まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

大月康弘「ユスティニアヌス大帝」山川出版社(世界史リブレット人)

世界史リブレット人の新刊は東ローマ皇帝ユスティニアヌスを取り上げています。世界史でも「ローマ法大全」の編纂、ローマ帝国の領土の再征服戦争、そしてハギア・ソフィア聖堂(これは再建ですが)と言ったことが取り上げられる人物です。

本書では、皇后テオドラや将軍ベリサリウス、そしてユスティニアヌス時代の歴史を「戦史」と「秘史」として残したプロコピウスといったユスティニアヌスを取り巻く人々、皇帝になるまでの前半生と彼が皇帝になった頃の状況、治世初期のローマ法大全の編纂事業やニカの乱、帝国の東西における戦い、ユスティニアヌス帝時代の経済状況や社会、治世後半の神学への傾倒と言った内容をコンパクトにまとめています。

ユスティニアヌスの治世は皇后テオドラ存命中に法典編纂や再征服征服戦争と言ったことが行なわれています。本書ではユスティニアヌス時代の東ローマ帝国ササン朝の関係やヴァンダル、東ゴート王国との関係についてまとめています。ササン朝との境界エリアの情勢はなかなかに流動的であり、どちらにつくかをめぐって色々な動きがあるようです。このあたり、如何にして生き残るのかと言うことで国境のあたりの勢力は神経を使わざるを得ない、どちらの大国に着いたほうが得かと言う判断を常に迫られていると言うところでしょうか。

ユスティニアヌスの治世前半の危機、そしてテオドラの啖呵が印象的なニカの乱についてもページをかなりさいています。その始まりは決して政治的なものではなく(騒ぎを起こした首謀者の処刑に失敗して生き残り、その恩赦を求めて行動を開始した)、青と緑というのも単なる戦車競争のサポーターグループでしかないということを確認し、それが途中からユスティニアヌス打倒の政治的な動きに変わっていってしまう(実際にユスティニアヌスにかわる皇帝を擁立しようとしています)、そのような展開がなぜ生じたのかを考えていきます。

また、ユスティニアヌス時代の社会は上下の格差が大きく、修道院や名望家による大土地所有の形成も進んでいた時代でした。ユスティニアヌスが再分配や公正に配慮していることは彼の法や政策に示され、また彼は土地所有者や財産を持つ名望家からそれを取り上げたり(その犠牲になった人物には再征服戦争を戦ったベリサリウスもいました)、教会や修道院に寄進された富を活用するためにあえて免税特権を与え慈善事業に従事させたといったと言ったことに現れているようです。教会の慈善活動についての内容は、なんとなく著者の「帝国と慈善」を読むともっと詳しく出てくるのかもしれません。

世界史の教科書に見られるユスティニアヌスの業績の多くがテオドラ存命中の治世前半のことで、彼女が死んだ後のユスティニアヌスが神学に傾倒し、キリスト教信仰の方に深く関わるようになります。ニカの乱の啖呵の逸話が有名ですが、テオドラは独自の外交使節の派遣をおこない、寵臣を高位官職につけたほか、彼女自身が帝国内に所領を持ち、そこから廷臣への贈与や寄進教会への寄進がなされ、さらには彼女の名を冠した都市の建設や彫像の作成がおこなわれるなど、活発な活動の跡が見られる人物です。彼女の存命中と死後のユスティニアヌスの変貌ぶりをみていると、優秀な配偶者が与える影響の大きさをつい想像してしまいました。

本書では、ユスティニアヌスは正しい信仰のキリスト教に基づく帝国を目ざし、ヨーロッパのキリスト教帝国・キリスト教皇帝の雛形となったという形で捉えています。彼が皇帝だった時代は、多くの宗教施設が建設され、教会を通じ富の再配分が行われています。教会などの第土地所有が進み富が集中することは国家財政的には必ずしも良いこととは言えず、大土地所有を規制する勅法も出ていますが、その一方で寄進を受け大土地所有を拡大する教会に皇帝が免税特権を与えて教会に慈善活動を行わせています。教会の大土地所有が進むことは国家財政の観点から見ると収入の減少につながるものではありますが、一方であえて土地の寄進をうけた教会にそうしたものを財源として慈善活動を行わせる所を見ると、福祉関係の活動は外注するという感じでしょうか。国家が果たすべき役割を限定しある程度は他の集団に任せると言うのは、なんとなく「小さな政府」のようにも見えてきます。

ユスティニアヌスの征服戦争で得た土地はそれから間も無く失われていき、莫大な費用と人員を投じた割には成果は得られずその後失われていきます。国庫に対する負担の大きい事業がその後の帝国に与えた影響は、ビザンツ帝国という一つの国家の歴史を考えるとマイナスの面が大きいようにも思えます。領土を拡大することが必ずしも繁栄につながるかというと微妙な面がある(その後の衰退や停滞の原因にもなる)ということは洋の東西を問わず見られることかと思います。一方、本書ではキリスト教帝国というあり方を後世に示したということもあり、ユスティニアヌスの時代について肯定的な感じも受けます。歴史上の人物の評価や意義というものもいろいろな観点からなされるというか、視点を変えると色々なものが出てくるというところでしょうか。ユスティニアヌス時代の目立つ業績や事業だけでなく、社会や経済についても分かりやすくまとめている一冊だと思います。