まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

Waldemar Heckel 「In the Path of Conquest : Resistance to Alexander the Great」, Oxford Univ.Press

日本ではアレクサンドロス大王に関する書籍の数はそれほど多くありませんが、欧米では毎年のようにアレクサンドロス を扱った一般向け書籍から研究書まで、多くの書籍が刊行されています。玉石混交、汗牛充棟といった感じではありますがそれだけ興味関心を抱く人が多いのでしょう。本書は、長年アレクサンドロス研究に従事し、数多くの著作を送り出してきた著者の手による一冊です。毎年の如く多くの本が出ている分野で、何か新しいことができるのかということが気になるのですが、今回の著作では、アレクサンドロスに抵抗した人々の視点から東方遠征の過程を描き出そうとしています。

では、彼に対する抵抗としてどのようなものを考えているのかというと、まず東征軍が侵攻してきた際に、それを撃退しようとする動きが取り上げられます。小アジアに上陸してすぐにグラニコス河畔の戦いがあり、その後も小アジア沿岸部の都市での戦い、エーゲ海域も巻き込む海上での戦いが扱われます。そしてダレイオス3世が直接向かい合ったイッソスの戦い、地中海東岸のテュロスやガザといった都市の抵抗、ダレイオスが2度目に戦ったガウガメラの戦いといったあたりが主となります。侵攻する東征軍との戦いということでは、インドにおけるポロスとの戦いも含まれるでしょう。ほかペルシア門での戦闘などもこのカテゴリーに入れて良さそうです。

なお、アレクサンドロスと戦ったダレイオス3世については、それなりに効果が望める対応策を立てて実践しており、単なる臆病者・愚か者として扱うようなことはしていません。彼の敗因は相手が悪すぎたというところに行き着くようです。

こういった直接東征軍と戦う動きだけが抵抗ではありません。実際の東征の経過を見ればわかるように、アレクサンドロスは立ち向かう相手に対しプロセスに多少の差異はあれども勝利を収め、広大な領域を征服していきます。しかし征服されたものたちのアレクサンドロスへの対応を見ると初めは大人しくしていながらもやがて反乱を起こすという事例も見られます。特に大きな反乱となったのがスキタイ人とも組んで展開されたスピタメネスとソグディアナ・バクトリアの勢力によるものですが、それ以外にもアレクサンドロスにいったん服属しながら反乱を起こしたペルシア貴族たちが登場します。

さらに、アレクサンドロスに対し抵抗したのは的として向かい合った人々だけではありませんでした。彼が征服過程で進めた東方協調路線が東征軍のマケドニア人たちの間に不協和音を生じさせ、アレクサンドロスマケドニア将兵の間で衝突を生じさせ、成功しないものの陰謀が企てられるという事態が生じています。フィロータス事件とパルメニオンの殺害、クレイトス事件、跪拝礼導入の試みの後に生じたカリステネスの排除と近習による暗殺計画が取り上げられています。そのほか、オピス騒擾や東征中の総督たちの不服従や不正などもこういったところに入るでしょうか。

なお、ヒュパシス河畔で兵士たちがそれ以上の東進を拒み大王の東方への夢が阻まれたという認識が一般的ですが、これに関して著者はそもそもアレクサンドロスはアケメネス朝の勢力範囲を超えて行こうとは考えていなかったという姿勢で捉えています。この辺りの捉え方は類書にない、独自の捉え方と言えるでしょう。

こういった様々な形で見られたアレクサンドロスへの「抵抗」を描きながら東征の始まりから終わりまでが扱われています。そして、その過程で彼に征服された地域がどのような歴史を持ち、どのような支配の構造や社会の仕組みを持っていたのかといったことについてもかなりページを割いて説明しています。フェニキアやエジプトの状況、ペルシア貴族たちの関係やインドの状況などが具体的に触れられていて、参考になります。

