まずはこの辺は読んでみよう

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オーレル・スタイン/アリアーノス(前田龍彦訳)「アレクサンドロス古道」同朋舎

19世紀後半から20世紀前半、西洋諸国による各地の探検活動が各地で行われ、中央アジアなどユーラシア内陸部においてはヘディン、スタインの探検活動が有名です。さまよえる湖ことロプノール、各地の仏教遺跡など、非常に興味深い事柄が彼らの探検を通じて知られるようになり、現代の学術研究にも役立てられています。

現在では、探検活動によって得られた地理的情報が政治工作や軍事行動にも活かすことが出来ると言うことで列強が探検を支援したといわれ、中央アジアなどユーラシア内陸部の調査探検に関してはイギリスとロシアの「グレート・ゲーム」との関わりがしばしば指摘されます。スタインやヘディンの活動のそうした側面を知っておく必要はあるでしょうが、彼らの探検記自体は非常に面白く読めるものではあります。

中央アジア探検で有名なスタインですが、アレクサンドロスの東征路に関係するようなエリアの調査も行っています。インダス川上流、スワート川流域の調査旅行を1926年に行い、その後もイランで長期にわたる調査を行い、最後はアフガニスタンでの調査を開始しようとした時に現地で病没しました(なお彼の墓がカーブル郊外につくられたようです)。スタインの調査により、アレクサンドロス東征路とそれに関係する場所の同定がおこなわれたものがいくつかあり、現在の研究にも大きな影響を与えています(なお、イランにおける東征路については現在では一部異説もでています(森谷公俊「アレクサンドロス大王東征路の謎を解く」河出書房新社を参照))。

本書はバクトリアを出立してインドに至るまでのアレクサンドロス東征路について、それを探索したスタインの調査の記録がメインとなっています。その他に、関連する資料であるアリアノスの当該箇所と、アレクサンドロスのインド侵攻について研究したマクリンドルがそれに対して付けた註が最初に付けられ、さらに最後の方ではアレクサンドロスに関するターンの著作の関連箇所も付されています。そして監修者の前田耕作先生によるインドにおける考古学調査、そしてスタインの小伝が付けられています。

本書を読んでいて、まず情報量の多さに圧倒されるところがありました。川の幅や地形といったインダス川上流域の地理的情報はもちろんのこと、そこに残された遺跡(ストゥーパなどが多く残っています)の大きさや形状、遺跡の保存状況(盗掘をうけているなど)、そして部族間の対立抗争などがうかがえるこの地域の政治情勢および現地の首長による支配のしくみ、社会の様子から、当時のイギリスのインド支配の状況(現地の首長層にも英国式の教育を受ける機会を提供し、彼らを植民地支配の担い手として組み込んでいる。なお、スタインの調査に同行する技師たちのなかに現地系の名前の人が結構出てきますが、彼らもまた英国支配のもとで働く人たちという所でしょうか)から当時の西洋人のアジア認識まで、様々なことがスタインの記述からうかがい知ることが出来ます。パクス・ブリタニカのもとで現地社会が良い方向に向かっている旨の記述が随所に見られるのはこの時代ならではでしょうか。

あまりにも多いため、全ての事柄に触れるのは無理だと思いますが、例えばビール・コートの城砦という一つの遺跡について取り上げてみます。スタイン自身の記述から、この遺跡については時間などの問題から組織だった発掘ではなく駆け足で行われた表面的な調査にとどまらざるを得なかったことが伺え、そしてそんなに詳細に古代の生活の印を述べることが出来ない旨を彼自身が述べています。しかし、それでもビール・コート城砦の遺跡の概要、丘の高さや地形、そこに見られる建物の遺構や土器片、貨幣、投石用の弾丸等々についての記述がもりこまれ、これだけで4頁ほど使っています。

それに続く章でアレクサンドロスによるスワート侵攻をあつかい、アリアノスやクルティウスといった史料の記述や当時の言語学的成果を参照しつつ、ビール・コート城砦の遺跡がバジラであると同定していきます。

そして、スタインの調査報告の終盤にかけて、アレクサンドロスが攻略したアオルノスのピール・サルへの同定の過程はかなりのページ数を割いています。ピール・サルに向けた登坂からはじまり、現地の地形やアオルノスに関する様々な情報、そしてピール・サルの踏査をくみあわせながら記述が進められていきます。踏査によって得られた地形の情報を、古代の史料に見られるアオルノスの記述とつきあわせつつアオルノスがピール・サルであったことを同定していきます。この部分だけで40頁から50頁くらいは使っており、スタインの調査報告でも一番力が入っているところではないでしょうか。添付された地図や掲載された写真もあわせながら読んでいくと、現地がどのような場所なのか、読んでいると非常に鮮明なイメージを持つことができそうです。

このほかにも、数々の仏教遺跡にも触れながら進むスタインの調査報告で、時々、スタインのぼやきのようなコメントもみられますが(アレクサンドロス地形学的情報に気を配り、軍事上の出来事ともにそれを記録してくれていればと嘆いています)、アレクサンドロス東征で登場する様々な場所について古代史料や言語学、考古学調査の成果を使いながらスタインによる場所の同定が進められていきます。なお、こうした遺跡関係の話の合間には、宝探し的な発掘で遺物が持ち出され、西洋に持ち込まれていることや、西洋人のニーズに応えて碑文の偽造が行われていると言った話題がみられます。

遺跡調査の話だけでなく、現地社会の様子も多く盛りこまれています。現地社会でどのような経済活動が行われているのか、農業や商業の状況はどうなのかと言ったことが隋書に書かれています。なお、その際に西洋の影響で良い方向に向かっているとスタインが見ているところが結構あるのですが、西洋による東洋の文明化という視点がみてとれるところでしょうか。現代においてはこのような視点はもはや成り立たないでしょうが。

また、政治情勢に関する話も色々と出てきます。日本の世界史の授業とかではまず出てこないであろう現地における騒乱や部族間対立を窺わせる記述も多くみられます。この地域で何があったのか、恐らく邦語文献では確認は困難ではないかと言う気がしてきます。護衛をつけてくれるなどスタインの調査に協力する部族の首長やその関係者が何人か登場しますが、そうした協力者の中に現地での抗争に敗れ亡命しながら失地回復を目指す首長もいることなど、内容豊富な著作となっています。そして、スタインの調査記録を読んでいると、険峻な地域を調査隊が移動するだけでもこれだけ大変だというのに、アレクサンドロスが大軍を率い、戦いながらこの道を移動していったと言うことに驚きを禁じ得ません。

なお、本書のスタインの調査旅行は白水社からも『アレクサンダーの道:ガンダーラ、スワート』として刊行され、此方は註や解説もつけられているようです。同じスタインの本が1年違いで違う出版社から刊行されるというのはどういう経緯だったのか気にはなります。願わくば、此方の本、現代ならではの解説と詳細な註をつけたうえで文庫化などされると良いのですが昨今の出版事情を考えると難しいでしょうか。是非とも出して貰いたいものです。