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澤井一彰「オスマン朝の食糧危機と穀物供給」山川出版社

16世紀後半、最盛期を迎えていたオスマン帝国ですが、帝国領内では食糧不安、食糧危機が度々起こっていました。そして食糧不安や危機はオスマン帝国に限ったことでなくイタリアやスペインなど当時の地中海世界では度々見られた現象でした。

本書では16世紀のオスマン帝国で度々食糧危機が発生したのはなぜか、その背景にある機構など環境要因をさぐり、さらにオスマン帝国で巨大な消費都市イス タンブルへの食糧供給システムとイタリア諸都市なども絡んでくる東地中海世界における穀物争奪戦を究明し、帝国の社会・経済そして食糧をめぐる問題の解明 をめざす一冊です。

慢性的に食糧が不足する地中海世界で広大な領域を持ち、各地から穀物がイスタンブルへと運ばれてくる体制ができている帝国で、限られた食糧をめぐり帝国と 地中海諸国の間で奪い合いとそれに対する防衛がおこなわれていた様子が第4章で説明されています。どの国も自国の人々を食わせていきたいとなると、様々な 手段で食糧の確保にはしるわけで、限られた資源を奪い合い、守ろうとするところからは現代の食糧問題にも通じるものを感じる人もいると思います。

個人的に本書で興味深かったところをあげると、まず第3章のイスタンブルへの穀物供給を扱った箇所ですね。16世紀に人口が大幅に増加し(ただし本書では 具体的な数字は出ていなかった記憶がありますが)、それにより治安の悪化や水不足、そして食糧不足(特に決まった季節に状況が悪化している様子)がみられ たイスタンブルには帝国各地から穀物が供給されるような体制がどのように出来上がっていたのかが示されていきます。穀物の供給元を見ると、やはり直轄領の ルメリとアナトリアがおおく、特にドナウ川流域やトラキアマケドニアの平野、テッサリアなどでの穀物生産がさかんであり、全体の6割ほどを占めていたら しいいことがわかります。また、エジプトの米がイスタンブルに流れ込んでいたことなどもわかります。

帝国領とその周辺からなる「穀物供給圏」ができあがっていたことから、イスタンブルへの穀物供給からはオスマン帝国の官僚機構と物流システムが高度に発展 していたが見て取れること、そして輸送コストと時間が収穫の多寡と同じかそれ以上に重視されていたことがわかります。そのことも興味深いのですが、穀物の 輸送地域や穀物の種類、そして穀物輸送の手段やシステムといった「穀物供給圏」が具体的にどのようなものだったのかを細かく示していることが特に面白かっ たです。やはり距離的なこともあり南方だとエーゲ海沿岸から、北方では黒海西岸から運ばれることが多いことがわかります。

また運ばれる穀物の種類についても分析がなされており、米屋大麦などもありますが、やはり小麦の占める比率が多いことが示されています。現代のトルコ料理 でも粉ものは非常に豊富であると言われていますが、この時代の料理にもそういうものは多かったのでしょうか。料理関係についてはなかなか復元が難しいとは 思いますが、誰かそういうところを調べてみてくれると面白そうだなとは思います。

また穀物供給圏の研究から、輸送に関して民間業者の存在がかなり見受けられること、そしてムスリム商人が大半を担っていたことがわかるというのも興味深いです。オスマン帝国の商業というとズィンミーの商人たち(ギリシア人やアルメニア人)が関わっていたということがよく言われますし、彼らの商業活動は確かに活発でしたが、穀物供給に関してはムスリム商人の活躍も見られたようで、何かしらの意図が働いていたのでしょうか。そこは気になります。穀物という人の生き死にに直結するものゆえに、地中海で「穀物争奪戦」が生じている時代にはズィンミー商人に任せることに何かしらのリスクを感じ取っていたようにも思えます。

 

第4章で触れられているズィンミーと密貿易の関わりに関する事例や、レパントの海戦以後ペロポネソス半島キリスト教徒が穀物のヴェネツィアへの密輸を活発化させている事例もあることなどを見ると、穀物供給が主にムスリム商人担当でズィンミー商人の割合が少ないことは何かしらの意図があってのことなのかと思えます。もっとも、穀物密輸に関してはムスリムの人々、オスマン朝の役人、ドゥブロブニクやフランスといった要素も関係するため、ズィンミー商人が穀物供給にあまり関わっていないことを争奪戦と絡めてのみ理解するのは無理かなとも思いますが、やはり気になります。


本書で扱われているのはちょうどブローデル「地中海」で扱われている時代と重なりますし、著者もブローデルの存在はかなり意識しています。一つのまとまっ た地中海世界ということはオスマン帝国領の当時の気象や自然環境をみると他所とに共通するところがありますが、いっぽうでオスマン帝国領としてまとまって おり統制されている東と、そうでない西という違いもあるといった指摘が結論部でなされています。黒海にまで目を向けた東地中海世界の様相を今後もオスマン国史の様々な部分で研究し続けて成果が次々と出てくることを期待して待ちたいと思います。