まずはこの辺は読んでみよう

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山田勝久・児島建次郎・森谷公俊「ユーラシア文明とシルクロード」雄山閣

インド・ヨーロッパ語族の移動から始まり、アケメネス朝、パルティア、ササン朝といったイランに栄えた帝国の歴史やこの地域で栄えた宗教、そしてシルク ロードの果たした役割といったことを扱った本です。このなかで特に興味を持って読んだのが、ダレイオス1世によるアケメネス朝の「創造」、アレクサンドロ ス東征のペルシア門の戦い、ダレイオス3世とアケメネス朝ペルシアの滅亡について扱われた章で、この3章が非常に面白かったので、本書も紹介してみようと 思います。

アカイメネス朝ペルシアの「創造」に関する章は、ヘロドトスの「歴史」やベヒスタン碑文(ビーソトゥン碑文)にかかれているカンビュセス治世末期からダレ イオスの即位初期の状況についての内容が実は違っており、ダレイオス1世こそ王朝の簒奪者であり、キュロスの家系からかなり遠いダレイオスが王権正当化を はかっていたこと(キュロスの家系から妻を迎えている、自らの正統性を主張する物語を各地に広める)、そしてキュロスとカンビュセスの拡大路線により生じ た大変動を最終的に安定させ、帝国の基礎を築いたということでダレイオス1世をアカイメネス朝の創造者として評価しています。

また、ダレイオス3世とアケメネス朝の滅亡について、ダレイオスが果たして「弱い王」だったのかという疑問から始まり、王位を継承した時点で混乱状態に あったときにマケドニアの東方遠征が始まり、ダレイオス3世が死亡するまでを追いかけていきます。そして結論としてはマケドニアが初めからペルシア帝国滅 亡を目指していた、ほかの勢力とは明らかに異質な侵略者であったこと、王への忠誠と引き換えに地位や財産が守られるという関係のなかで総督など家臣たちも 従っていたが、ダレイオス3世は忠誠に見合う保護が受けられないとおもったペルシア帝国支配者層が離反していったこと、そして、アレクサンドロスはペルシ ア王と家臣の互酬性に基づく関係を継承したということが主張されています。そういう点で、アレクサンドロスはアカイメネス朝の後継者であったというのが結 論です。

そして、ペルシア門の戦いについては、最近現地にも調査に行きながら東征ルートの調査を進めている著者の最近の研究成果が色々と反映された内容となっています。東征ルートの調査については、別の著作(図説アレクサンドロス大王)で 写真つきで色々と扱われていますし、この地域で展開されたウクシオイ人との戦いについては論文があります。そういった成果をもとに、メーリアン渓谷にあっ たペルシア門を攻めるため、アレクサンドロスはペルシア軍の背後へ回る迂回路をとおって攻め、この戦いではアレクサンドロス本隊のほか、クラテロス、フィ ロータス、ポリュペルコンの別動隊が動いていたことをしめしていきます。

一方でペルシア軍の方は、ペルセポリスを守るため総督アリオバルザネスはアレクサンドロスの軍勢がペルシア門の方へ来るように誘導するように努め、パルメ ニオンの別動隊にも備えをしておくなど、可能な限りの準備をしていたことが伺えます。そして、十全な準備を施したペルシア門のペルシア軍を破ったこの戦い は迂回作戦の成功例であること、そしてかなり無理な冬場の行軍という出来事からは王と将兵との間の緊張関係(略奪を抑えられたことに対する兵士の不満)が あるといったことが一連の戦いから伺えると主張しています。

以上3章分についての感想をまとめてみました。個人的にはダレイオス1世によるアカイメネス朝の「創造」についての記事も、支配の正統性をいかに示してい くのかという観点から面白く読めましたし、ダレイオス3世と帝国の滅亡については、戦国武将と国衆の関係(今年の大河ドラマ真田丸」でもその辺りに触れ られていましたが)を思い起こさせるものがありました。

この3章分が非常に面白く、ほかの章については実のところあまり印象に残っていないのですが、一部分であっても読んで参考になる箇所がある書籍であれば、 私は買って損をしたとは思いません。何より、著者の現地調査が反映されたペルシア門の戦いに関する箇所が面白いと思いました。現時点ではまだ仮説にとど まっているところもあるようですが、以前の著作アレクサンドロスの征服と神話アレクサンドロス大王王宮炎上など)の成果、そしてここ数年のイランにおける調査成果を一つにまとめた研究書が出たならば、それはぜひ買って読みたいと思います。