まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

福山佑子「ダムナティオ・メモリアエ」岩波書店

古代ローマ社会では、自らの業績を誇示するモニュメントや生前の業績を刻んだ墓碑、一族の祖先たちの蝋製肖像など様々な形で過去についてのメモリア(記録、記憶といったもの)が公に残されてきました。一方で、悪しき者とされたものについては、のちの研究用語で「ダムナティオ・メモリアエ」と呼ばれることになる記憶抹消、記憶の断罪といったことが行われていました。

この対象となったものに対しては、公の場に飾られた彫像は改変されたり見えないところにうつされる、あるいは破壊されるということが行われたようです。また、碑文からはその名が削り取られ、肖像の掲示禁止、その人物の名を親族につけることの禁止など、さまざまな対応がとられたことも知られています。

では、そのような対応がなぜ取られたのか、本書では帝政前期、セウェルス朝の頃までを対象として、皇帝のメモリアへの攻撃がどのように展開されたのか、そしてどのくらい徹底されていたのかといったことを示していきます。クラウディウスの意向を組んだ人々がメモリアの破壊をおこなったカラカラ、元老院が「国家の敵」認定したことに後押しされメモリアの破壊が行われたネロ、元老院の決議でメモリアの破壊が盛り込まれたドミティアヌス、「国家の敵」認定とメモリア破壊の決議の合わせ技が発動しながら、のちにセプティミウス・セウェルスにより名誉が回復されたコンモドゥスなど、ローマ皇帝としては「悪帝」として表される人々についてのメモリア破壊が検討されています。

文献史料からは徹底的に全てのメモリアが破壊されたのかと思ってしまうところもある彼らの事例ですが、意外と徹底されていない(そこかしこに残っている事例がある)ということが示されています。また、メモリアの破壊に関して元老院の意向がどこまで重要だったのか、この刑罰が元老院による皇帝への対抗手段だったのか、そのようなことも検討されていますが、元老院が決議を行ったり主導していても、やはり皇帝の力が強い事を感じさせられます。

なお、記念碑にあふれる世界であった帝政前期ローマでは、この刑罰を受けた皇帝のものを他の皇帝のものに作り替えて利用したりした事例もあるようです。個人的には、美術作品に表された皇帝をどうやって同定するのか、そこに興味が湧きました。いえ、まあ、ぱっとみたところ、所々に個性は表れていますが、果たしてそれでこれが誰とどうやって決定づけているのがわからないものですから、つい書いてしまいました。

本書では個々の皇帝たちの事例をあつかいつつ、そこからさらに皇帝と元老院の関係や、皇帝の神格化をめぐる話題、そしてメモリアへの攻撃が罰として成立する記念物を残すことが重要視された時代から、そうしたものを残すことの重要性が低下する時代への変化を描いています。帝政後期になると公的なものおよび私的な記念物を残すことをそれほど重要としなくなったことの背景に何があるのか、価値観の転換をもたらしたものは一体何だったのか、ローマ人の心性についてさらに踏み込んだ検討を楽しみに待ちたいと思います。キリスト教が少しずつ信者を増やしていく時期にメモリアを巡る態度の変化がみられるところの根底に通じるものがありそうな気もするのですが、はてさてどうなのか。

人の記憶や顕彰、記念に関することというと、最近ではブラック・ライヴズ・マター運動において過去の偉人の像が倒されたり、それをめぐり様々な言説が語られたことは記憶に新しいところですが、何を語り継ぎ、何を残し、何を消すのか、人はそれに対しどういう基準を設け考えてきたのか、それら記憶にまつわることを考える手がかりになる一冊だと思います。

個人的に、本書のメインの内容とは関わりないところで興味深かったのが、ドミティアヌスのところで触れられていた「善帝」と「悪帝」の区別に関する話題です。本書で「悪帝」としてとりあげられているドミティアヌスなどの皇帝について、近年ではその治世について再評価が進められていますが、ドミティアヌスのばあい「五賢帝」の1人トラヤヌスとの比較がついて回るようです。昨今ではドミティアヌスの行ったことはトラヤヌスが行ったことと類似していることが指摘されています。一方で「悪帝」としてのドミティアヌス像がひろまるのはトラヤヌスの時代だったと言われています。似たような構想を抱き政策を実施した2人の皇帝のうち、片方は明君、片方は暴君として描かれるというと、隋の煬帝と唐の太宗のように見えてきます。自らの業績を際立たせる上で、似たようなことを行なった先任者を否定的に描くというのは、自分をよくみせるうえで洋の東西を問わずによく行われることなのでしょうか。

このブログも始めてからもう13年以上が経ち、色々な感想を書いてきました。ただ、読んだ本の中にはその時感想を一気に書き上げようとしたものの諸般の事情で後回しになり、気がついたらだいぶ経ってしまったものもあります。本書の感想は本当は昨年11月に感想を書こうとしたのですが、澤田先生のアレクサンドロス大王本とフランコパンのシルクロード本の感想を書くのにかなりかかり、しかも仕事が忙しくなったため書ききれずに放置してしまいました。なんとかやっと手がつけられました。そういう事情もあり、上半期ベストや下半期ベストに入れられなくなっていますが、面白いので是非読んでみてほしいです。