まずはこの辺は読んでみよう

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伝カリステネス(橋本隆夫訳)「アレクサンドロス大王物語」筑摩書房(ちくま学芸文庫)

20歳で即位し、その2年後の紀元前334年にペルシア遠征に出発、それからわずか4年程度でペルシア帝国を滅ぼすとともに遠征を続け、遠征開始から10年でかつてのペルシア帝国領を征服したアレクサンドロス大王。一瞬夜空で明るく瞬いた星のような生涯は様々な人の興味関心を引いてきました。

アレクサンドロス大王は現代でも多くの著作が刊行され続けている人物ですが、死後少し時間がたった紀元前3世紀のうちに鮮烈な生涯を描いた物語の大枠が出来上がっていったと言われています。そして様々な伝承を取り込み膨らんでいくアレクサンドロスの物語は3世紀までにアレクサンドリアで今伝わる形に編纂されたと言います。その過程で、アレクサンドロス東征に従軍し歴史をかいたカリステネスの名が著者としていつの間にか加えられ、「伝カリステネス」のアレクサンドロス物語という形で伝えられるに至っています。

では、この伝カリステネスのアレクサンドロス大王物語について、話の展開をおおまかにみていくと、アレクサンドロスは外部からの侵攻をうけたエジプト王ネクタネボスがマケドニアへとにげ、そこで不思議な術をつかいマケドニア王妃オリュンピアスと交わって生まれた子という設定になっています。このあたりからして相当荒唐無稽な設定になっています。

その後の展開については実際に読んで楽しんで欲しいのですが、ローマ時代の「歴史的」なアレクサンドロスを描いた諸作品でもみられる事柄が、想像力の翼をいっぱいに広げたかたちで展開されていく話が次から次へと出てくるといって良いでしょう。例えば大王の愛馬ブーケファロスは人喰い馬という設定だけでも只者ではないという感じがひしひしと伝わってきます。

東征のプロセスについては、初めに出発してからあとの展開で、カルタゴやローマに行ってしまう展開があったり、イッソスの戦いより前にエジプトでアレクサンドレイアを作っているような話が出てきたりと、時系列や地理的情報の理解という点ではかなり変わったことになっています。また、インドやスキタイに関する話もいろいろと展開が変わっているところは見られます。そういった情報についてはそれほど気にせずに気楽に読んだほうがいいかなと思う本です。

この物語でのアレクサンドロスは、勇敢であり、時に恐ろしく、時に優しく、そしてクレバーなところがある人物として描かれています。彼はダレイオス率いるペルシア軍やポロス率いるインド軍、そしてアマゾネスの国へ使者の派遣が必要な時、自ら変装してアレクサンドロス とは全く別人であるかのようにふるまいながらダレイオスやポロスといった人々に接近していきます。武勇だけでなく、むしろ知略を駆使する大王像といったところでしょうか。「歴史的」なアレクサンドロスの伝記ではみられない面白さがあるように感じます。

本書では、のちのアレクサンドロス ・ロマンスなどにもみられるアレクサンドロスの不思議な冒険に関する話も登場します。不死の命を得られる水を手に入れ損ねた話から、怪物との遭遇、哲学者との対話、海底探検や空の探検などに関する話も登場します。こういった後世の人々の想像力を刺激し、創造の世界をさらに発展させるのに十分役立つ素材に満ちているというところが読者を惹きつけるのでしょう。

また本書の叙述では史実に基づいたものから、単なる作り話まで、書簡体の物語を素材として取り込んだ箇所がいろいろとみられます。ダレイオス3世やポロス、アマゾン族の女王などとの手紙のやり取りで話が進んでいくところがありますが、ダレイオスが送りつけた鞭、ボール、金貨に関するダレイオスの意図説明とアレクサンドロスの解釈のやり取りなど、巧みな応答の競い合いがみられます。このあたりは現代のラップバトルのようでもあります。

本書では補遺として底本としたもの以外の別系統の写本に基づく話、さらにラテン語に訳されたものまで収録されています。この物語自体が色々な形で各地に伝えられ、人々に親しまれてきたことがわかる内容です。出版社による本書の宣伝文句にみられる「聖書に次いで読まれた」かどうかはさておき、様々なヴァージョンが語り継がれ、後世に影響を与えたことは間違い無いでしょう。真夏の世の楽しみとして、こういう本をじっくり読むというのも良いのではないでしょうか。また、解説も本書の来歴やアレクサンドロスをめぐる歴史叙述などに関する興味深い話題が乗っているのでぜひ読んで欲しいところです。