まずはこの辺は読んでみよう

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森谷公俊「アレクサンドロス大王 東征路の謎を解く」河出書房新社

アレクサンドロス大王に関する著作を多く出している森谷先生は、2017年にはプルタルコス英雄伝のアレクサンドロス大王伝の翻訳と注釈を発表しています。その時に注の部分で、アレクサンドロスの東征路についての著作が刊行予定である旨が書かれていました。それがいつ出るのだろうと待っていましたが、ついに刊行されました。

2013年に「図説アレクサンドロス大王」で著者はイランにおけるアレクサンドロス東征路の実地調査の成果はある程度発表していましたが、今回の著作はそれの内容がより専門的な内容となり、かなり詳しく論じたものとなっています。

本書は、まず序章でこの著作にまとめられたイランにおけるアレクサンドロス東征路の実地調査に至る経緯をまとめ、その後から本論がスタートします。ディオドロスの邦訳と注を作っている際に、イランにおけるアレクサンドロス東征路を論じた論文を見つけ、それをきっかけにイランにおいて現地調査を行うに至った経緯、このきっかけとなったスペックという学者の論文が書かれ、発表されるまでの経緯はなかなかに興味深いものがありました。

本論ではアレクサンドロスとウクシオイ人の戦いが起きたウクシオイ門、アレクサンドロスペルセポリスに入る前にアケメネス朝ペルシア軍と激しい戦いを繰り広げたペルシア門と、ペルシア門攻略に際してアレクサンドロスが用いた迂回路の位置を検討し、さらにペルセポリスとその周辺の王の道の復元やダレイオス追撃ルート、ダレイオス終焉の地の検討をおこなっていきます。さらに、ペルシア門でアレクサンドロスを迎え撃ったアリオバルザネスの戦略や、アケメネス朝ペルシアがなぜ滅びたのかといったことの検証もおこなわれています。

これらの検証において、まずは古典史料の当該箇所をしっかりと読み、あらためて検証していきます。古典史料にかかれていることが、果たしてどの程度実際の遠征ルートや行軍、戦闘の様子を伝えているのかをみたうえで、東征において重要な場所の手がかりを探していきます。

そして、史料の読み込みによって生じた疑問を明らかにするために、著者は実際にイランに行き、遠征ルートを確認するための現地調査を行っていきます。現地調査によって得られたデータをもとにして、著者はアレクサンドロスのイランにおける東征路についてはスペックの説が概ね妥当であると考える一方、それと違う部分もあるという結論で、現地調査をもとにしたアレクサンドロス東征ルートの一端が明らかにされていきます。

本書で著者が示した内容としては、まず、著者が実地調査におもむくきっかけとなったスペックの説はおおむねでは正しいが、修正を要する箇所があり、調査で確認できた限りでのスサからペルセポリスへのルート復元をおこなっています。そして、山地ウクシオイ人との戦闘場所は通説よりかなり西、スサに近い場所であること、ペルシア門は通説より北の渓谷にあること、「王の道」は夏のルート、冬のルートがありアレクサンドロスのこの地域での進軍も王の道に規定されていたことが示されていきます。

また、ペルシア門をめぐる戦闘はアレクサンドロスにとっては東征中の一つの戦いでしかないものの、ペルシアからすると国家存亡をかけた最後の戦いともいうべきものであり、司令官アリオバルザネスはウクシオイ人とも連携しながら周到に準備を重ねて迎え撃とうとしたことなどが明らかにされています。そしてダレイオス追撃ルート、ダレイオス終焉の地も著者なりの見解が示されています。

序章のスペック論文発表に至るまでの経緯と旅行記における著者のイランでの調査の様子を読むと、人文系の学問が決して現実と無関係な「浮世離れ」した学問ではないということがわかるのではないでしょうか。スペックの場合は革命直前という時期の影響を受けているようですし、著者の調査活動もたびたび現地での役所、警察の対応に苦慮している様子が見られるなど、2300年以上前の一見すると今と無関係に見える事柄であっても、調査研究を行った時の社会状況や政治にかなり制約される部分があることがわかるのではないでしょうか。

さらに、イラン国内で外国人が調査を行うとなると、国際社会での様々な問題から困難なこともあるかとおもいます。今回の著者の調査が可能となったのは、イランと日本の関係もいろいろと影響しているように思います。これが欧米系(特に西欧、合衆国)の研究者であればそもそも調査に赴くこと自体ができたかというと相当厳しかったのではないでしょうか。このような研究が続けられるような国際情勢が続いてくれればよいのですが、ここの所イランをめぐる情勢も厳しさを増しているようなので、いろいろと心配になってきます。

そして、一般の読者でも読める作りの学術書という、本書が極めてユニークな一冊となっている要素として、イランにおける現地調査の様子を書いた旅行記を、各テーマ毎に内容をまとめて掲載していることがあげられるとおもいます。イラン旅行の際に、現地の人やものと接する中で著者が感じた様々なことが掲載され、これもまた興味深い読み物となっています。古典史料の検討、実際の現地での調査の記述など、結構読み解くために努力を要する箇所が多い本書において、ちょっとした息抜きとなり、なおかつ実地調査の様々な記述を多少なりとも取り付きやすくしているのがこの旅行記の部分でしょう。

専門的な学術研究の一端に触れつつ、なおかつイランの現地の状況も楽しめるという一冊になっていますので、この機会にぜひ手に取って読んでみてほしいと思います。