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A.A.ゴルスキー(宮野裕訳)「中世ロシアの政治と心性」刀水書房

中世ロシアというと、馴染みがない人が多い分野かもしれません。知っている人がいるとすると、エイゼンシュタインの映画になったアレクサンドル・ネフスキーや中世叙事詩、そしてのちに歌劇の題材となる遠征を率いたイーゴリ公など、ロシアの芸能文化関係でその名前は知っているという人がいるくらいでしょうか。本書は、中世ロシア史を彩る様々な人物の中から、イーゴリ・スヴャトスラヴィチ、アレクサンドル・ネフスキー、ユーリー・ダニーロヴィチ、ドミトリー・ドンスコイの4人の君主を選び、彼らの生涯をまずまとめた上で、彼らの生涯を通じて見られた事象について、どのように認識が変わっていったのかをのちの時代まで視野に入れてまとめていきます。

最初のイーゴリ・スヴャトスラヴィチは叙事詩「イーゴリ遠征物語」に扱われた遠征を指揮した人物ですが、彼自身はロシアの諸公の一人にすぎず、戦ったポロヴェーツ人もまた一枚岩でなく戦ったのは一部の集団だったという、極めて地味な人物であり、出来事自体がロシアの歴史にそれほど大きな影響を与えたものではないようです。

しかし、のちにはちょっと扱われる程度になる彼の遠征は同時代の年代記では非常に多くのページが割り当てられており、それは何故なのかを検討しています。罪と罰、懺悔と赦しとうい展開がキリスト教的価値観からはふさわしい話とみなされたことが大きいようです。そして歴史的な出来事に対する評価がいかに変わるのかということも述べられています。同時代人からは重要視されたイーゴリの遠征ものちの時代には対して重要と見られなくなる一方、クリコヴォの戦いについてのロシアへの影響は後世になって大きくなったことが言及されています。

次のアレクサンドル・ネフスキーは西方のスウェーデンドイツ騎士団とは戦いながら、東方からやってきたモンゴルには従属し、自分の地位のため弟を売り飛ばし敵に協力したかのような人物です。そして本書では祖国を守るということ、何のためにロシアの諸公は戦ったのかということを考えていきます。対敵協力者のような彼の生涯を辿りながら、人は一体何を守るために戦うのか、祖国のために戦う、祖国のために守るという考え方がロシアではどのような過程を経てきたのかを示していきます。

さらにユーリー・ダニーロヴィチという前2人と比べると日本での知名度が極めて低い人物も取り上げられています。キプチャク・ハン国も絡むロシアの諸公同士の対立抗争に関わり続けた全生涯を通じて殺人が付き纏う人物ですがモスクワをロシアの中で台頭させる上では重要な人物であるようです。

そんな彼の生涯を描いたこの章では殺人に関する見方の変遷が扱われます。異教時代は殺人が処罰の手段として結構使われ、キリスト教の普及とともにそれを控える傾向が現れるが、モンゴル時代を経て殺人が処罰手段、政治闘争解決の手段としての殺人が頻繁になるということが描かれています。モンゴル時代以前と以後での変化が示されていますが、この辺りはモンゴルに対する物の見方も関係するように感じました。

最後にドミトリー・ドンスコイが扱われます。クリコヴォの戦いでモンゴルの支配者ママイを破ったことで知られる人物ですが、それから間もない時期にキプチャク・ハン国のトクタミシュが攻めてきたときには大規模会戦に訴えず服属する姿勢は特に変えていないという人物です。ただし彼以降はウラジーミル大公位をモスクワが相続するようになりモンゴルのハンがそこに介在しなくなるという点で画期を成しています。

ここでは、ロシアにおいて「ツァーリ」についての観念の変化が扱われています。モンゴル時代以前だと、ツァーリというとビザンツ皇帝に多く用い、ロシアの諸公に対しては美辞麗句として使う程度だったようです。しかしコンスタンティノープル陥落、モンゴルによるロシア支配を経験する中で、ツァーリというと正統的な権力を持ち誰にも従属しない上級君主、具体的にはロシアの諸公を従属下においたモンゴルのハンのことを指すようになります。ロシアの諸公たちはツァーリの宗主権は認めており、ウラジーミル大公より上という認識はクリコヴォ以後も直ちには変わらなかったようです。

しかし、徐々に変化が現れ始め、モンゴル以前のロシア諸公に対しツァーリの称号を使う傾向が現れ、さらにモスクワ大公をツァーリと呼ぶ事例も現れ始めます。モンゴルのハン国への従属からの離脱とモスクワ大公へのツァーリ称号の適用が増していく中、モスクワ大公家が元来ツァーリの血筋であるかのような言説も登場してきます。そして歴史の認識についても、ツァーリの位は強大だった時代のビザンツ帝国から獲得されたというようなものへと変わっていったようです。

以上のような内容を、史料の読解を通じて示しています。ユーリー・ダニーロヴィチの章のように、外部から悪い事象がやってきたかのように取られかねない、少々危険な内容も含まれますが、様々な史料を読み込み、その解釈をもとに中世ロシアの政治史の構築だけでなく、当時の人々の中にどのようなものの考え方が生まれ、発展していったのかを描いており、非常に興味深い一冊となっています。

訳者後書きを読むと、本書が出るまでの紆余曲折が書かれています。出版情報が最初に出た頃、始めは訳者は2人いたのですがそれが結局1人になっています。そのあたりの経緯は色々あったのだろうと想像するしかありませんが、大学院生時代に取り組み始めた翻訳が形となり世の読書家の手に渡るようになるまでは、こちらからはわからぬ苦労があったものと想像できます。昨今の出版事情からするとこのような本を出すのはなかなか大変な上、今年に関しては今までにないような大変な事態が生じています。この大変な状況下で本書のような本を出してくださった出版社には感謝するしかないでしょう。願わくば、この大変な状況を乗り越え、良い本が無事に出続けて欲しいものです。