まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

大沼由布、徳永聡子(編)「旅するナラティヴ 西洋中世を巡る移動の諸相」知泉書館

人はその一生において様々な形で「旅」に関わることがあるものだと思います。実際に自分がどこかに移動するだけでなく、誰かが残した旅の記録を読むという事もあるでしょう。また、人が実際に動くということだけではなく、人生を旅になぞらえることもありますし、思索の営みを旅のように捉えるということもあるかもしれません。

本書は中世のイングランドの事例を取り上げ、残された旅行記や聖人伝の記述を分析しながら人々の移動にかかわる思想や事情をみつつ、移動が何をもたらしたのかを考えるものから、さまざまな形の移動がアイデンティティや文化をどのように形作るのか、自分と他者の違いをどのように認識するのかなどを見るもの、さらに精神的な移動についてあつかったもの、そしてモノとしての本の伝播と来歴、それを受け取った人の社会階層と文化なとも扱われています。

扱われる内容は様々ですが、興味深いところをいくつか挙げてみます。例えば、最初の章でマンデヴィルの旅行記がなぜイングランド人を語り手としているのかについてイングランド人の気質をあげ、辺境としてのイングランドという舞台装置がもつ意味についても考察しています。イングランドというとなんか非常に保守的な印象があるのですが、中世においては常に移動を好む気質とされていたことは意外でした。

また、ある物語ではイングランド人の主人公がイングランド以外の土地、異教徒の世界では活躍できるがイングランドではどうもうまくいかないようです。イスラム圏での暮らしが長い主人公に対するイングランドの人々の違和感が表れている場面も見られると言います。このような描写を見ていると、当時の人々が十字軍運動にかかわるなかで知り得たことと、ヨーロッパで生きる人々の認識のずれをかんじずにはいられません。

文学以外にも取り上げられており、農民戦争でその名が知られているジョン・ボールを扱った論文も掲載されています。彼がある時点から「異端」として処罰される対象となっていくのですが、そのようにかわっていく過程が関連する史料の叙述の検討を通じて示されています。様々な場に現れては教えを説く「放浪する説教者」ボールが不服従ではなく異端として破門通知書がだされるようになった時期、そして王権による異端取り締まりとの関係、色々と興味深いものがありました。

今回の感想では一部分だけを取り上げていますが、他にも面白い論文が色々と収められています。文学や歴史、神学などの書物の中身を検討するだけでなく、モノとしての本がどのような人の手に渡ったのか、あるモノの来歴から様々なことを明らかにするところなどなど、興味深く読みました。イングランドを対象にした本書ですが、他国や他地域でも似たような事ができそうな気がします。そのあたり、どなたか調べてみてはどうでしょか。