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渡邉大門「黒田官兵衛・長政の野望 もう一つの関ヶ原」角川書店(角川選書)

2014年の大河ドラマの主人公は黒田官兵衛(如水)にきまりました。すこしずつ配役も発表されており、秀吉役は竹中直人が再び演じることになりました。個人的には前の「秀吉」では書かれなかった晩年の姿がどのように描かれるのか、そこが楽しみですがどうなりますか。

話題が大幅にずれてしまいましたが、大河ドラマの主人公になったということで、書店には黒田官兵衛にかんする著作がちらほらと並び始めています。本書もそ の流れの中で出版された作品ですが、近年戦国時代に関して刺激的な著作を多く書かれている渡邊大門先生による黒田官兵衛・長政親子について、特に関ヶ原合 戦と地方でそれに連動して起きた戦いとの関係をメインに書かれた一冊です。

第1章で黒田氏の出自や官兵衛の初期の頃の活動について概略をまとめたあと、秀吉没後の政局をとりあげ、そこでの黒田氏のうごきをおいかけていきます。黒 田官兵衛というと色々な逸話が残されている人ですが、本書ではそれらを鵜呑みにせず批判的に検討しています。例えば、本能寺の変の時の官兵衛の逸話は後世 の創作の可能性がおおきく、光秀に天罰云々は近世の儒教的価値観によるとされています。

政局がらみの話としては、黒田長政朝鮮出兵の際に石田三成との関係が悪化した一方で朝鮮出兵の終わり頃から家康と良好な関係を築いていて、朝鮮出兵が原 因で反光成となった諸大名を糾合する際に重要な存在であった可能性が高いこと、一方で長政は吉川広家とのつながりも強めていたことがふれられています。

また、第2章で九州の情勢について詳しく取り上げています。黒田官兵衛は秀吉の九州侵攻の際の活躍がみとめられ九州に所領を得ていますが、10万石を超え る大名となった官兵衛による中津の築城、検地、在地領主の懐柔や、秀吉の九州平定後に官兵衛の領地も含めて各地で起きた一揆、そしてこの後黒田氏にとり無 視できない存在となる大友吉統の活動にもふれています。

黒田氏と大友氏は関ヶ原合戦の時に九州で争うことになるのですが、家督相続がスムーズに行かず衰え、秀吉にひたすら従順に従いながら、朝鮮出兵およびそれ 以前の失態や讒言、見せしめを理由に改易された大友氏と、官兵衛から長政への相続もうまくいき、領国支配を固めていく黒田氏の姿が描かれています。

そして関ヶ原合戦に到る過程での官兵衛・長政の動きが詳しく描かれた第3章へはいります。ここと第4章が本書のメインと言って良い箇所だと思います。第1 章で黒田長政が家康と良好な関係を築いていたことに触れましたが、関ヶ原直前の時期にも福島正則を東軍に引き込むうえで重要な役割を果たしています。大名 同士の関係をみると、黒田も官兵衛が吉川広家を通じ毛利と連絡を取っていることや、広家も長政を通じ家康との仲介を託していることなど、かなり複雑な様相 を呈しています。

関ヶ原直前の時期は水面下での調略が活発化していますが、そこで活躍して家康から高い評価をされていたのが長政だったようです。小早川秀秋を東軍に引き込 む際にも活躍していたようですし、毛利勢の動向が関ヶ原の勝敗を決したことからは、黒田氏の手柄は高く評価されるのも当然のことでしょう。一方で、官兵 衛、長政は毛利家との結びつきも強く、戦後処理において苦慮している様子も窺えます。まあ、彼らが色々と苦労したおかげで毛利家は滅亡を免れたわけです が。

第4章では関ヶ原の合戦の時の九州の争いについてまとめられています。地方の大名達も東軍西軍に分かれて争っていますが、九州では黒田官兵衛加藤清正と 毛利、立花らの間で起きた一連の戦いがありました。九州の情勢を見ると西軍に与する大名の方が多く、さらに一度改易された大友氏が秀頼から拝領した領土へ 入ろうともしていました。このような状況下で、加藤清正黒田官兵衛は九州の諸大名と戦い、領土拡大を狙っていたようです。さらに官兵衛に関しては九州を 越え、中国地方にまで拡大しようという意図もあったことがうかがえます。

以上が本書の大体の概略です。関ヶ原合戦前後の時期を中心に黒田官兵衛・長政父子の活動をまとめた一冊ですが、黒田官兵衛・長政父子の活躍を、信頼性の高 い史料を基に描き出しています。毛利勢を引き込んだこと(東軍に対して兵を動かさない・西軍へ攻め込む)、それが結局の所関ヶ原の合戦での家康の勝利につ ながったのですから、官兵衛・長政父子だけの力ではないとは言え、彼らの果たした役割はかなり大きかったと言うことはよく分かりました。

黒田官兵衛については、その優秀さ、野心に関して様々な逸話が残されています。関ヶ原合戦後に長政が家康が手をさしのべ礼を言ってくれたと語ったときに、 空いている片手で何故刀を持って刺さなかったのかと言ったり、もう少し光成が持ちこたえていたら天下を狙い一博奕うとうと思ったと言った話が残されていま す。これらの話については信憑性は怪しいものだそうですが、そういう話を作りたくなる人が現れるだけの魅力を持つ人物だったのでしょう。はたして大河ドラ マではどのような黒田官兵衛像が描かれることになるのか、しばらく期待して待つことにしようと思います。