まずはこの辺は読んでみよう

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スティーヴン・グリーンブラット(河野純治訳)「一四一七年、その一冊がすべてを変えた」柏書房

1417年、南ドイツのある修道院にて、元教皇秘書にしてブックハンターであるポッジョによって一冊の写本が発見されました。原子論など極めて刺激的な内 容を含むルクレティウス「物の本質について」は、やがて書き写され、ポッジョ以外の人文主義者達にも読まれるようになり、さらに後の時代の人々にも影響を 与えていくのです。

本書ではポッジョによるルクレティウスの写本発見とその後の広まりの話を軸に、中世の写本とブックハンター、古代のエピクロス派哲学、ポッジョが仕えた教 皇庁と、彼が一時失職する原因となるコンスタンツ公会議等々の話題も盛りこまれています。ヘルクラネウムパピルス荘から発見された書物のなかにエピクロ ス派哲学にかんする書物が多かったという話は興味深いです。また、古代にキリスト教が力を増す中で古代の学問や思想に対する扱いも悪くなり、ルクレティウ スやエピクロス派哲学に対しても批判的に見られ、危険視されていった様子がうかがえます。

ルクレティウスの「物の本質について」の内容をおおざっぱにまとめた章があるのですが、確かにこれはキリスト教が支配している世界でこのような考えは危険 思想と見なされるだろうなと思う事が色々と書かれていました。創造者も設計者もいない、原子論的な考え方の採用、霊魂は滅びるし死後の世界は存在しない、 人生の目的は喜びを高めることにある、このような主張が広まることはとうてい認められなかったでしょう。それにしても、現代のように研究器具が発展してい たわけでない古代において、思索を巡らせることを通じて原子論のような思想に到達できたと言うことのすごさをもっと認識してもいいんじゃないかと思いま す。

一方、ポッジョが仕えた教皇庁をみると、教皇もふくめ聖職者の中にキリスト教に対してどれだけ真剣な信仰心を抱いていたのかと、なんともやりきれぬ物を感 じました。俗世と何ら代わりがない、むしろなまじ権力や権威を帯びているぶんたちが悪いのではないでしょうか。中世の教皇の話のほか、中世の書物事情につ いてもまとめられています。中世社会に興味がある人が読んでも面白く読めると思います。

ブックハンター達は古代の書物を求めて各地の修道院などを渡り歩きますが、そこで見つけた本の中身についてはどう思っていたのでしょうか。ルクレティウス の「物の本質について」の内容は人文主義者達にとっては極めて刺激的な内容で、キリスト教的な物の見方とどのように整合性を着けたらよいのか、かなり困っ たのではないでしょうか。しかし見方が合わないような本をよく修道院もとっておいたものですね。自分達の意に沿わぬということで、焚書にしていてもおかし くないような事が沢山書いてあるのですが、そもそもこれをなぜ修道院が保管することになったのかを考えると面白いかもしれません。