まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

(再読)森谷公俊「アレクサンドロスの征服と神話」講談社

このブログを開設する以前に読んだ本で2007年のベスト本にいれ、自分のサイトでも内容紹介を書いたものですが、最近こちらのブログで紹介されているのをみかけ、久し振りに読み直してみたくなって読んでみました。なので、感想は昔書いた物の焼き直しのような感じになっているところもありますがご容赦下さい。

本書は「興亡の世界史」シリーズの1冊として出され、アレクサンドロス大王東方遠征とその最中の出来事を中心にした巻です。はじめにアレクサンドロスに ついて近代の歴史学ではどのように 描いてきたのか、さらに大王像がどのように変わっているのかをまとめています。次の章ではアレクサンドロス登場以前のギリシアとオリエント世界の関係につ いてもまとめられ、ギリシアとオリエントの間で文化的な交流があったことも示され、その中でマケドニアが台頭してきたことが書かれます。

主な内容としては、アレクサンドロス大王とギリシア人の関係、オリエント世界の伝統との関わり、王と側近、兵士達との関係、東方協調路線の限界、アレクサンドロスの人間像、そしてアレクサンドロスの帝国の歴史的意義といった事柄を最近の研究動向をもとにまとめています。

本書ではいくつか興味深い指摘がなされています。まず、ヘレニズムについても単にギリシア文化が東方へ伝播したという従来の見解とは違う形で捉えていま す。ヘレニズムというと良く出てくる東方のギリシア風都市アイ=ハヌム遺跡についても確かにギリシア風の都市ではあるけれども、そこに見られる要素はギリ シア風一色ではなく、メソポタミア、アケメネス朝ペルシア、中央アジアの要素が見られると言うことが指摘されています。ヘレニズム時代の東方世界において ギリシア文化はそこに存在する色々な文化の一要素であるというのが本書の姿勢ですが、ヘレニズムという概念が色々な問題をはらんでいることが分かるのでは ないでしょうか。

そして、ヘレニズム文化の伝播について、ローマとの関わりをかなり協調しているところも興味深い点です。ローマがヘレニズム文化を継承して、地中海世界各 地においてそれを確固たる物としたと言うことはよく言われていますが、東方におけるヘレニズム文化の影響についてもローマとの関係から考察しています。よ く、ガンダーラの仏教美術についてヘレニズム文化の影響であると言われることがありますが、ガンダーラ地方のあたりにギリシア文化が入った時期と仏像出現 時期にかなりずれがあります。ガンダーラなど東方のヘレニズム文化についてもローマとの関係から考えているところは興味深いです。

また、アレクサンドロスのイメージについても、時代により色々な違いがあると言うことは本書意外にも様々な著作で指摘されています。しかし、アレクサンド ロスの名が後の世に伝えられ、アレクサンドロス「大王」として人々に広まっていくきっかけは大王死後の後継者戦争の時代にあったという指摘は非常に面白い と思います。

大王の権威、名声を利用するというと「ヒストリエ」の主人公エウメネスにはその手の逸話がいくつか残されていますが、彼以外の武将達も似たようなことをし ています。セレウコスは自分の出生伝説をアレクサンドロスの誕生時の神話をまねてつくり、プトレマイオスフィリッポス2世の諸子で王家につながると主張 し、さらにアレクサンドロスの遺体を途中で強奪してエジプトに墓を作ってまつりました。

このように大王の権威や名声を最大限利用しつつ、都市建設や東方協調など王国建設のための施策も大王時代のやりかたを採用し、大王を神格化して祀った後継 者諸将がいたために大王の名は後にまで語り継がれることになっていったというわけです。アキレウスが「イリアス」で語られることでギリシア世界で不朽の名 声を得たように、大王の場合には後継者諸将の行いが彼を「大王」たらしめたというところでしょうか。

「おわりに」でまとめられた武勲と名誉こそすべてという古代ギリシア人の価値観を究極まで追求し、空前の結果をもたらしたのがアレクサンドロスであるとい うのが本書におけるアレクサンドロスの評価ととって良いと思われます。しかし、ミニマリズムの視点で彼の業績をその時の状況に即して解釈していく本書はア レクサンドロスを礼賛する姿勢ではなく、かなり辛い評価になっています。

本書は単なる伝記でなく、アレクサンドロスの帝国とヘレニズム時代をそれ以前の時代から連続した流れの中に位置づけようとした本であり、近年の研究成果を 多く盛りこみながら、読みやすくまとめられている一冊だと思います。従来より続く、比較的なじみがある、英雄としてのアレクサンドロスの姿を期待して読むと、ちょっと違うと思うかもしれませんが、往々にして歴史上の人物のイメージは現代人の願望がかなり反映されて語られているところもあり、それをはぎ取って見 ていくことも必要なことです。この本で語られているアレクサンドロス像も様々なイメージの一つであり、研究が進むと、これとは違う姿が描かれるようになる こともありますが、現時点ではアレクサンドロスに関して日本語で読む本ではこれをお薦めします。

また、伝記のような本を期待して読むと何だか分からないと思う人もいるかもしれません。ただ、第3章および第4・5・7章の冒頭の 東征略史をよむとかれの生涯については押さえられるようになっています。もう少し軍事面についての話があると良かったとも思いますが、それは別の著作(同 じ著者の本でしたら「図説アレクサンドロス大王」や品切れになっている「アレクサンドロス大王」)で補うべき事なのかもしれません。