まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

西田祐子「唐帝国の統治体制と「羈縻」」山川出版社

様々な史料を読み解き、それをもとに歴史を書くというのが歴史の研究・記述において行われていることですが、その史料が果たしてどこまで同時代の認識を反映しているのかというのは常に気になるところです。同時代史料であっても、それがごく一部の変わり者の意見なのかはたまた一般的な社会通念の表れなのか等は気になります。そのため、そこに何かが書いてあるから、それが実際にそうだったのだとは単純にとれないところがあります。

本署で現れる唐の羈縻政策についても、現代の研究者の認識は唐の滅亡から大部後の北宋時代、欧陽脩らにより編纂された「新唐書」によっていると言うことは知られています。唐では異民族の首長に都督や州刺史といった官職を与えて集団を統率させる間接統治をとり、それを羈縻政策・羈縻支配としたというのが一般的な理解です。

しかし、この理解を支える土台となる「新唐書」編纂に際し編者達はどのような史料操作を行ったのか、そしてそこに書かれている羈縻が本にした書物に由来するのかはたまた編者達の見解なのか。「新唐書」の検討を本書ではまず、トルコ系集団に対する羈縻支配が実際に行われていたのか、「新唐書」の記述を検討するところから始まります。

その後は唐の時代に実際に使われていた「羈縻」という言葉がどのような意味を持たされていたのかをあつかい、そしてしばしば唐の羈縻政策との関連で出てくる蕃についても検討します。これらの分析に基づき唐の支配や秩序について解明する手がかりを得ようというのが大まかな内容となります。

まず刺激的なのが、「新唐書」の羈縻に関する記述は信用できない,そこに書かれているのは唐代にはなかった北宋の人々が認識した羈縻であり、実際の唐の時代の「羈縻」ではないというところでしょうか。本書ではトルコ系遊牧民達の事例、そして地理志羈縻州条を検討していますが、これらの検討を通じて明らかになるのは編者達が史料を操作し、元々はなかったものを混ぜ、全体として整合性がとれているような感じでまとめようとしているところです。

このような史料である「新唐書」をそのまま唐の時代を描いた史料として使うことの危険性を示した上で、では唐の時代に現れる「羈縻」とはなにかという問題、そして羈縻政策を語るとたいて触れられる「蕃」の問題にも切り込んでいきます。そこで示されるのは、「羈縻」はつかずはなれずの共存関係、唐からの管理や制限が存在しない状態であり、従来羈縻支配が行われているとされてきた北方のテュルク系などに対しては唐からの管理や制限(そして保護)を受けており、むしろ唐の支配の仕組みに組み込まれている様子さえ見えるという状況です。

また、部族の兵を率いる蕃将を唐が軍事面で用いていると言うこともよく出てきますが、唐の「蕃」について、「羈縻州」と別に「蕃州」というものがあったと想定される史料が出土していることや唐の官人には漢と蕃のものが並列的に存在していた形跡があることも示されています。こうしたことから、唐の内部において「漢」と「蕃」が存在し、唐の支配もいわゆる羈縻支配だけで語れるものでないことが明らかになっています。

本書は「新唐書」の記述を分析し、そこに書かれた「唐の時代のこと」が北宋時代の認識を色濃く反映したものであり唐の時代のことをそのまま伝えているわけではないことを、羈縻の事例を本に示す、文献の検討にかなり重きが置かれています。「新唐書」が宋の時代に作られたもので、宋の時代の認識というフィルターを通して我々は唐を見る、唐について研究する問いうことを長年続けてきたわけです。

しかし、これだけ色々と操作があり、宋の時代の認識が混入しているとなると価値がないかのように思うかもしれませんが,逆に「唐」の時代のことが宋でどのように受容されていたのかという観点で見ていくとまた面白いのかなと思う内容でした。

そして、この説がどこまで妥当なのかはこれから色々と検討されることになると思いますが、最近読んだ平田先生の「隋」、森部先生の「唐」においてもこの本の影響が見られる箇所があります。唐の歴史がどのように変わるのか、今後面白そうです。まずは、この本で示された見立てをもとに、唐の支配を描く本なり論文なりを著者が書いてくれることを期待したいと思います。