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ジョナサン・ハリス(井上浩一訳)「ビザンツ帝国 生存戦略の一千年」白水社

バルカン半島からアナトリアにまたがり、時には東地中海にも領土を持っていたビザンツ帝国、この国については、怠惰、道徳的退廃、臆病、内紛、教義論争や尚古趣味にかまけ国の強化を怠ったと言った感じで捉えられることがあります。ギボンの「ローマ帝国衰亡史」、塩野七生の歴史作品でのビザンツ帝国の扱いはまさにそういったところでしょうか。

しかし、ビザンツ帝国の歴史がそのようなどうしようもないダメな国なのであれば、すぐに滅びてしまっていてもおかしくはないはずなのですが、様々な集団の活発な往来が見られる場所にあり、度々攻められ、危機に幾度となく瀕しながらも蘇り、1000年にわたって国が続いたのはなぜでしょうか。本書は、ビザンツ帝国がなぜこれほど長きにわたって存続できたのかという問いに対し、著者なりの解答を探ろうとした本です。

構成としては、各章ごとに様々な人物をとりあげ、そこからビザンツ帝国の歴史を描き出していくという形になっていますが、特に皇帝に関する記述が中心になっているように感じます。コンスタンティヌスユスティニアヌス、ヘラクレイオス1世、コンスタンティノス5世、アレクシオス1世、ミカエル8世、ヨハネス6世などの皇帝がその時々で可能な限りの手を尽くし、全力を注いできたことも帝国が存続できた要因として見ているように感じられます。

また、第1章では、ローマからビザンツへの転換期において、帝国が長きにわたり存続した要因として、キリスト教が政治と宗教の指導権を併せ持つ皇帝という概念により政治を安定させ、支配者と被支配者の関係を安定させただけでなく、新しい形式の芸術を生み出したり公共の福祉を担ったことをあげていきます。キリスト教の存在がビザンツ存続に大いに影響をあたえたことは、絶えず北方を脅かしてきたスラヴ系諸民族が壮麗な首都コンスタンティノープルキリスト教の儀式、宮廷儀礼に圧倒され、ビザンツの文化圏に組み込まれていったことからも明らかでしょう。

もちろん、キリスト教文化の魅力だけでは帝国は維持できるわけはなく、それ以外の手段ももちろん求められました。様々な民族集団が移動していく地点に位置するビザンツ帝国は軍事的には度々手痛い敗北を喫したこともあり、危機に晒されても耐え凌ぎ復活してきました。それを可能としたのは難攻不落の首都コンスタンティノープルの存在があげられますし、ある集団と敵対するときには別の集団と同盟を結んで対抗したり、それらの集団を帝国の移民として取り込んでいくことなど、巧みな外交を展開してきたことも挙げられるでしょう。ラテン人のような事例もありますが、他者を巧みに取り込むところは帝国の強みとして機能することが多かったようです。そして何より、同盟者に対する「年金」や兵力として雇う際の賃金の源となる財力がこうした粘り強い外交を可能としていたところもあります。こうして見てきたとき、積極的な軍事行動を行なったマケドニア朝諸帝というのは極めて例外的な存在のようです。

その時々で皇帝や政治家たちが外交や文化、経済力といった軍事以外の要素を駆使してきたことが本書におけるビザンツ存続の理由と言えると思います。皇帝たちの業績を描くにあたり、バランスのとれた叙述もこの本の魅力でしょう。ビザンツ帝国繁栄期を築き上げたバシレイオス2世については功罪両面を取り上げ、帝国の中央と地方の溝を深めたことがその後悪影響をあたえたということを指摘していますし、聖像禁止の故悪評高く、「コプロニュモス(クソ皇帝とでも言えばいいのでしょうか)」とあだ名されたコンスタンティヌス5世についてもその軍事的・政治的能力と業績を高く評価しています。さらにアンドロニコス2世という無能な皇帝とみなされることが多い人物についても、できる限りの努力はしてきたというところは評価しています。

帝国一千年の歴史を対外関係を軸に、主な皇帝の話を中心に語った本書を読んで強く感じたことを一つ挙げるとするなら、経済力の重要性でしょうか。粘り強く巧みな外交、他者の取り込み、他を圧倒するキリスト教文化、これらを可能にしてきたのは無尽蔵ともおもわれた国家財政であり、帝国に多額の税収をもたらす経済力の存在であるとおもいます。しかしビザンツが領土を減らし、関税収入もヴェネツィアなどに特権を与えたことで減少していった時代になると、同盟もうまくいかなくなり、さらに偏狭な民族意識のようなものも現れてきています。「衣食足りて礼節を知る」「貧すれば鈍す」というと語弊があるかもしれませんが、帝国が滅亡に向かう過程を読むとこの2つの言葉が思い浮かびます。

人物と印象的なエピソードを取り上げながら、帝国が複雑な対外関係の中存続してきた様子がわかりやすくまとまっていますし、読みやすい仕上がりになっていると思います。