まずはこの辺は読んでみよう

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Pat Wheatley and Charlotte Dunn 「Demetrius the Besieger」Oxford University Press

アレクサンドロス大王の死後、大王麾下の武将たちの角逐を通じて征服地は分かれ、ヘレニズム世界が形成されていきました。諸将角逐のなか、一際目立つ存在がデメトリオス・ポリオルケテス(都市攻囲者)でしょう。巨大な攻城機を戦場に投入して大々的に攻め立て、各地で戦果を上げた武将、豪奢な暮らしぶりや派手な女性関係、そして浮沈を繰り返した波瀾万丈な生涯をみていくと、ヘレニズム時代の君主たちが行っていることを大方彼が行っていたりします。

まさにヘレニズム諸国の君主の先駆的存在ともいえるデメトリオスですが、彼についての包括的な伝記はなかなか見かけませんでした。そんななか、関連史料を丁寧に検討し、碑文や貨幣なども活用し、さらに前半と後半を別々の研究者が書く二人の共著という形で包括的な伝記的研究として描かれたのが本書です。

後継者戦争の時代は編年を巡っても問題が多く、いつ何があったのか、誰が何を行ったのか、その辺りのところも説が分かれるところがあります。全体を通じて編年に関する検討にかなりのページを割いているのは、この時代の編年をある程度確定させながらデメトリオスの伝記を描く上で重要だからでしょう。通説で言われている時期が果たして妥当なのかを丹念に検討しながら確定を進めているところが本書の色々なところに見られます。そしてデメトリオスの生涯の編年が本書の巻末近くに掲載されていますが、それは地道な検討の成果でしょう。

そのうえで、デメトリオスのさまざまな軍事遠征や各地域での勢力拡大の動き、政治活動などが検討されていきます。また、彼の家族との関係やヘレニズム諸王家の婚姻や王族女性の役割といったこともかなりページをさきながら史料を読み解き、解釈しながら描き出していきます。本書のデメトリオスは王国を失い最後は囚われの身で死んだとはいえ、かなりエネルギッシュでありカリスマ性もあり、失敗もあるが多くの成功も収めた人物であり、ヘレニズム世界を作り上げるうえで重要な存在であるというところでしょうか。

また、デメトリオスの生涯をたどるにあたり、用いる史料の問題にも触れています。デメトリオスはプルタルコスに単独の伝記があるほかディオドロスがある程度まで使えたり、ユスティヌスにも断片的に取り上げられています。プルタルコスのデメトリオス伝については、プルタルコスが描きたかったものに合うような形に改変され、そこに取り上げられた題材も歴史的に正しいことを書くというよりデメトリオスという個人がどういう人物なのかをより鮮明に描きやすような形で取り込まれ、表現されているというところもあるようです(彼の妻の死に関する描写の分析などにそれがみられます)。また、対比相手であるアントニウスの伝記との比較も見られます。

本書ではプルタルコスに引きずられないように伝記を書くにあたり、貨幣や碑文といった史料も多く使われています。特に貨幣の図像の変化などの分析にはかなりのページを割き、本書のさまざまな場所において貨幣の分析行われています。ある時期まではアレクサンドロス大王の図像を使っていた後継者諸将たちが徐々に自らの肖像を使い始めたりすることは知られていますが、本書でも貨幣が造られた場所や時期、デザインなどにふれつつデメトリオスの事績を描いていきます。

さまざまな史料を用い、編年についても確定させながらデメトリオスの事績をまとめた本書ですが、2人の著者の手でまとめられたというあまり見かけない形をとっています。論文集ではなく単著を2人で書き上げるというのは扱うべき事柄が多いデメトリオスのような題材にはよかったのかもしれません。彼の生涯前半と後半で著者が変わりますが、特に違和感なく読みました(ただし読み始めてから終わるまで随分と間が空いたため忘れているだけなのかもしれませんが)。これからの研究成果発表の一つの形として共著書籍というのは増えるのかもしれませんが果たしてどうなるか。

非常にボリュームのある本ですが、各章は短めにまとめられており、読みやすいです。この時代に興味関心のある人は読んでみてほしいと思います。