まずはこの辺は読んでみよう

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マーカス・レディカー(上野直子訳)「奴隷船の歴史」みすず書房

かつて、「大西洋三角貿易」においてアフリカから多くの黒人たちが奴隷として連れ出され、アメリカ大陸やカリブ海で用いられてきました。新大陸へのヨー ロッパの進出から間もない時期に始まった奴隷貿易は、18世紀にイギリスも奴隷貿易の権利(アシエント)を獲得してこの貿易に参入してきました。そして奴 隷貿易で莫大な利益を上げ、その時の資本蓄積がのちの産業革命にも役立ったと言われています。

19世紀初頭に廃止されるまでの間に多くの奴隷が新大陸へ運ばれましたが、ではその貿易はどのような運営の元で行われていたのか、アフリカから奴隷を連れ 出すとして、どの地域が関係しているのか、そして奴隷を運ぶ船はどのような構造をしており、奴隷船に乗っている人々はどのような業務があったのか、そして 船に乗る人々はどのような状態に置かれ、どのような感情を抱いていたのか。

本書では上記の事柄について、詳しく、細かいところまで追いかけていきます。奴隷船で運ばれた奴隷、そこで働く船員、奴隷貿易に直接関わる船長、そしてそ れに出資する商人たちといった人々についての短い話からはじまり、黒人奴隷たちが運ばれた奴隷船は、イギリス海軍を支える船員たちの育成の場とみられてい たことや、奴隷貿易船の建設が盛んになった北米大陸、各国を移動する造船に関わる船大工たち、様々な人種、来歴の持ち主からなる船員と船員たちがそれぞれ 分担する仕事についてまで、非常に詳しく書かれていきます。人を労働力という「モノ」へと作り変える工場としてとらえる視点はなかなか興味深いものがあり ます。

また、アフリカの奴隷貿易に関わった西アフリカの諸地域について、現地の国や諸部族の状況をまとめつつ、奴隷となった人がどのような人々だったのかという ことを分析しています。戦争捕虜(戦争といってもその実態は様々ですが)、法の裁きにより共同体を追われたもの、取引により奴隷となったものがいたこと、 そして奴隷となるのは庶民が多かったことが指摘されています。この部分について、集落の計画的襲撃と奴隷狩りの様子を、実際に奴隷にされた人物の語りに よって描き出していますが、次の3章では奴隷となったアフリカ人、奴隷船で働いていた人物、そして奴隷船で船長を務めた人物について一人ずつとりあげて紹 介していきます。この3章で紹介される3人は、いずれも奴隷制廃止に関わっていくことになる人物ですが、彼らの目を通して奴隷貿易の様子が詳しく描かれて いきます。

そして、次の3章では、特定の個人でなく、奴隷船で働く船員たちの過酷な世界と、奴隷貿易に関わり利益を上げた船長たち、そして奴隷として積み込まれた 人々についてのより一般的かつ詳細な説明が行われています。いきなりこの3章を読むと、色々と掴みにくいところもあるかもしれませんが、前の3章で特定の 個人を通じて、色々と説明されていることがどのように位置付けられるのかがよりよくわかる構成になっていると思います。奴隷船という隔離された世界の中 で、部族ごとにバラバラだった黒人奴隷たちが「黒人」として、奴隷船で働く船員たちが自分たちを「白人」として認識するようになっていったということが本 書でしばしば登場しますが、船の上、そして大西洋が人類の歴史において大きな役割を果たしたという著者ならではの指摘だろうと思います。

世界史において、大西洋三角貿易奴隷貿易という話はよく出てきます。教科書をはじめ様々な本には奴隷をびっちりと詰め込んだ奴隷船の断面図が登場しま す。その奴隷船の断面図は奴隷貿易廃止運動の過程で作られたものであり、しかも時が経つにつれ解説文や構成が変更されていった様子、そして奴隷廃止運動の 進展についても非常に詳しい内容が書かれています。

単に統計的な数字をあげるのではなく、奴隷貿易の現場で何が起きていたのか、人々が何を考え、どのように行動しようとしていたのかを具体的に示す本書で は、アフリカから連れてこられた人々の間で作られた「抵抗の文化」についても触れられています。「黒人」としての結束の必要性を奴隷船で痛感し、いかにし て情報を伝達するのか工夫を凝らしていった様子が描かれています。抑圧された人々の結束や抵抗を高く評価する本書ならではという感じがします。そして、ア フリリカの黒人たちの作り上げた「抵抗の文化」がアメリカの歴史にも影響を与えていったということを指摘しています。奴隷貿易と奴隷船を通じ、大西洋世界 の歴史の一端を描き出した刺激的な一冊です。