まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

柴裕之「徳川家康 境界の領主から天下人へ」平凡社

戦国三英傑としてまとめられる織田信長豊臣秀吉徳川家康、彼らの天下統一について「織田がつき、羽柴がこねし天下餅 座りしままに食うは徳川」という具合に語られることがあります。また、鳴かぬなら鳴くまで待つという後世の評価にも見られるように、家康というとじっくりと時が訪れるのを待ち、その時が来たら一気に動いて天下を取った、勝者となる実力を持ちながら虎視眈々とチャンスが来るのを待ち、最後にそれを実現したという印象が強いと思います。

しかし、最終的に天下人になったとはいえ、彼が天下取りを目指してずっと行動して来たのかというと、そうではないだろうという姿勢をとるのが本書です。内容としては、戦国時代の領国支配のあり方について随所で触れつつ、三河の国衆としての松平氏がどのようにして三河勢力を広げて行ったのか、一方で隣接する今川氏や織田氏とどのような関係にあったのかをあつかっています。そして、家康が三河のいち国衆だったところから三河を両国として支配する戦国大名に成長し、織田や武田、豊臣(本書では武家としての表記では羽柴で通しています。中央権力としての羽柴、羽柴のもとで展開された政権は豊臣権力・豊臣政権と表記しています)との関係の中で領国を拡大し、やがて豊臣政権の中枢で活躍し、主導権を握り、最終的に天下を取ったという流れがあつかわれています。

本書からは、徳川家康が今川氏、織田氏、武田氏といった大名たちの間でいかにして国衆たちを統合し領国支配を安定させ、自分の領国をいかに守るのかに腐心していたということが強く伝わってきます。この時代、国衆のような小規模な地域「国家」は領国の安定のため大名に保護を求め、もし大名に保護するだけの力量がなければ関係を切って別の大名を頼るということは普通に行われていました。そのことは家康についても当てはまり、今川が衰えたとなると今川氏の親類衆という立場を捨てて織田と同盟を組み保護を求めたり、逆に家康が支配下に置いたはずの真田には離反されたりといった形で現れています。また、家康が領国を守るため織田氏と組み武田氏と戦う路線を選ぶ一方で、家臣たちの中にはその判断をよしとせず、武田に通じようつする動きもみられるなど、大国の狭間に生きる領主ならではの苦労もみられます。

そして、戦国大名が重層的な支配構造を持つ領国をつくっており、ある場所では直接統治、別の場所は自治的な支配といったぐあいに、一大名の領国でもそれぞれの地域に合わせた様々な支配体制が組み合わせられていたという点から家康の領国支配についても語られていきます。家康は三河だけでなく旧武田領や今川領を支配し、のちに関東に移されて旧北条領をかなり支配するようになりますが、その時も各地域の実情に合わせた支配を実施しつつ領国支配を安定させていたことが検地の話などを通じて示されていきます。重層的な支配体制という点で戦国大名徳川家康について語っていくところは最近の戦国時代研究の成果が色濃く反映されているように思います。

また、家康は秀吉に真田など離反した国衆を改めて服属させてもらうことで領国支配の安定を保証してもらう一方、当時豊臣政権が主導する関東や東北における惣無事活動に従事していたことを論じていきます。領国支配の安定・平和を中央政権が保証してくれるかわり、地位は高いとはいえ中央政権の一員として働くこととなった家康の姿を描き、徳川家康が豊臣政権から逸脱した独自の存在ではないということを示していきます。このあたりは家康が虎視眈々と天下を狙い機を伺っていたという見方とちがう視点を取っているがゆえでしょう。なお、一般的には秀吉が家康を警戒して行ったとされる関東移封についても、豊臣政権の惣無事活動の一環であると論じていますが、これも同様でしょう。さらに家康の関東領国は秀吉の関東、東北統治のもとで規定され、運営が進められ、領国支配も中央政権との政治的関係のもとで進められていたという結論をだしています。

このように書いていくと、家康は秀吉に従属しているだけのようですが、領国支配の改革を進めて権力基盤を強化し、政権を支える立場から徐々に政権中枢で活動するようになり、秀吉の死後に政治対立のなかで主導権獲得をすすめて、ついに江戸幕府開府に至るということも示していきます。ただし、あくまで彼が天下人となったのは様々な政治的状況に対処したことが導いた結果であり、必然ではないというのが本書の姿勢です。

本書は、戦国時代史研究の最近の動向や成果を多く取り込んでおり、戦国時代研究の現状をふまえて徳川家康について語ると、このようなことが語りうるというある意味で現状報告のような内容となっています。著者も書いているように、そこで扱われている研究成果や研究動向は、決して定説として定着したものだけではなく、現在も研究者の間で論争が盛んなものや、今後さらなる検討が必要なものが含まれているところもあるようです。しかし、それだけにかなり刺激的な読書となるに違いありません。これ一冊だけでなく、様々な徳川家康についての本を読み比べることで得られることは多いのではないでしょうか。

「境界」の大名として、その時々の状況で最も良いと思う政策を考えて実施し、それが時に反発を招いたり失敗に終わりながらも、力をつけ中央政権の主導権を握り、ついに幕府を開く、当時の政治状況に振り回され、悪戦苦闘しながらも天下を取った家康の姿は、はじめから天下を取るだけの力量があったような従来像とはちがう魅力があるようにかんじました。