まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

川添愛「聖者のかけら」新潮社

時代は13世紀、ベネディクト修道会系のモンテ=ファビオ修道院に、聖ドミニコのものと称する聖遺物が届けられます。その聖遺物はもう死にかけているような老人が歩けるようになるなど、修道院に次から次に奇跡を引き起こします。しかしドミニコ会の修道士から、聖ドミニコの聖遺物を送った覚えなどなく手紙も出していない、聖遺物を届けたカルロなる修道士はいないという衝撃の知らせが届きます。では、この聖遺物が一体誰のものなのか、、、、。若い修道士ベネディクト(陰で「偽ベネディクト」と呼ばれバカにされています)は修道院長の命令を受け派遣しました。

彼は今の修道会のあり方は堕落しておりベネディクト戒律をきっちり守るべきと主張している人ですが、修道院に入ってから一度も外に出たことがない、世間知らずにも程があるような人物です。また、修道院に届いた聖遺物を前にして卒倒してしまうようなところもあります。ルールを守ることに固執する世間知らずな彼は、修道院長の命令である「ローマ近郊の村に行き、そこにいるピエトロという教会の助祭に会う」と言ったことも、方向を間違えてすぐに辿り着けず、盗人に襲われる始末。そんな彼を救った怪しいものたちの中に、目的であった助祭ピエトロがいました。

ピエトロはベネディクトとは逆に世知にたけ、聖遺物の売買(モンテ=ファビオ修道院修道院長も彼の上客です)を行っている、そして聖遺物を入手するために墓あらしのようなこともやりますし、嘘も方便とばかりにはったりはかます、教会上層部や異端とされる勢力にもつながる色々な方面に人脈があり、彼の周りの人々もちょっと訳ありっぽい人が集まっている、そして神の働きかけというものはありえないと考えています。そしてベネディクトに何やら妙な能力があるのではないかと彼が言ったことから、ベネディクトも胡散臭いと思いながらも彼を信じ、一緒に謎を探ることになります。

出所不明の謎の聖遺物の正体を探ろうとする彼らは聖フランチェスコ大聖堂のあるアッシジへと向かいます。そんな彼らが耳にしたのは、大聖堂に埋葬されていたはずの聖フランチェスコの遺体が消えたという話でした。修道会の現状に不満があって出ていったという話をしだすフランチェスコ会士もいる中、聖フランチェスコの遺体が一体どこにいったのかという謎にも挑むことになります。

ベネディクトとピエトロという全く違う個性を持つ二人が、色々と衝突しながらも分かりあい、謎解きに向かっていくという展開ですが、この旅を通じてベネディクトは大きく変わっていきます。とにかく戒律を守ることが大事で修道会の現状を批判し続ける世間知らずの貴族のボンボンでしかない(実際、彼の生家からの寄進は多かったのですが、それが減って来た頃から周りの彼に対する扱いがだんだん悪くなっていき「偽ベネディクト」などという渾名まで付けられています)ベネディクトが、ピエトロと出会い彼と謎解きのために旅を続け、その過程で色々な人(聖フランチェスコの古参の弟子レオーネなど)と出会う中で様々なことで、色々なことに悩み苦しみ、自分の罪や過ち、弱さと向き合いながら考え続け、成長する物語というのがこの本の一つの柱でしょう。

また、ピエトロについても世知に長けたリアリストという感じで描かれていますが、その根底には、聖フランチェスコと共に行動しアレクサンドリアで死んだ父親が東方から持ち帰ったという謎の石の正体を探りたいという思いがあることが終盤明らかになってきます。またピエトロの「弟」アンドレアや大ジョバンニ、かれがいる教会のちょっとボケた感じの司祭エンツォなども中盤から終盤にかけ謎が明らかになっていきます。

若い二人の成長物語のようなところもありますが、それを支える中世の教会やキリスト教世界の諸事情について、物語の鍵を握る聖遺物や聖者と言ったものがなぜそこまで重視されるのか、フランチェスコ会ドミニコ会といった托鉢修道会に対する動き、そして正統と異端をめぐる事柄などを盛り込みながら話が進んでいきます。巻末に本書を書くにあたって参考にした文献が色々と紹介されていますが、「聖遺物崇敬の心性史」や「剣と清貧のヨーロッパ」などをこの機会に読んでみて欲しいと思います。

二人の謎解きと人間的成長とともに聖フランチェスコという偉大な聖人のもとに諸々の出来事や人物が結びついていることが明らかになっていくという展開を辿る物語ですが、終盤、ピエトロが持っていた石の謎も明らかになります。はたしてこの後、ピエトロは旅に出るのか、この話の続きがきになるところです。