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三佐川亮宏「紀元千年の皇帝 オットー三世とその時代」刀水書房

神聖ローマ帝国皇帝オットー3世、と言われても、何をやった人なのかわからない人が圧倒的に多いと思います。世界史用語的に言えば、神聖ローマ帝国皇帝オットー1世の孫、ビザンツ皇帝の姪を母とし、2つの皇帝家門の血統を引く皇帝で、オットー朝の皇帝理念(異教徒への伝統を使命とする)を受け継いだということが触れられています。在位わずか6年程度、21歳で死去という極めて短命な君主であり、どうしても印象が薄くなるのは致し方ないところでしょうか。

しかし、彼はビザンツ皇帝の姪を母とし、幼年期の教育においても多くの聖職者からラテン語ギリシア語を学び、長じては先進的な学問にも興味を抱き、当時としては高い教養と知性を身につけ、皇帝と教皇が手を携えてキリスト教ローマ帝国の継承・発展である「ローマ帝国の改新」を成し遂げることを目指した彼は、のちに「世界の奇跡」とまで呼ばれた人物でした。

本書はこのオットー3世の生涯を中心に、それ以前の時代のイタリア及び都市ローマとカトリック教会の状況、東フランク王国の事柄や、彼が死んだ後、「ローマ帝国の改新」はどうなっていくのか、そしてオットー3世という歴史的人物の持つ歴史的意義などをコンパクトにまとめていきます。

イタリア、特にローマにおける権力闘争の中で地位につく一方でその地位を追われ悲惨な運命を辿る者も少なくないローマ教皇の状況、思うように進まぬ東欧へのカトリック圏拡大、西の皇帝をなかなか認めようとしない東ローマ帝国との関係など様々な問題に立ち向かいつつ、オットー3世は教皇と手を携え(彼の学問上の師である人物がのちに教皇シルヴェステル2世となります)、「ローマ帝国の改新」を目指していきます。ローマに宮殿を構え、教皇と協働で「ローマ帝国の改新」を目指すも、都市ローマの貴族には理解されず、道半ばにして死去するまでの過程がまとめられています。

若き皇帝の短い治世がその後の歴史にどのような影響を与えたのかについては、いろいろなことが挙げられています。例えばポーランドが東欧でカトリック圏にとどまったことは、のちの時代には「理想主義的」とされ批判される彼の政策が決定打となっていること、帝国の統治機構に教会を組み込み、神権的な統治体制を作り上げたこと(ただし、叙任権闘争神聖ローマ帝国が深刻な打撃を受ける要因にもなる)などが挙げられるようです。

また、オットー3世のキリスト教世界の再編と統合の試み、「ローマ帝国の改新」の試み、イタリア政策への奉仕を共にする中で支配下にあったザクセンやフランク、シュヴァーベンやバイエルンなどの人々に共族意識を育み、「ドイツ人」という共族意識を形成させたことも指摘されています。さらに「ドイツ人のローマ帝国」に直面したことがイタリアにおいて「イタリア人」としての共通の民族感情を生み出すことなど、ヨーロッパにおける「国民」の原型のようなもの生み出していくうえでも重要な影響を与えたようです。

興味深いところも挙げておくと、オットーを取り巻く人々もなかなか強い個性の持ち主たちが見受けられますが、特に女性陣には注目しても良いかと思います。オットーの母テオファノはビザンツ皇帝の姪にあたる人物ですが、幼いオットーの後見をつとめ、政治にも深く関わった様子が見られます。同様にオットーの祖母アーデルハイドも彼の後見を務めました。さらに彼の伯母や姉も重要な役割を果たすなど、彼女たちがなぜ活躍できたのか、その背景に興味が湧きました。

もう一つ挙げるとすると、東ローマ帝国との関係でしょうか。オットー1世が皇帝となった際も東ローマとの間でローマ皇帝位をめぐる応酬があったことはリウトプランド(大月康弘訳):「コンスタンティノープル使節記」でも触れられていることです。この過程を経て、オットーの母テオファノが嫁いで来たわけですが、東ローマ帝国からすると自分たちが唯一のローマ皇帝でありオットー1世は認められない、一方オットー1世の方ではローマ及びカトリック教会・教皇を守る力があるのは自分たちであり皇帝の資格はあるという具合でなかなかむずかしい状況にあったようです。

東ローマ帝国とどう向き合うかはオットー3世にとっても課題だったわけですが、「緋室の生まれ」(東ローマの正嫡を示す)の皇女との結婚を望み交渉を行なったり、従来の皇帝称号である「尊厳なる皇帝」に「ローマ人の」を加え、対等にして平和な共存関係を目指そうとするところも見られます。「キリスト教」「ローマ」、そして「ギリシア」的なものへの憧れ、それを一身に体現したのがオットー3世だという指摘はなるほどなあと思います。そんなオットーに対し、東ローマ側の対応はというと、皇女との結婚はなかなか進めず、その一方でオットーの側近を煽りローマ教皇を狙わせるなど策謀を巡らせているところがなかなか厳しいものを感じさせます。

彗星の如き輝きを放ち消えていった若き皇帝の生涯を辿りながら、キリスト教的西ヨーロッパ世界の発展と、その内部における諸民族集団の形成が描かれています。中世ヨーロッパに興味がある人だけでなく、超国家的なまとまりと国民的まとまりの関係を考えてみたい人にもお勧めしてもいいかと思います。