まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

南川高志・井上文則(編)「生き方と感情の歴史学 古代ギリシア・ローマ世界の深層を求めて」山川出版社

(4月に一度読み終えましたが、その時点では忙しさもあり感想書くのはやめておこうと思っていました。しかし時間が経ち、感想を書こうかなという気持ちになってきたので、5月に改めて読み直したうえで書いています)
京都大学で長期にわたり教鞭をとってきた南川先生とそこで学んだ人たちの手による論文集が刊行されました。昨今流行りの「感情史」について、古代ギリシア・ローマ史研究の分野から何を論じることが可能なのか。社会のあり方、時代状況により規定され、規範も設けられる「生き方」について、社会の生活と行動規範を明らかにしながらせまるパートと、個別の行動を分析しながら「生き方」の原理にせまるパートからなっています。

昨今、研究の潮流として話題になっている「感情史」については日本語に訳された本が出ていたり、雑誌で特集が組まれるなどしていますが、日本での紹介はもっぱら近現代史に重点が置かれています。本書ではそうした感情史研究の流れについて簡潔に序文でふれ、感情を歴史を動かす要因してとらえ、ある感情の表れが社会に広まり、そして社会を変えていくという立場を取ることや、感情史研究において「感情」は「個人」を重視するなどの指摘がみられます。

そのうえで、あえて厳密な統一的定義をだすのでなく、論者それぞれに「感情」の定義的なものは委ねながら、それぞれに色々なテーマで論じていきます。このあたりは、南川先生のもとで学ばれた人たちの幅の広さが窺えます。南川先生自身は古代ローマ史の研究者ですが、寄稿した研究者の扱う分野を見ると、ケルト人と痛み、ペルシア王に対する宮廷儀礼ギリシア人といった、いわゆる「西洋古代史」だとあまり扱われないようなところもあれば、古典期アテナイヘレニズム世界、そしてローマもあつかわれますし、ローマでも共和政や帝政に関係するところもあればキリスト教に関するものもあります。全部通読するもよし、興味のあるところをつまみ食いしながら読むもよしといったところでしょうか。

内容を全て挙げるというのはこれから読もうという人の興味を削いでしまうかもしれないので、いくつか取り上げる程度にします。例えば、ヘレニズム世界の「国際人」について取り上げた第1部4章では、外部とのパイプを色々と持ち、それを使いながら自国に利益をもたらす人をそのようにとらえ、彼らが聴衆の感情に訴えかけそれを利用している様子が伺えます。ギリシア人全体の利益を重視すること、約束を遵守する誠実さや涜神行為を行わない敬虔さを評価する、こういった価値観が演説からは見て取れることや、演説を通じ聴衆の感情を利用し共感を得ようとしていることが示されていきます。そして、こうした「国際人」の演説が各地で行われることを通じ、「感情の共同体」としてのヘレニズム世界の一体性にも影響を与えるものであったということが明らかにされていきます。

また、第2部第2章ではいきなり釘を至るところに刺された女性像というインパクトの大きい話題から話を始め、呪詛人形や鉛の呪詛板、石に刻んだ奉納物、供犠の肉と煙、彫像など様々なものに思いを込めて神に働きかけるギリシア人たちの姿が描き出されています。死すべきものとして神と人の間に厳然たる区別があるなかで、奉納を通じて神とコミュニケーションを取る、それがギリシア人の信仰といったところでしょうか。また第2部第6章では古代ローマで幽霊話がそれほど盛んではないのはなぜかというところから、死後の魂の存続についてどう考えていたのか、その一方で死後の名声にローマ人が強くこだわったのは何故かを考えていきます。

そのほかコラムとして短い文章が2本掲載されています。出生届や戸籍がないアテナイで市民であることを示すにあたっては、社会的承認や人々の記憶に頼っているところから話が始まり、「市民はどうあるべきか」「市民として相応しくないことは何か」といったことについての認識の蓄積と共有、生き方の踏襲を通じて市民としての身分保障を行っていたらしいことがまとめられています。

なお、生き方や感情といったものを考えるにあたって、演説や法廷弁論、政治弁論といった公の場で多くの徴収を相手に行われたものが本書で史料として多く用いられています。当時の社会や時代に規定された文言ではありますが、それがかえって当時の価値観を映し出す鏡のような役割を果たすことになったというところでしょうか。

古代人たちの言動や行動について、なぜその行動に対して恥と感じるのか、何に対し関心を払い、何を恐れたのか、さまざまな題材から考えていこうとした本書ですが、あえて註を付けないという形を取っています。学術論文というと、非常に多くの中がつけられ、それによって何をもとにしてその文章を書き論を組み立てたのかがわかるようになっています。一方で膨大な註の存在は、ある分野について大まかなことは知っている、概説書は読んだ上でもう少し硬いものに挑戦したいという一般読者にとっては意外と辛いようです。より難しいものへのステップアップにこの本が役に立つことを願いたいと思います。この感想では僅かな部分を取り上げただけですが、色々と興味深い内容があるのでぜひ読んでみてほしいと思います。

そういった話とはすこしずれるのですが、第1部7章の主要登場人物であるナジアンゼンについて「要するに働きたくなかった」「学生気質の抜けきらない男」と言われると、返す言葉もございませんというしかないのですが、かれにシンパシーを感じてしまうのは私だけでしょうか。