まずはこの辺は読んでみよう

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リウトプランド(大月康弘訳・註)「コンスタンティノープル使節記」知泉書館

東フランク王オットーがローマ皇帝として教皇から戴冠された出来事は、世界史では「神聖ローマ帝国」の始まりとして取り上げられる結構重要な出来事です。しかし、当時の東地中海世界で繁栄期を迎えていたビザンツ帝国からすると、自分たちこそ唯一の「ローマ皇帝」であり、オットーを皇帝として認めるなどあり得ないという認識でした。

それ以外にもオットーとビザンツ帝国の間ではイタリア南部をめぐり、現地諸侯がどちらに帰属するのか、そしてビザンツの拠点となっているバーリの攻防など問題が山積していましたし、こうした問題の解決策としてオットーの息子とビザンツの皇女の間で婚姻を結び関係を深めることを目指していました。

これらの難題を話し合うため、使節として派遣されたのがオットーに帝国官房書記として仕えていたリウトプランドでした。彼はこの時より前にもランゴバルド系諸侯に仕えていたときにビザンツに派遣され、その時は歓待されていましたが、今回の使節派遣はそれとうって変わって非常に厳しいものとなりました。

リウトプランドにとり極めて不愉快かつ厳しい活動となった時の記録を書き残したものが本書です。前と打って変わった冷遇に憤る彼が、あふれる知性と教養を最大限駆使しながらビザンツ皇帝ニケフォロス2世を嘲笑、罵倒したり、ビザンツの人々のものの考え方や行動を罵倒し、最後には捨て台詞のごとき詩を落書きとして残して帰って行くことになります。次から次に飛び出す様々な罵り文句と嘲笑の数々をみていると、よくこれだけ色々な言葉が出てくるものだと感心してしまうところもあります。

本書を読むと、随所に聖書や古典からの引用や、それを踏まえた表現がちりばめられています。ランゴバルド系貴族の家に生まれ来たイタリアで育ったリウトプランドの知的環境がうかがい知れる文章となっています。多くは聖書なのですが、ウェルギリウスやユウェナリウス、オウィディウスなどローマの古典もあれば、プラトンもあるようです。プラトンの受容と言うことを考えたとき、どこでそれを知ったのかというのは興味深いです。

そして本文のほかに付論がついており、そこでは「ローマ皇帝」称号を巡る問題など、この使節が派遣された目的や、当時のビザンツ帝国の情勢があつかわれています。また本書における「ローマ」の使われ方から、都市ローマヘのこだわりと「ローマ皇帝」の職分へのこだわりがみてとれ、都市ローマの守護者としてのローマ皇帝を想定し、それを果たしているオットーは皇帝にふさわしいいうことになるようです。ビザンツ皇帝に承認してもらいたいという思いと、自分たちこそ責務を果たしており皇帝にふさわしいという考えが同居している状態がみてとれました。

脚注としてまとめられた多くの註に目を通しながら本文を読んだうえで付論2本をよむと、10世紀のビザンツ帝国と西ヨーロッパ世界の間でどのような関係がつくられていたのかが分かるかと思います。