まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ウィリアム・ダルリンプル(小坂恵理訳)「略奪の帝国 東インド会社の興亡(上・下)」河出書房新社

イギリス東インド会社というと、ヨーロッパの重商主義政策の展開や、イギリスによるインド植民地化の話でかならず登場する勢力です。イギリス東インド会社がインドに進出を図ったのは17世紀、インドはムガル帝国のもとで繁栄を極めていました。それが、18世紀に入るとムガル帝国が急速に衰退したことも関係ありますが、東インド会社がインド各地の勢力を打ち破り、インドの大部分を支配下に置いていきます。

王の勅許により造られた特権会社というかなり特殊な物ではありますが、一つの会社に過ぎない東インド会社が勅許から軍隊の保持、独自の外交など様々な権利を引き出しつつ一つの主権国家の如く振る舞い、在地勢力と戦い、ムガル皇帝から豊かなベンガルにおける徴税・行政権を認められ、気がつけば19世紀初頭時点でムガル皇帝を保護下におき、インドでこれに対抗できるものはないという所にまで発展していきます。本書では一企業が国家になりかわっていく過程を描くことに重きが置かれています。これが本書の柱の一つでしょう。

この過程で活躍した東インド会社の社員やインドに関わった様々な人についても、単なる名前の羅列でなく、非常に分かりやすく描き出されています。ヘースティングスのようなかなり真面目なタイプもいますが、インドから富を得る事に関しては概して貪欲であった東インド会社の人々、特に初期の頃に活躍したクライヴの栄光と挫折は非常に活き活きとした描写が為されていると思いました。また、アメリカで一敗地にまみれたコーンウォリスがインドに派遣されていたり、アーサー・ウェルズリー(のちのウェリントン公爵)がマラーター同盟との戦争で活躍していたりといったぐあいにイギリス史の他の分野でその名を見かける人物がインドでの勢力拡大に関わっている様子も窺えます。

話の本筋とは離れますが、現地で活躍したクライヴやヘースティングスは無実の罪を着せられて糾弾される(そしてクライヴは結局自殺する)という事態に陥っています。事実無根な偽情報であっても繰り返しそれが流され、やがてそれが本当のことのように思われ、糾弾されひどい目に遭うという流れをみていると、世の中に流れる怪しげな情報に如何に向き合うのかという点で色々と考えなくてはいけないものがあるようです。

一方、衰退するムガル帝国と地方の繁栄という18世紀インドの状況、そこで活躍した様座な人物や出来事についても詳しく描かれています。文人として優れ、帝国復興を成し遂げようとしながらあと一歩というところで完全に失敗してしまったシャー・アーラム2世と、彼の帝国復興の試みを支えた最後の有能な武将ミールザー・ナジャフ・ハーン、ベンガルを繁栄させたアリーヴァルディー・ハーンとその後イギリスと戦い敗れたシラージュ・ウッダウラ、ミール・カーシム、マイソールを繁栄させイギリスを苦しめたハイダル・アリーとティプー・スルタン、そしてマラーター同盟の君主達など、時として過剰なまでに暴力的な者もいるものの、個性と才能にあふれたインドの人々の姿や彼らの業績についてもかなり頁を割いて描いています。

この時代のインドというと、世界史の用語としてプラッシーの戦いなどが単語として出てくる程度で、イギリスがインドを支配する過程としてしか理解されず、単なる背景のような扱いをされがちな18世紀インドについて、かなり解像度が上がるのではないでしょうか。また、この時代のインドの諸勢力がヨーロッパ、特にフランスの支援を受けながら近代的な軍隊の建設にとり組み、かなり成果も上げているというところが見て取れます。では、軍事力という点では東インド会社と遜色のないものを作り上げたインドの地方勢力が東インド会社に敗れていったのは何故か、やはりインドの諸勢力がまとまりを欠いたと言うことが大きいことが本書を通じて示されています。

東インド会社という一企業が国家に取って代わる過程を描く本書ですが、利潤追求が第一義的な存在理由である企業が利潤追求とは必ずしも相容れない公的な分野に関わる場合、どのような問題が起きうるのか、ベンガルにおける飢饉とそれに対する対応はそのような問に対する一つのケースとして知っておいて良い事だと感じました。利益とは違う見方で動かねばならないことと言うのは存在する、自由な経済活動は認められるとしてもそれは野放しというわけではなく国家も何らかの規制をかけてくる、東インド会社の発展の歴史からはそのようなことも見て取れるかとおもわれます。