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森部豊「唐 東ユーラシアの大帝国」中央公論新社(中公新書)

中国の歴史のなかで、唐の時代というと日本との関係では遣唐使の派遣、様々な文物の受容、鑑真の渡来など、さまざまなことがあがるかと思います。また、現代においても李白杜甫漢詩は漢文の授業で習ったりもしますし、「貞観政要」をリーダー論の書籍として取り上げたりすることもあるなど、意外と触れている事柄が多いのではないでしょうか。

本書はまず、唐の歴史を見るに当たり、空間的な広がり(東ユーラシアの大帝国だった時期と「中国本土」を支配する王朝担った時期がある)と時期的な区分(時代区分ではなく、ユーラシア世界形成期の初期ととらえる)、視点(「関隴集団」「拓跋国家」と言った見方についても、それだけでは語れないという問題点を指摘している)について触れたうえで話が始まります。

7世紀の隋末の争乱の中から唐が建国され、周辺国を破り領土を拡大していった高祖・太宗・高宗の3代、そして武則天の「武周革命」から玄宗の「開元の治」、安史の乱という唐の転換期、領土が縮小し国内では藩鎮が割拠するなか「中国型王朝」への転換が進み、最終的には官僚の跋扈、政争、遊牧勢力、流賊の反乱におされるなかで滅亡するという流れを描き出していきます。唐の政治史・制度史の事柄が中心(唐の文化については仏教や道教と言った思想的な事柄が取り上げられているくらいでしょうか)ですが、唐という王朝の歩みを確実に押さえた内容だと思います。

その際、単なる中国の王朝史としてではなく東部ユーラシアの歴史の中での位置づけを意識した叙述が多く見られます。例えば、隋唐革命や李世民(のち太宗)による兄弟殺しである「玄武門の変」について、ユーラシアで広範なネットワークをもつソグド人が李淵挙兵時に兵力を提供したり玄武門の変でも李世民に協力すると言った具合に関わっている事例が取り上げられています。

また対突厥政策の路線対立が玄武門の変につながったのではないかという指摘もなされています。そのほか、玄奘三蔵の『大唐西域記』が意図的に中央アジアに関する情報を秘匿した形で公表されたといったこと、一度墓に埋められていた玄奘の伝記が掘り出され公刊されたのは西突厥情勢が決着がつき中央アジア情報が機密情報でなくなったためといった興味深い指摘も見られます。どこまでが本当なのかはわかりませんが興味深い内容です。そのほか、初期の唐の事柄では武則天のブレーンにもソグド人など胡人が見られることや、初期の唐に遊牧民の慣習であればそれほど違和感がないことがいくつか見られることにも触れられています。

著者の専門がソグド人、特に「ソグド系突厥」と呼ばれる集団に関する研究で多くの成果を上げていると言うこともあり、ソグド人および「ソグド系突厥」についての記述がかなり厚いという所も特徴と言っていいでしょうか。ソグド人のなかに突厥の中で暮らし騎馬遊牧民化した者がおり、それを「ソグド系突厥」と呼んでいます。そのなかから現れたのが、唐で軍事面で頭角を現し節度使として支配下に様々な民族を抱え込み、ついに大規模な反乱を起こした安禄山です。本書では安禄山の蜂起を彼に思いを託す様々な民族による唐からの独立闘争として描き出していきます。

この後の時代も彼の反乱に加わっていた武将たちが節度使となったエリア(河朔三鎮)は安禄山を神聖視し唐に従わないなど、独自の存在感を放ちますが、ここで見られた、遊牧集団に出自を持つかその影響の強いリーダーのもと、科挙に合格したが官職につけない者を用いて文書行政のノウハウを取り込み節度使の支配を維持するやり方が、実はその後の沙陀系王朝や契丹といった国家にノウハウとして継承されていったととらえ、唐はソグド人やテュルク系など様々な集団の移動の影響をうけつつ、モンゴルで完成を迎える「中央ユーラシア型国家」のプロトタイプを準備した国家としてみようとしています。

本書では唐と関わりを持った勢力について、ソグド人や突厥だけでなく、チベット吐蕃)やウイグル契丹高句麗といった勢力との対立抗争、連携、和平の締結などにも触れていきます。中国側の視点だけでなく、こうした勢力の方から見てどうだったのか、そのあたりの視点を盛り込みながら東ユーラシアの帝国として唐の歴史を描いているように感じました。東西突厥との攻防、東突厥の復活、ウイグル帝国の出現、シルクロードを巡るチベットウイグルと唐の抗争と提携、境界の確定など、東部ユーラシアを舞台とした勢力争いの様子をまとめつつ唐の歴史を書くということで、単なる「中国王朝」の歴史とは少し違う唐の姿が書かれているように思いました。文化関連の内容は薄いかなとも思いますが、全体として内容的にバランスがとれた通史としてお勧めしたい一冊です。