本書を通じて見られることで興味を抱いたことを挙げると、まずアレクサンドロス のことを表す表現として多くの部分で「征服者」(the Conquerer)という表記がよく用いられています。東征軍の侵攻を受けた地域に暮らす人々、そこを支配する人々にとっ彼は紛れもなく征服者であり、征服された側の視点から描くということでアレクサンドロスについては「征服者」として描き、そちらの面が強調されているように感じます。

また、最近はアレクサンドロス研究に用いられる古代文献について、文学論的なアプローチのようなものも見られるようになっています。本書でもその辺の影響は所々見られ、それらが書かれた時代の読者を意識していることを窺わせる内容が見られ、ペルシア宮廷やマケドニア軍の内部の権力争い関連のところで帝政ローマの宮廷の話を意識しているようなところも指摘されています。最も本書では全てそのような文学論的解釈を採用しているわけではありません(アレクサンドロスの歴史を書いた作家がそれ以前の作品の叙述や描写を真似し話を作っているという立場に与しているわけではないようです)。

東征中、様々な抵抗にあったアレクサンドロスですが、往々にしてかなり過激と言いますか、残虐な対応を取っている場面が見られます。グラニコス河畔の戦いでは、ギリシア人傭兵を壊滅させてしまいましたし、テュロスを攻略した際には多くの人々を死なせています。そのほか、反乱が起きたソグディアナでも多くの現地人を虐殺するようなことをしています。彼に対し激しく抵抗したものに対し、ポロスの事例のように何かしらメリットがあれば寛大な措置をとりますが、そうでなければガザで戦ったバティスやダレイオスから王位を簒奪したベッソスの事例が示すように待ち受ける運命は極めて過酷でした。しかしこういう過酷な取り扱いがどの程度効果があったのかというと、どうも微妙だったことも示されています。戦い方については戦うたびに色々と修正を加え、より洗練されたものへ発展させていったように、軍事的天才ではありますが、敗者への扱いとそれが引き起こす反応についてはついぞ学習することはなかったかのようです。

東征を通じ、西の端のギリシア世界と東の端のインドでは、彼が制圧する前から続く敵対関係というものは結局解消されることはなかったことが最終的に語られています。その間のペルシア帝国中核部だった地域についても支配者がアレクサンドロスに交代したとはいえ帝国の支配構造自体は変わっていないと捉え、アレクサンドロスは征服地に対し、支配者をマケドニアギリシア系に変えるところもあれば、現地の有力者の支配に任せるところもある、帝国の総督を留任させるところもあるなど征服地の支配に対しそれなりの関心を持ち、多様なやり方を採用していたことを示していきます。しかし王との繋がりによる地位保全アレクサンドロス の元では望めなかったことや、今までは許容されていたものが認められなくなるなど、征服に伴う変化への対応を被支配者たちは迫られていったことも言及されています。さらに、逆説的ではありますが、高度に発展した交通システムなどを備えるなど整備された帝国統治の仕組みが、アレクサンドロスによる征服を容易にしたと考えているようです。征服された側の視点から東征およびアレクサンドロスを捉え直していく一冊として、読んでみると面白いと思います。

(追記)
この本でペルシア門を巡る戦闘についても扱われています(著者の見解では、アリオバルザネスの戦いは時間稼ぎくらいにしかならないというものですが)。そして、ペルシア門の場所をめぐる話が取り上げられ、そこでまずスペックの研究が取り上げられ、さらに森谷先生の研究にも言及がありました。なお、森谷先生の本(科研費報告書だろうと思います)について注でページ数は指定されているのですが参考文献一覧に載っていなかったりします。これは流石になんかのミスだろうと(普通、注で取り上げ、ページ数まで指定しているような本であれば参考文献に載せるはずです)。ちなみに森谷先生の研究については、河出書房新社から「アレクサンドロス大王東征路の謎を解く」というタイトルで出版されており、我々はそれを手に取って読むことができます。洋書を読んでいて、自分が読んだことがある本について取り上げられているのを見て、つい嬉しくなり追記してしまいました。