オックスフォード大学出版局から、Very Short Introductionsというシリーズが出ています。日本で言えば岩波新書とか中公新書のようなものでしょうか。扱われているテーマもいろいろあり、 歴史、政治、宗教、哲学、科学、時事問題、芸術、文化など多岐にわたり、各国でも翻訳が出されています。
日本でも、岩波書店から「一冊でわかる」というシリーズが出されていたり(現在はもうやっていないようです。残念ですが)、丸善出版から理工系分野限定で 「サイエンスパレット」というシリーズが順次敢行されています(2014年9月のおすすめ「科学革命」もその1冊です)。その他、単発で翻訳された物(ち くま学芸文庫でルネサンスの本が訳されていたり、「地政学」がNTT出版からでています)、シリーズに後で加わったとおぼしき物(ポール・カートリッジ 「古代ギリシア 11の都市の物語」は単行本から後でVery Short Introductionsにはいったようです)があります。
そのシリーズからアレクサンドロス大王を扱った巻が刊行されました。しかし、通常のアレクサンドロス関連書籍と少々毛色が違います。アレクサンドロスにつ いて何かを書くと言うと、アッリアノスやプルタルコス、ディオドロス、クルティウスといったローマ時代に書かれたアレクサンドロスに関する文献史料を使い ますが、本書ではローマ時代の文献以上にアレクサンドロスの同時代人たちが残した史資料を用いて描き出そうとする事に重点を置いているというところです。 そのうえで彼の同時代の人々がアレクサンドロスについてどのように考えていたのかをみていこうという姿勢をとっています。
また、内容のまとめ方も少々個性的です。例えば第3章がアレクサンドロスの軍隊についてまとめた章ということになっています。通常アレクサンドロス関係の 書籍をいくつか読むと軍隊についての頁というと部隊の編成やそれができるまでのフィリポス時代の改革、そうした部隊の運用、合戦と言ったことについて書い ていることが多いです。
しかし本書では部隊についての話と攻城戦に関する話はあるものの、それ以降はどちらかというと戦闘を描く時の史料に関する問題が主に扱われているように感 じます。例えばグラニコス川の戦いについてアリアノスの記述は典拠史料が「イリアス」を意識して書いた可能性、アレクサンドロスとパルメニオンの関係もギ リシア世界での若者に助言する年長者とそれに対する反応を意図的にずらして書いている、「ペルシア門」の戦いは展開がテルモピュレーの戦いと類似した描か れ方になっているといったことがあげられています。
また、戦いの叙述について敵軍の兵力や地形、補給、指揮官及び部下の能力と行った現代の軍事に関する記述では普通に詳しく書かれることがしばしば欠けてい る一方で予兆や予言者のアドバイスに関する記述がかなり多く見られること、そして偉大な指揮官アレクサンドロスには優れた予言者アリスタンドロスがおり彼 の予言が常に正しいこととアレクサンドロスが常に勝つことが表裏一体のように書かれているといったことも指摘されています。第3章については古代の世界で は何をどう書くのかということについて現代人との違いの大きさを感じる内容が多かったです。
それ以降の章ではギリシア、エジプト、ペルシア、アフガニスタンとパキスタン、バビロンにおけるアレクサンドロスと言うことで、大まかに時系列に沿いつ つ、テーマ別のようなまとめとなっています。そして最後の章ではローマ時代、中世から近現代までのアレクサンドロス像の変遷、アレクサンドロスをどのよう に捉えてきたのかと言うことについてのまとめがついています。興味深い所では、エジプトのところで、シーワ・オアシスでの神託について、ギリシアとは違う 形で行われていたエジプトの神託を古代ギリシア・ローマの歴史家達があるきまった様式に合わせて書き、読者もデルフォイの神託などと同じような感覚でそれ を読んでいたのではないか、要はある出来事を違う形で読んでしまっていたのではないかと言うことが指摘されていました。
第4章以降では上記のエジプトの神託の話以外ですと、東方の文化の導入や跪拝礼導入時のカリステネスとの衝突などについてもそれらを描いた古代文献のス トーリーテリングの様式といったところに留意するような記述が結構多く見られました。そのような古代ギリシア・ローマの文献史料の叙述に対して結構慎重な 姿勢をとりつつ、同時代の史料を色々と用いていきます。バビロンの天体日誌やエジプトの神殿の銘文、そしてアラム語史料などが用いられていきます。アレク サンドロスがやってくる以前のバクトリアに高度な統治システムができあがっており、スピタメネスの反乱もそれを活用して展開されていたという事が指摘され ていたりします。
本書では彼が同時代人からどのように見られていたのか、後の時代の人々にどのように描かれてきたのか、それを示していくと言う本ですので、著者のアレクサ ンドロス大王像はとくに明確な形をとって描いていません。アレクサンドロスについては同時代史料が少なく、どうしても彼の死後大部経ってから書かれた古代 の文献に頼るところが多くなっているのが現状です。それによって彼がどのような戦い方をしてきたのか、征服地をどのように支配しようとしたのかといったこ とが多くの本に書き残されてきました。
今までに書かれてきた物を越えようとするなら古代の文献が誰を読み手として想定し、どのような人々が書いたのかを考え、それに伴う改変やゆがみと言った物 を一つずつ取り除いていくこと、それとあわせて同時代に近い史料を活用すること、それが今後のアレクサンドロス研究の出発点になるのではないかと思いま す。その道の知の厳しさを考えると、アレクサンドロス大王について研究すると言うことはとてつもなく厳しい道だということがわかるのではないでしょうか。 なので、研究は他の人にお任せして、私は趣味で本を読んで楽しむ程度にしておこうと思います。