まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

平田陽一郎「隋 「流星王朝」の光芒」中央公論新社(中公新書)

中央公論新社で中国の各王朝ごとの巻が結構出ています。今年の春には「唐」がでて、東部ユーラシアの帝国としての唐の歴史をまとめており非常に面白く,此方にも感想を書いています。そして、今回は唐の前の隋で一冊の本が出ました。隋のような短命な王朝で1冊と言うのはどうするかと思いましたが、近年の隋唐研究の成果を盛り込みつつ(羈縻について近年出された見解(羈縻は付かず離れずの距離をとった状態を表すという)をとりこんでいます)、南北朝時代の頃からあつかい、さらに周辺の突厥などの動向にもふれて東部ユーラシアという枠の中で隋を捉えていきます。

本書では隋は北方の草原世界、華北中心の中華世界、そして海域に連なる江南世界、この三つを束ねる多元的な帝国のはしりであるととらえています。隋の文帝や煬帝は北方の遊牧民に対するカガン、中国の皇帝、そして「海西の菩薩天子」、この3つの顔を使い分ける君主であったということを指摘します。さらにそういった要素を持つ世界を一つにまとめあげるものとして仏教が重視されたということも言及しています。

そして、隋の歴史については「中国史」の枠をこえ、東部ユーラシアの歴史の展開のなかでとらえていくのが本書です。特に、北方の突厥との関係は南北朝時代北周北斉のあたりから扱われています。例えば周隋革命についても、突厥の動向も睨みながらの綱渡りの王朝交代であり、しかも直後に隋と突厥の全面戦争に突入するというかなり危険な状況であったことが示されています。一方で建国直後の危機を乗り切ったことは、隋が漢や唐のようにならず、北方に対しある程度優位に立ちながら関係を作れたということで大きかったことでしょう。

隋が突厥南朝といった勢力と戦いながら「世界帝国」の建設へと進んでいく様子もまとめられています。突厥の東西分裂、そして隋の助力により擁立された可汗の登場の過程や、南朝の陳が滅びた後の江南平定の戦いなどにもページがさかれています。対突厥や対南朝の戦いで活躍した隋の武将たちや南朝の人々についてその人となりが伝わってくるような逸話が取り上げられていたり(孔明の建てた碑文を蹴飛ばすとは何事かといいたいが、対突厥でのエピソード含め間違いなく優秀な史万歳など)、「騎虎の勢い」の由来となる逸話を残した楊堅の妻独孤伽羅や突厥に嫁ぎ中国情勢にも深く関わった大義公主や義成公主、隋の南部平定に協力し地位を築いた洗夫人などこの時代に活躍した様々な女性たちも登場します。隋じたいは短命な王朝ではありましたが、本書は短くも眩しい歴史を彩った一筋縄ではいかない人物たちの魅力が伝わってきます。

そして、二代目の煬帝の時代についても、洛陽建設や大運河の完成などの大事業、「移動する宮廷」という言葉が似合う活発なうごき、派手なパフォーマンスと仕掛けなどが盛り込まれています。煬帝というと「暴君」のイメージの強い人物ですが、やってきたことをみると先見性や実行力もあり、「世界帝国」たる隋をどのように発展させるのかについてかなり明確な構想を抱いていたような感じも受けます。一方であまりにも性急にことを進めようとしたことが反乱につながってしまったというところもあります。

本書の著者は、このブログでも昔感想を書いた「隋唐帝国形成期における軍事と外交」の著者で、このあたりの軍事関連の論文を多数発表している研究者だということもあり、本書には著者が発表してきた軍事関連での最近の研究成果が色々と盛りこまれています。例えば隋登場前の南北朝時代北周で採用された二十四軍については遊牧民の部族の軍制にならって作られたものであるということや、軍府に属する「府兵」はいるが「府兵制」が同時代ではなく後世(宋の頃)に使われ始めた言葉であること、そしてどうも府兵は兵民一致とは言いがたいものであること(隋では刀狩りのようなことが行われ、一般庶民は武器携行が認められなかった)といったことが盛りこまれています。この辺りはなかなか興味深い内容だと思います。

隋という短い期間に強い光を放った王朝、そしてそこで行われたことが次の時代にも影響を与える(唐の太宗が煬帝をかなり意識しているというのはよく聞かれることかと思います)、そんな王朝の歴史を一冊にまとめています。国の仕組みや政治的な出来事だけでなく、そこに関わった人々の生き様も描かれ、面白い一冊です。