立場にあったと言うことがよく分かります。武田勝頼はそもそも武田家を継ぐ予定はなかったが、信玄死後に中継ぎ的立場で不完全な形での権力委譲の形で後を継がされ(孫子の旗印は使えなかったりします)、信玄以来の宿老達との関係も決して良好とは言えず、極めて不安定な権力基盤のもとに置かれていたことが知られています。そして家中での地位を確立するには戦で勝ち続けるしかなく、長篠合戦で勝頼が織田・徳川連合軍に正面から攻めかかる事を選択した背景として勝頼の情報分析の誤りにくわえ、このことを考慮する必要があるという指摘がなされています。

 

長篠合戦に至るまでの戦国時代の東国政治史の流れをおさえつつ、鉄砲三田撃ちや武田騎馬隊といった長篠合戦を巡り議論の対象となった事柄について史料を見直し、その上で著者の結論が出されていきます。今まで当たり前だと思っていたことも、それを鵜呑みするのではなく、今一度史料を読み直すことで分かってくることが色々とあるということが示されています。歴史に興味がある人は是非読んでみて欲しいです。