まずはこの辺は読んでみよう

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アーサー・フェリル(鈴木主税・石原正毅訳)「戦争の起源」筑摩書房(ちくま学芸文庫)

人類が登場してある程度の段階に入ると多くの地域で戦争が起きていた痕跡が見られるようになる出来事です。武器で傷を負った人骨、明らかに人為的にはもののようなもので傷をつけられた痕跡、鏃が刺さった骨といったものから、焼き払われた痕跡のある集落までいろいろです。では、人類はどのようにして戦争の技術を発展させてきたのかを追いかけていくのが本書です。

弓や投石機、槌矛などが新石器時代に発明され、それとともに要塞のような建造物や、組織だった軍事行動の開始がみられるようになってから、どのようにして人類は戦争の技術を発達させていったのか、本書ではオリエント世界についての記述と古代ギリシアに関する記述をふまえ、紀元前4世紀の「軍事革命」とマケドニアの台頭、そしてアレクサンドロス大王の登場までを描き出していきます。

本書執筆当時の1985年の頃は、古代の軍事史について欧米で語る場合にはどうも古代ギリシアから筆を起こすことが多かったようです。古代軍事史をどの辺りから語るのかは、国によって様々であり、アプローチにも違いはありますが、古代ギリシアのミケーネ時代の軍事から、重装歩兵の登場、そしてマケドニアの時代といった具合で欧米では語られていたのでしょう。よく考えてみると、現代日本の高校の世界史でも軍事制度について教科書でそれなりの説明が登場するのは古代ギリシアあたりが多く、オリエントについてはそれほど多くは見られません(ヒッタイトアッシリアのところで少し説明はありますが)。

しかし、本書ではギリシアに関する記述にもページを割いていますが、それと同じくらい古代オリエントの軍事についても扱っています。新王国時代のエジプト、聖書に書かれたヘブライ人たちの戦い、そして軍事大国アッシリアの登場とアケメネス朝ペルシアにいたる古代オリエント軍事史があつかわれています。そこで描かれていくことを簡単にまとめると、諸兵科連合軍のようなものがオリエント世界で形成されたこと、オリエント世界で高度な軍事組織、兵站や諜報、攻城戦の技法などの軍事技術が現れてきたことといった、軍事面でのオリエントの先進性です。

一方で、古代ギリシアの軍事について、重装歩兵の密集方陣戦術をとった理由については、なかなか率直な物言いがなされています。それを作り上げた時には、それ以上の知恵がなく、ペルシアから学べる時代になった時点ではすでに社会に定着し変えようがなかったからというのがこの戦術をとった理由であり、さらに密集方陣戦術は戦争にはっきりした決着をつける力はなかったとまで言い切られています。一方で、変えようがないほどに社会に定着した密集方陣ギリシア人の倫理規範や男らしさを象徴するもの、生活様式の表現であり、社会制度として意味を持つものであるという、きわめて穏当な記述も見られます(もっとも、本書は1985年の著作であり、「戦争の西洋的流儀」を唱えるハンソンの本が出るのがその4年後なので、いまの重装歩兵に関する理解とは少々違うところもあるかもしれませんが)。

高度な軍事組織、諸兵科連合軍、兵站や諜報、攻城戦技術などを発展させたが重装歩兵がいなかったオリエントと、高度な軍事技術がないものの重装歩兵の密集方陣戦術を発展させたギリシア、この2つの軍事的潮流がペルシア戦争接触したあと、一つに合わさる時がやってきます。それが紀元前4世紀のことで、本書でも紀元前4世紀の「軍事革命」としてまとめられています。この流れの中で大きく取り上げられることになるのがマケドニア王国であり、国王フィリッポス2世アレクサンドロス大王の事績について詳しく述べられていきます。本書において特に重要なポイントを挙げるとするならば、マケドニアの台頭をギリシアとオリエントの軍事的伝統のなかから良いものを組み合わせて一つの優れた軍事組織が作られ、戦略や戦術の水準を引き上げられていく流れの中でとらえ、アレクサンドロスを古代から近代までの軍事の流れの中に位置付けているところでしょう。最後のワーテルローの戦いに関する話はさておき、非常に興味深く読むことができました。

本書の原著が出版されたのが1985年、その後、古代の軍事史は様々な研究が進められ、個別のテーマでは次々に新しい研究が発表されているようです。そのため、本書の内容でいくつか修正が必要な箇所があるかもしれません。古代ギリシア軍事史についても、正面からの会戦を志向する「戦争の西洋的流儀」が重装歩兵の密集戦術から生まれたとする説が唱えられて多くの支持を得たりもしています。それに対して、それはイデオロギーであり実態でないという観点から再考しようとする本もあります。しかし、古代ギリシアの軍事、アレクサンドロスの戦争について考える時にも、どうしてもギリシア中心、西洋中心にものを見て考えていく傾向はまだまだあるような印象を受けています。オリエントとの関わりから考えるという本書の視点は今もなお興味深く、考えていくべきことではないかと思います。