まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

Frank L. Holt 「The Treasures of Alexander the Great」Oxford University Press

アレクサンドロス東征の12年間、広大な領域を征服していく過程で多くの富を獲得していったことが史料にも現れています。そういったことから、アレクサンドロス東征を通じて獲得された財貨が東地中海世界流入し、貿易をさかんにしたり、経済活動を活発化させたと言われることもあるようです。

しかし、実際の所アレクサンドロスがペルシアの富を用いて東地中海世界の経済活性化を目指していたのか、それにむけた明確なビジョンを持ち、それを実現するために努力するようなことをしていたのか。本書はそのような見方を史資料をもとにして検討していきます。

本書で明らかにしていこうとしているのは、アレクサンドロスが東征を通じてどのように富を集めたのか、それらの富はどこから手に入れたのか、得た富をどのように管理したのか、何に財貨を使ったのか、彼の動機や政策といったことです。

第1章では扱う史料の数字の問題などから話が始まり、そのあと第2章は史料でしばしばみられる「貧しい」アレクサンドロスという姿は修辞の産物であり実態を表すものではないこと、その時々で負債を抱えてている時もあれば豊かな時もあるといったことをおさえたうえで、第3章と4章で具体的な話が色々と登場します。

そこでわかってくることは東征軍による遠征中の戦利品獲得、あるいは収奪の途方もないおおさというところでしょう。その時々で獲得される財貨は異なり、貴金属もあれば家畜や奴隷、食料といったものもあります。どうしても貴金属、特に貨幣に注意が集中しがちですが、それ以外のものも検討されています。興味深い話題としては馬匹の問題はかなり重要だった様子が伺えます。除隊するテッサリア騎兵からわざわざ買い取ったりもしているようです。

また、東征中にアレクサンドロス が手にした財貨がどのようなものかをみていくと、東征前半、ペルセポリスを攻略したあたりまでと、それ以降では、貴金属などが多かった前半と奴隷や動物(馬匹、家畜、象など)があられてくる後半といった変化が見られることは征服地の社会や経済事情が窺われて興味深いところでした。そして、東征中には都市の破壊や虐殺、略奪といった事態が多発していることも忘れてはいけないことです。そういった事柄を史料にあたり、様々な資料も検討しながら具体的に描いていて、わかりやすく読めました。

5章になると、獲得した富を一体何に使っていたのかという分析がおこなわれています。都市の建設やインフラ整備、給与や艦隊建造など軍事関係の支出もある中で、史料から拾ったデータを元に全体を見てみると、かなり多いのは宗教儀礼であったり、贈り物として与えたりといったところです。神殿を建設したり神や英雄を祀るなどの行為にかなりの財貨を費やしていることがうかがえます。また、たびたび競技会を開き、そこに出資している事例も見られます。そのほか、王は様々な人々に贈り物を贈ってますが取り巻きたちの欲を満たすのは相当困難だった様子も窺えます。

では、アレクサンドロスが獲得した財貨の管理、財政運営にどこまで気を使っていたのかというところが6章で扱われますが、この章の後半で登場する放埒三昧なハルパロスや過酷な振る舞いを見せたクレオメネスなど、財務担当者たちが適切な財務運営を行なっているとは言いがたい姿がみられます。特に一度逃亡したハルパロスがなぜ元の任務に復帰し、結局不正を恐れて王の帰還後に逃亡するという事態が起きているところを見ると、アレクサンドロスが財務についてなにかしっかりとした考えを持っていたとは言い難いでしょう。

なお、第6章の前半では東征軍に従軍した兵士の経済事情について史料をもとにしたちょっとした物語がつくられていますが、途中で帰ったテッサリア騎兵とくらべ、最後まで従軍したマケドニア歩兵が厳しい状況におかれていたという感じで描かれています。メレアグロス隊所属という設定の時点で彼を待ち受ける運命は悲惨なものになる予感しかしないという設定は、意図的に狙ったものでしょう。

そして結論では、アレクサンドロスについてはプルタルコスのように擁護の姿勢で書く人もいましたが略奪などネガティブな面がかなり書かれてきた事例が多々見られること、それが一転して彼の行いが礼賛され、略奪についても経済活性化、経済発展への貢献という観点で語られるようになるのが19世紀の近代歴史学が発展した時代、ドロイゼン以降のことであるということが指摘されています。本書全体を通底していることですが、著者はアレクサンドロスの東征が経済を発展させたという見方に対しては否定的な姿勢をとっていますが、結論はまさにそういうほうこうでまとまっていきます。彼の目的はあくまで征服活動であり、経済は副次的なものにすぎないこと、そもそも財務に対し強い関心はみられないこと、ペルシアから得た大量の財貨が経済発展をもたらしたというのは幻であると、さらに念を押していくことになります。その際に古銭学の成果も大量に用いられ、貯蔵された貨幣が発見されることは経済発展よりもむしろ政治的・社会的不安定の証拠であるということを示していきます。

本書で描かれるアレクサンドロス像はかなりネガティブなものですが、それを文献だけでなく考古資料も用いながら示していきます。文字だけでなく、モノをつかい、財貨をめぐる問題を分析しながら東征の様子を描き出し、大王像についても再考を迫り、なかなか面白い本だと思いますそして、付録部分では東征中の収入や支出、負債についてのデータのまとめがついており、これはかなり有益でしょう。